ゲノムを読む



プロローグ

この本の主題は「ゲノム」である。ゲノムとは実体として見るなら細胞の核内にあるDNAのすべてをさす。あなたのからだをつくっているひとつひとつの細胞の中にあるDNAはまったく同じ、それがあなたのゲノムだ。一方、機能としてみるなら、ゲノムとは、一つの生物をその生物たらしめる遺伝情報の総体のことである。

すなわち、生物が己のからだを作り上げ、まちがいなく働かせ、子孫をつくり、寿命を全うするのに必要な遺伝情報のすべてである。これを種としてみれば、ヒトゲノム、マウスゲノム、イネゲノム、大腸菌ゲノムとなり、個体としてみれば、私のゲノム、あなたのゲノムとなる。

おそらくゲノムに馴染みのない方はDNAや遺伝子という言葉は耳にしておられるだろう。DNAが、生物学の主役になったのは20世紀後半。地球上の生物はすべて遺伝子DNAの指令によって生活していることがわかり、1953年にその二重らせん構造が明らかになってからのことだ。

しかし、この半世紀で研究は急速に進展し、今、21世紀に向けて、「遺伝子としてのDNA」研究から「ゲノムとしてのDNA」研究に大きく移行し始めた。脳や腸ではどんな遺伝子が働いているのか、発生や免疫の、あの段階この段階で働いているのはどんな遺伝子かと問うかわりに、私たちの体を間違いなく作り上げ、巧く働かせ、子孫を作らせ、やがて滅びさせる、この生命の手筈書をまるごと人間の言葉に翻訳しようという研究が始まったのである。

おなじDNAという物質を見ながらそれを遺伝子という単位にまで還元した形で見るか、ゲノムという総体で見るか。ここには革命という言葉を使ってもよいほど大きな違いがあると言って良いと思う。

ゲノムを読む…いや大げさに言えば科学研究にはなかった「全体像」を求めるという作業だ。しかも「全体像」を求めると言うことは単に「手筈書」を読み解いてわれわれが生命の仕組みを今よりもぐっと深いところで把握しようというところに留まらず、この地球上に栄える何千万種の生物の関係を知り、それから40億年の歴史を担った進化の記録を読み解こうというところにも通じるのである。

とにかく、遺伝子とゲノムはどのような関係にあるのか。DNAを遺伝子として見るのとゲノムとして見ようとするのでは研究のやり方は具体的にどう違って来つつあるのか…まさに研究の革命の現場感覚を伝えた。それが本書の目的である。

何が変化しているのか。大別すると次の三つになる。

1) DNA研究そのものが変化していること。…具体的には「ヒトゲノムプロジェクト」という形で、生命科学の研究では初めてといってよい組織的な研究方法が採用され、新しい研究手法でDNAの構造や機能に関する大量のデータ収集が始まった。大量のデータベース、その情報処理など、情報科学を含む新しい分野の誕生がかいま見えている。そこから、ある生物の持つDNA全体をひとかたまりとして見て、それを動かす基本をどう読み解いてゆくか…一つの挑戦だ。

2) 生命現象を個別的でなく、一つの個体がどのようにして生まれ、生き、消えていくかという全体像として捉える科学が生まれつつある。また人間に関しては、先進国での病気のほとんどが内因性になっていることも関連して、健康との絡みでゲノム研究が求められているのである。今、医学は大きく様変わりしつつある。

3) 生命、人間、自然を見る目の変化。DNA研究を通して生命体の相互関係を考える手がかりが格段に多くなり、また進化の記録であるゲノムDNAの解析がどんどん進むようになった衝撃は強い。これは、人間の営みである文化・文明を見る眼にも変化をもたらしつつある。

「ヒトゲノムプロジェクト」がどのようなもので、今どこまで進んでいるか、今後どのような方向に進むかを述べることには意味があると思う。それのもつ社会的意味も含めて。

これはDNA研究の大きな流れの中の一つの必然である。これを理解しておくことが、21世紀の生命研究や技術を占い、さらに人間について考えるときのDNAの持つ意味を知る上で重要だと考える。それは、ゲノム研究が進んだ時点での科学や技術をどう使いこなすかを考えるための準備でもある。

いずれにしても、細かな事実の理解と言うよりは、現場の雰囲気を感じながら大きな流れを感じ取るという気持ちで読んでいただければありがたい。

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