早期胃癌から進行癌への進展


胃と腸 Vol.32 No.6 May 1977


序説:胃癌の発育進展


癌研究会付属病院内科

丸山 雅一


本号の主題「早期胃癌から進行胃癌への進展」は、巷間に流布している早期胃癌の"がんもどき"説−「患者よ、癌と闘うな」(近藤誠)−を多少とも視野に入れて企画されたものである。

著者は、冒頭から"がんもどき"説を珍説を見なしたわけだが、その心境はと言えば、わが伝統ある「胃と腸」にこれを取り上げることさえ学問の品位を傷つけるもの、などという傲慢さは微塵もない。むしろ、"試みに見よ。古来文明の進歩、その初め皆、いわゆる異端妄説に起こらざるものなし。"という歴史の教訓を忘れてはならないし、また、"現在わたしどもの共有する科学理論に対して致命的な反証となる「事実」をすでに数多く入手しながら、しかも、それに気づいていない事があるかもしれない。"という焦燥感もまた十分に持って事に臨んでいるつもりである。

現在、われわれが持っている胃癌の自然史についての基本的な知識からすると、1個の癌細胞が発生して人間が死に至るまでには、およそ、15年から30年という長い時間を要し、われわれが臨床的に癌として観察しているのは、そのうちの後半の1/3ぐらいの時間である。というのが胃癌の自然史についての基本的な認識である。

また、早期胃癌と診断されてから手術を受けないで37ヶ月経過すると半数が進行癌に発育・進展し、77ヶ月経過するとその半数が死亡する、ということも事実として認めておくことにする。

われわれが把握可能なのは、自然史のおよそ1/3ぐらいとういうものの、その時間帯ですら、胃癌は多様性を展開する。そのような多様性の中で、最も主流となるもの、すなわち、どのような発育・進展の様式が胃癌の一生のメインルートであるかを、形態学的に、そして、計量的に解析することである。



近藤誠氏の著書に思う


早期胃癌検診協会理事長

国立がんセンター名誉理事

市川 平三郎


1. はじめに
 近藤誠氏の「患者よ、がんと闘うな」「がん検診百害あって一利なし」などが、近ごろ巷間を騒がせている。

「胃と腸」の読者がこれらの著書に惑わされているとは思わないが、ひょっとすると、患者さんの中には惑わされていたり、なかには盲信する人もいて、その対策に困惑されている方もおられるかもしれない。

そこで、これらの著書に書かれていることで、どこが世間に受け、どこが間違っているかを指摘し、早くこの問題から脱却するための参考になれば、と思って、貴重な本誌の一部をいただくことにした。

2. 近藤氏の著書が世間に受けたのはなぜか

私も全てを読んで一字一句まで覚えているわけではないが、大体において、彼の初期の頃の文章では、主として乳癌の経験に基づいて、あまりにも拡大した手術はどうかと思うと述べ、その考えを胃癌を含む他の癌について拡大していった。

ちょうどそのころ、例の逸見政孝氏の手術に関する大々的な報道もあり、世間の注目を浴びたようだ。次いで、過度の抗癌剤治療で苦しむ癌患者がいることも確かだから、それも指摘した。これは、事実を幾分誇張している面もあったが、そういう患者がいることも確かだし、絶妙な文章力と理詰めに見える表現力で、世間に受けた。

調子に乗った彼は、癌検診を非難し始め、それを説明する便法として、ふと思いついた"がんもどき理論"を作りそれを展開した。これは、論かもしれないが、とても理論とは言えない代物だが、ユーモアもあり、人を引きつける用語だったから、また世間に受けた。いかにも科学的を粧った書き方であったから、素人には癌に関する今までの常識をうち破る何かしら革命的な臭いがして、科学の領域の難しい話が分かったような気にさせる麻薬的な魅力があり、素人に受けたのだろう。

しかし、素人に受けたと言うことと、真実であるか否かと言うことは全く別の次元のことであるし、また、最終的に患者を幸せにするか否かとも別のことなのである。これらの著書は、生半かの知りたがり屋の好奇心をあおって気分を良くし、反面たくさんの癌患者を不幸にしたことは、困ったことである。

3."がんもどき理論"の誤り

彼は、癌には逸見さんの例のように成長のスピードの速い癌と、前立腺や甲状腺癌の一部に見られる成長の遅いゆっくりとした癌があるとしている。ここまでは正しいと思う。

しかし、特にこのゆっくりとした癌の中に、全身転移を最後まで起こさない癌があって、それを"がんもどき"と称して、本当の癌でないという言うのだ。このあらりから、論が少し怪しくなってくる。

更に進んで、日本でたくさん見つかっている早期胃癌は、ほとんど"がんもどき"であり、放置しておいて、それが進行癌になったのは見たことがないと近藤氏は言う。ここに至っては、そういう症例をたくさん見ているであろう本誌の読者は、とても耐えられなくなってくる。それは、近藤氏またはその友人だけが見たことがないのかもしれないからだ。

更に間違っているのは、癌にこういう"がんもどき"とスピード癌の2つの種類があるという言い方である。スピード癌はともかく、こういうゆっくり癌が存在すると言うことも知らない素人は、驚いて感心する。

もう一つ、いくら追及されても彼は、リンパ節転移は転移でないという主張を撤回しないのだ。リンパ節転移は静脈角を通って血行転移に移行する場合があるのは常識なのにである。彼はその常識すら覆そうというのだろうか。

3. 検診の百害について

次に、"検診は百害あり"とする彼の主張のほとんどは、バカバカしくて反論する気にもならないが、内視鏡検査の副作用と、X線撮影による被爆のことについては、少しふれておく必要があろう。

彼は、一応健康と見られる受診者が、内視鏡検査で胃や腸に穿孔を起こすような副作用を受けるのはけしからん、と言う。これはまさにその通りである。その頻度は低く、救命される利と比較すれば、利のほうが遙かに高いのは事実であるが、副作用を受けた個人の立場で言えば、許し難い気持ちになるのは当然であろう。検診従事者が流れ作業になって、気がゆるむときに起こる可能性が高いのも事実だから、これは充分に自壊すべき事であろう。

X線撮影による被爆は、当然起こるのではあるが、彼が言うように、白血病を増加させ、胃に照射するから胃癌も増加させているということはない。我が国では、行き過ぎた放射線アレルギーがあって、専門家から見ると笑い話になることでも、本気に講論され過ぎて、X線利用による巨大な利益が掻き消されそうである。

5."検診は一利なし"について

ここが近藤氏の説く中心課題であろう。先に述べたごとく、癌にはゆっくり癌とスピード癌しかないと断言すれば、理論上、早期発見の必要はないことになる。だから、彼は、早期発見でどれだけ救命できたかを示すべきだが、その証拠がないと言う。

しかし近頃、彼も"がんもどき理論"の言い過ぎに多少の反省が出てきたのか、最近の文章では、本当に言いたいのは、過剰な手術とか、抗癌剤に対する批判なのに、専門家は"がんもどき理論"ばかり攻撃すると言ってみたり、"がんもどき"だって転移する可能性が全くないとは言っていない、と言ったりしている。

彼はまた、胃癌の手術で死亡例が多いと言うことも強調しているが、日本の外科医の平均的手術レベルの高さには目を覆っている。つまり、日本の平均的手術死は1%以下、最近の国立がんセンターの成績では0.1%ぐらいだが、世界の先進国ドイツ、オランダ、イギリスなどは、およそその50−150倍の死亡率であることは率直に認めるべきであろう。



編集後記


国立がんセンター中央病院放射線診断部

牛尾 恭輔

腫瘍の細胞自身が多段階的に形質を獲得して、より悪性度が増し、臨床的に癌へと発育進展してゆく。この変化はprospectiveにまたretrospectiveに、画像上で形態上の変化として認識される。本号はこの視点から胃癌の自然史を追究したものである。

ところで最近、近藤誠氏の"がんもどき理論"という空論が医学の場にも、消化管癌の診断と検診の場にも入り込み、不安をあおり立てている。消化管癌に関して、その空論の間違いは、丸山が序説の中で文字の一つ一つに魂を込めて詳しく述べている。

また、市川は多くのたとえ話を例に挙げ、胸のすくようにわかりやすく説明している。読者の皆様は、熟読していただきたい。

さて「胃と腸」は、時間学と形態学に合致した実証主義の下、過去30年余にわたり、多くの早期胃癌や早期大腸癌が個体や時間に差はあるにせよ、進行癌に推移してゆく事実を明らかにした。

これに対し極めてまれな例を代用して、あたかも大多数の癌に当てはまるかのごとく述べる近藤氏の"がんもどき理論"は、評論家の枠を越えない空論であると言えよう。

本誌はあくまで実証主義に基づいた理論をうち立て、医療の場に貢献しているからこそ高い評価を得ているのである。今後とも、その立場は堅持され続ける。それが科学としての使命である。



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