死んでもええぞ


 78歳のみきばあさんが、下血のために救急車で運ばれてきた。輸血し、血圧も良くなり冷や汗が引くと、「下血なんて、陛下と同じだね」と、看病をしていた81歳の姉さんと72歳の妹が言って、笑った。「便の色が良くなったよ。」「お茶飲むかい」「すまんなあ、世話させて」「心配せんでええよ」「わたしが紙おむつ捨ててくるから」「ありがとう」
仲のいい高齢三姉妹だった。
 

みきばあさんを初めて診たのは、八年前であった。体がだるい、と言って外来にやってきた。肝硬変だった。それから一ヶ月に一度の割合で通院していた。「肝臓の検査はどんなあな。あがっとりゃしませんか」と口癖のように尋ね、「大丈夫、全然心配ないよ」と、ぼくは検査値も見ずに口癖のように答えた。
 

診察が終わるとばあさんは、「先生、廊下に置いときましたから、持って帰ってください」と、耳元で、大声でささやいた。廊下には黒い帯でしばった段ボール箱がおいてあった。土のついたジャガイモ、タケノコ、卵百個、油揚げ五十枚が入っていた。油揚げは、みきばあさんの住んでいる谷の村の豆腐屋さんが作っているもので、ぶ厚くてうまい。
 

みきばさんが、「このごろやせる」と言ったのは二年前。「心配ないよ。年だもん。誰でやせるよ」と言いながら、腹部超音波の検査を指示した。返事には、「肝癌が疑わしい」とあった。すぐに入院し、血管撮影で確認した。抗癌剤を肝動脈に注入し、エタノールアルコールを腫瘍内に注入すると、直径三センチの腫瘍は、直径二センチに縮小した。ばあさんは元気を取り戻し、「命拾いしました」と言って退院した。
 

みきばあさんの下血は少しずつ続き、輸血しても顔色はよくらならかった。内視鏡検査では、食道静脈瘤は軽度、胃から十二指腸球部まで出血性潰瘍はみられない。球部より向こうの出血か、ちびちびした食道静脈瘤の出血が考えられた。

「どんなもんでしょう、おばあの具合は?」
まるまると太った長男が廊下で聞く。長男は五十五歳、谷の村で散髪屋をしている。説明をすると、「つまりもう、耐用年数がきたぞ、とこういうわけですな」、あっけらかんと言う。その大雑把なとらえ方に、思わず頷いた。
 
入院後5日め、下血もなく、高齢三姉妹は団欒の時を過ごしているように見えた。
「先生、もう死ぬってこれがいいますけど、そんなことはありませんわな。わしが先もん」と姉さんが言うと、みきばあさんはこっちを向いて、「わしゃもう死んでもええ。先生になあ、死に水を取ってもらったら、それでもう言うこたあない」と言う。顔色は悪く、頻脈だった。
 

その日の夜の八時、ぼくはみきばあさんの病室にいた。その時ばあさんは苦しそうにしはじめ、そして大量の下血と、膿盃一杯の血を目の前で吐いた。姉と妹がティッシュペーパーやタオルで、顔や枕についた血を、「かわいさあに、かわいさあに」と言いながら一生懸命に拭いた。手首で触れていた脈が、スーッと消えていった。「濃厚赤血球10パック!輸血が来るまでヘスパンダー。酸素を5リットル、エホチール1A側管、ソルメド1グラム、気管チューブの挿管の用意をして!」と、次々に看護婦さんに指示した。「皆さんに至急に連絡を取って下さい」と姉と妹にも言った。
 

みきばあさんの呼吸は苦しそうになり、みるみる下顎呼吸にかわり、今にも止まりそうだった。救急カートが運び込まれてきた。点滴を全開で落とし、挿管した。呼んでも強く刺激しても反応がなかった。呼吸器が来るまで、ひとりの看護婦さんがアンビューバックを押し、もうひとりの看護婦さんが心マッサージを始めた。すぐに濃厚赤血球がきて、パンピングで三本を注入した。注入し終わる頃、レスピレーター(人工呼吸器)が到着した。「スーストン、スーストン」という音が病室に響き始めた。
 

五本目の血液を注入していると、ドアが急にあいて、慌てた顔の長男が入ってきた。夕方に見た病室と全く違った気配の病室をみて、「そうか」と呟いた。そしてつかつかとみきばあさんのベットサイドに行って手を握り、目に涙を浮かべた。
「おばあ、来たぞ。皆がおるぞ。よし、死ね。手を握っとったるけんな、死ね。もう、心配せんでもええぞ。な、死んでもええぞ」
と言って歯をくいしばった。亡くなっていく人の前で、「死ね」と声をかける家族は初めて出会った。

「脈、触れます」と看護婦さんが言った。輸血の効果が出てきた。とまりそうにみえた呼吸は、とまらずにいつまでも続いた。みきばあさんは、首と手を動かした。「わかるか? おばあさん!」と26歳の孫息子が耳元で叫ぶと、おばあさんは頷いた。

「わかる! わかる!」と皆が言い、次々にみきばあさんの目の前に顔を並べた。「がんばれよ、死ぬなよ、あしたはズガニ取って来て食わせたる」と孫息子が泣きながら言う。ズガニは谷の川で取れるカニで、みきばあさんはズガニをご飯といっしょに炊いたのが大好きだった。
 呼吸器を止め、抜管すると、みきばあさんは声を出した。「わかっとるで、ありがとう。おかあちゃん、おるか。あんやはおるか、姉さん、おるな」
 

「生き返った。なんだあ、テレビドラマみたいだな」と長男が呟いた。次から次に親戚の人たちが自分の名を言い、手を取った。
 

一時間後、再び血圧は下がり、仲の良かった姉や妹、そして孫たちに死に水を取ってもらい、病室いっぱいの人たちに見守られて、午後11時55分に、みきばあさんは息をひきとった。