父親の起源


父親は不思議な存在である。
母親は哺乳類の出現と共に誕生したが、サルの社会にも、父親はいない。
サルからヒトへの道程の中で創造されたきわめて社会的存在。
それが、父親なのである。


男と女が結婚し、そこに子供が生まれると、女は母親になり、男は父親と呼ばれる。

しかし赤ちゃんにとっては、母親の存在と父親の存在はかなり違う。母親と赤ちゃんはすでに10ヶ月以上の関係を持っている。生まれたばかりの赤ちゃんは、何の疑いもなく母親の乳を飲み、母親の胸に抱かれて静かに眠る。

一方、男は新生児をおそるおそる抱き上げたときから、父親になった実感を持つが、新生児にとって男はまだ父親ではない。新生児にとって自分を保護し、快を与えてくれる存在は、母親一人で十分なのである。新生児は母親に依存し、母子一体の世界を作る。そこには父親が介在する余地はまったくない。

生き物、特に哺乳類の系統を見れば、そこには父親が存在していない事実に気づく。母子関係は哺乳類の出現と共に誕生するが、父子関係は、はたしていつ誕生するのであろう。

現在地球上には、さまざまな形態の家族がある。じかし、たとえ夫が妻や子供と同居しない社会にも、また一夫多妻が行われている社会にも、父親は存在する。

人類社会に普遍的な父親という存在は、ヒトがサルから別れたときに突然出現してきたとは、考えにくい。おそらく、父性の萌芽は類人猿の時代に準備され、初期人類が確かなものとして確立したのであろう。はたして、父親を創造する鋳型とは何だったのだろうか。

そのヒントは、現在のサルの社会に残っていると考えられ、ゴリラの父性行動がヒトの父親創造に深く関係しているとは、十分考えられる。そこでゴリラの父性行動を観察してみよう。

ゴリラは、一頭のオスと複数のメスが、基本的な集団を作る。そのオスとメスたちは、長期にわたって配偶関係を維持し、成長した息子が、その集団を乗っ取ったり、娘が母親を追い出すことはない。

そのため、ボスゴリラであるシルバーバックとその子供たちの関係は、思春期になって子供たちが集団を離れるまで続く。息子たちは、シルバーバックと共に群を守り、シルバーバックが老齢な場合は、成熟した息子が集団に残り、しだいにシルバーバックに代わってリーダーシップをとるようになる。しかし、息子がシルバーバックに対して優位に振る舞うことはないため、シルバーバックがメスの支持を失うこともなく、死ぬまで群の核としての立場を維持できる。

まるで人間の父子関係を彷彿とさせるが、シルバーバックは、乳児にはほとんど関心を示さず、積極的に自分から世話をすることもない。離乳時期が近づいた幼児が、シルバーバックに関心を示すようになって、初めて子供との親密な関係が始まるのである。

乳児は次第に母親から離れ、年上の幼児たちと共にシルバーバックの側で過ごす時間が長くなり、完全に離乳する頃には、母子関係よりシルバーバックと子供の関係の方が密接に密接になっている。5歳ぐらいになると、自分でベットを作り始める。

こうして、子供の依存対象は母親からシルバーバックに移ってゆく。シルバーバックは、メスが赤ちゃんを抱いて近づくことで、その子供の存在を認知する。そして離乳期の世話を、母親から任されることで、子供を密接な関係を築いていく。まさに、母子双方の働きかけによって、シルバーバックは子供との絆をつくってゆくのである。

母親が群から離れたり、死亡して孤児になった子供も、シルバーバックは優しく保護する。、まだ母親を必要とする離乳期に母親を失った子供を、シルバーバックは優しく自分のベッドで寝かせる。孤児はいつもシルバーバックの側にいて、何かトラブルが起こると、シルバーバックの腹に抱きついて、不安を静める。しかし、シルバーバックは孤児に特別目をかけて育てることはしない。

母親は自分の子供に味方する傾向があるが、シルバーバックは、特定の子供をえこひいきしないので、孤児も母親のいる子供も、対等につき合う事を覚えていく。彼にとって、すべてが等しく自分の子供なのである。

こうしてみると、シルバーバックの存在は、子供たちを母親の庇護のもとから引き離し、対等な社会交渉を学ばせる役割を果たしている。

そして、年老いたシルバーバックに代わって、リーダーシップを取り始めた息子も、同じような行動をする。この新しいリーダーは、子供の兄に当たるが、その行動は父親であるシルバーバックと同じなのである。新しいリーダーは、やがて母親の違う妹たちの間に、自分の子供を作るが、自分の弟や妹に当たる幼児と自分の子供を差別することはない。

シルバーバックの庇護のもとで育った多くの子供たちは、思春期が近づくと、だんだんとシルバーバックと距離を置いて生活するようになる。息子は次第にシルバーバックとの反発関係を強め、群を離れ、単独生活を行う。しかし、息子は決定的な敵対関係に陥ることはない。

一方、娘は思春期を迎えても、シルバーバックとの比較的密接な関係を維持する。そして、異母兄弟との間に子供が出来、母親になっても、その関係は維持する。しかし、娘はシルバーバックとの間では配偶関係を結ぶことは避け、群の中にシルバーバック以外の成熟したオスがいない場合は、群を出てゆく。残った息子も母親と配偶関係を結ぶことはない。

初期人類は、特定のオスとメスが、長期的な配偶関係を持つ社会から進化してきた。そうであれば、初期人類にも、シルバーバックがもっている父性が存在したと考えられる。

心理学者ユングは母性について、こう述べている。「母性の本質は育て慈しむ事である。しかし、それは底知れない愛育の暗い闇を内蔵し、なにもかも飲み込んでしまう恐ろしさも持ち合わせている。」

この母子関係を切断することが父親の一つの機能ならば、シルバーバックの行為を父親の萌芽とも見ることが出来る。そして、初期人類が持っていた父性とは、母親の育児の負担を減らす行動ではなく、子供たちを長期的に保護し、離乳期にある子供を母親の影響から引き離し、他の子供と対等なつきあいをさせ、社会化することだったのではないだろうか。

そしてたぶん初期人類の社会でも、ゴリラと同じように父性は女が特定の男を自分の子供の父親として認知することから、確立していったのだろう。

しかし、初期人類社会は特定の男と女が常に同居するような、閉鎖的な集団ではなかった。人類は、霊長類が守ってる縄張りを積極的に解消し、異なる集団の同性同士の連帯を強めていった。そのため、父性は同居や近接によってではなく、約束によって保証されなくてはならなくなる。これが人間の父親の始まりだろう。こうして家族が誕生してくるのである。

初期人類が作り出した父親・家族という構造はいまだに私たちが捨てていないのは、この構造がいかに人類の文化のすみずみまで行き渡っているかを物語っている。

だが、ミッシャーリヒが「父なき社会」を著した1963年頃より、社会の構造として父親の不在が指摘されていた。

日本ではその後、ほとんどの父親たちが経済活動に専念し、母子関係が濃密になってゆく。本来母子関係を切断し、対等な社会関係を教えるべく登場した父性が、今その機能を失いつつあるのだ。そして、父親を喪失し、母性に飲み込まれつつある恐怖を敏感に感じ取った子供たちは、その暗い闇の中で苦しむ。

父性がその本来の機能を果たせなくなったのは、単に父親たちが経済活動だけにかまけているためだけではない。社会約束として強化されてきた父親の役割が次第に消滅する傾向にあるのだ。

社会的父性が死滅するのは時間の問題かもしれない。しかしそれは、父親と同時に社会的母親の消滅をも意味する。人類ははたしてその混沌に耐えることが出来るのであろうか。

父親の消滅は、人類にとって必然的帰結なのか。人類はもはや家族を必要としないのか。社会的父性が消滅した後、そこに残るのは、生物的母子関係と父親になれない男たちである。

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