治る医療、殺される医療


医者からの警告


小野寺時夫(元多摩がん検診センター所長)

私が医者になってからちょうど40年目に当たる。改めて短い人の人生を考えるこの頃であるが、この40年間に医業を金儲けのためにと考えたことは一度もなく、及ばずながら患者中心の正しい医療を推進するために精一杯努力してきたつもりである。

この40年間に日本の医療は勿論著しく進歩したが、しかし、患者の人権を尊重し、厳しい評価を受けながら科学的に正しい診療を物心両面とも良い環境で行うことでは、欧米先進国の40年前に未だ遠く及ばないと考え、残念で残念でたまらない。

たまたま良い病院の良い医者に当たれば、技術的には世界一流の医療を費用の個人負担が比較的少なくて受け入れられるが、一般的には病院や医者による格差が著しいため、必ずしも良い医療を受けられないし、悲惨な結果になる危険度も少なくない国である。

日本の医療は薄利多売的で、質を問われることは少なく、密室的世界で行われる傾向が強いため、質の低い医療や不適正医療もかなり多い。

老人対策が著しく遅れたため、多くの老人が老人病院に収容されているが、ほとんどの老人病院の本質は病院という営利企業で、数々の病名をつけられ金の鳴る木とばかり利用されていることも珍しいことではない。また今日でも、精神病患者が病院によっては目を奪いたくなるようなひどい体制で管理されている。また救急車の行き先で人命が左右される。

こういう現象にも関わらず、明治政府の権力で西洋医学を普及させた歴史的な過程、権力や肩書きなどに弱く強調を重んじる国民性、戦後の驚異的経済発展のおかげでわずかな個人負担でどこでも誰でも診療を受けられるようになったことなどが関係して、国民の多くは、病院や医者は誠意を持って正しい最新の診療をやってくれるものだと過信し、また長い物に巻かれて抵抗しない人が多いと思う。したがって、病院や医者の評価力がなくその選択に積極性がないため、二流三流の低レベルの診療を受けている人が多いと思う。

病気の時適正な医療を受けることは人生の重要事であり、文化の代表的なものの一つである。良い医療を受けるためには、まず日本の医療の現実を良く理解していて、その上で病院や医者選びをしなければならない。その一助になるように、医者の立場から、主として自分の体験に基づいて日本の医療の真相を色々な面から述べている。…

重病になればなるほど、病院や医者選びは極めて重要なはずである。国民皆保険制度で狭い国土に交通網の発達している日本は、近い地区の病院にこだわらず、良い病院を求めてどこへ行って診療を受けることもさして困難ではない。良い医療を受けるためには患者の努力も不可欠なのである。

折にふれてマスコミなどが日本の医療を非難しているが、近い将来急に行政が素晴らしい医療改革をしたり、医者が突然立派に変身することはあり得ないことで、医療費の負担は次第に増加するのに医療の質は更に悪化する危険さえもある。

患者側が良い病院良い医者選びに熱心になれば、ベッドの過剰と医者過剰状態になりつつあることも関係して、日本の医療は確実にしかも速い速度である程度改善すると思う。政界、行政、金融界を改革しようとしても、個人の力ではどうにもならないが、医療は個人個人の努力の集積で改善が可能なのである。

このために、この著書が少しでも役立つことを期待して、大人げないような文であることを承知で書いたのである。誰がどう非難しようと軽蔑しようと、読者がどう解釈しようと、具体例はすべて私が経験した事実で、これでも控えめに述べたつもりである。こと人命を扱う医療に限り、良くない事でも日本式に曖昧にしておくべきで、辛辣な批判を避けるのが常識的で品格があるとは、私にはどうしても思えない。

欧米先進国で、自由主義や民主主義と同じように患者の人権を尊重する質の高い医療やインフォームド・コンセント(診療に関する医者の説明と患者の選択)も人民が長い歴史を経て勝ち取ったものであるが、日本人は与えられないことに対して不満は言うが、自ら勝ち取ろうとする積極的態度に欠けるように思えてならない。良い医療を望むなら患者側の努力も不可欠なのである。


一度限りの短い人生