一度限りの短い人生
  


自然史から見た人生


 東北の寒村の早春、庭先の残雪のすぐそばに、生き生きとした水仙の新芽が固い土を押し上げて出てきたのを見つけて、幼な心にも生命の息吹や自然の神秘に感激した。小学校に行ってから、先生に蝉の生涯で地上の生活が信じられないほど短いことを聴かされて驚き、それから蝉を捕まえるのをやめた。遊び相手が少なく一人で野山を散策していることが多かったためか、昆虫や小鳥を捕まえる欲望とこの世に短い生を亨けている生物としての共感とが錯綜していた。
 

私の唯一の趣味は登山だが、高山の頂から遠くにかすむ町を見ながら、そこで大勢の人があくせくと働き、また公害を生みながら短い人生を送っていることを考えたりしていることもある。高山の山小屋に泊まると、輝きも数も一段と増している美しい星を見ながら、何万年、何億年前に発せられた光だと改めて考えたり、無限の意味がよく理解できないと思っていたり、宇宙の一生物として自分の存在を再確認したりしている。
 

果てしない大宇宙にも、その中の美しい地球にも、そのうえに生きている人間にも、想像もできないほどの長い歴史があって今日に至っている。大自然は揺るがすことのできないきまりに従って永久に変化し続けている。

人間の知力がいかに発達しようと、太陽を西から昇るように変えたり不老長寿でいたりすることはできない。宇宙ロケットが月や火星への着地に成功したり、遺伝子の組み換えに成功すると、人類が自然を支配しつつあると考えている人がいるが、大脳の発達した動物が、自然のきまりを利用したごく些細なことに成功しているにすぎないのであろう。路傍のタンポポ一輪咲く自然のメカニズムの方が、そう言う事とは比較にならないほど精巧である。
 

近代文明の進歩とともに、人は自ら作った複雑で繁忙な社会の中に組み入れられ、強制的にベルトコンベアに乗せられて生きているような部分が多くなった。レールの上に乗ったようにして成長し、やがて現代社会の渦の中に巻き込まれて、時々怯えながら夢中で生きている。

人為的なストレス過剰のため心身の異常を来す人が増え、不自然な生活が引き金になって突然死するひとさえもいる。がんなどで余命いくばくもないと知ってから、はじめて人生を切実に考え直して、「自分の人生は何だったんだろう」と遅すぎた後悔をする人も少なくない。
 

人も大自然の一部である。地球上における生物の誕生や進化の時間的な面から人間の人生を考えてみると、言われる通り実にはかない。地球上に最初に生物が出現したのは40億年近く前で、海底に噴出する硫化水素を利用するバクテリアの発生だという。酸素は原始生物にとって猛毒だったが、逆にこの酸素を利用して生きる生物も現れた。やがて数々の特性を持つ数多くの原始的超ミクロ生物が寄り集まって共同で生きていくために細胞を作り、更にこの細胞が集まって共生する動物へと進化した。
 

10億年前頃から多種類の動物が生まれて著しい進化を続けた。地球に陸地ができると、海中動物のあるものは強い動物の餌になるのを避けるためか河川に移動した。

動物の心臓や骨格筋の収縮にカルシウムが必要であるが、河川の水は海水に比べるとミネラルの含有量が少なく、カルシウムは十分の一しかない。また河川は緩やかな海中と違って激流が多かった。ある動物は次第に丈夫な骨特に脊椎を作ってカルシウムの貯蔵庫にするとともに激流にも耐えられるように適応した。その中のあるものは、陸上に上がろうと努力してついに成功し、またその中から空中を飛ぶことに成功するものも次々と誕生した。
 

400万年前、アフリカに地殻変動が起こり、東西にわたって山脈ができると、西側は雨が少なく草原化した。森林で樹上生活をしていた猿が、餌を求めて残っている森林を探して長距離移動をしたり、動物を追いかけて捕らえたりしなければならなくなり、やがて、それに適応して二本脚で歩くようになった。人類の祖先の誕生である。

現代人と骨格も脳の大きさもほぼ同じ人間になったのは10万年近く前で、ほぼ地球全域に分布していたようである。10万年といっても、実感が湧かない。現代人誕生から10万年を仮にトイレットペーパー65メートルもの一巻とすると、人生80年は約6.8pとなりお尻も拭けない。しかし、考えようによっては私どもは地球上の生物として40億年プラス80年、人類として10万年プラス80年を生きている、ということにもなる。

束の間生きて、やがて次の世代の人にバトンを渡すことになる。