第6章:英国の秘密実験


1993年2月、ロンドン

海洋生物学のジョン・サンプター教授は、一面識もないシャープ教授に勇気を奮い起こして、電話した。男性生殖の分野の最高権威を相手に、環境中のエストロゲンが男性の生殖と関連しているかもしれないという問題提起をしたのだ。

リチャード・シャープは、エストロゲンが人間の生殖障害の原因かもしれないという仮説は、まだ発表していなかったが、まったく違う分野の一面識もない人間が同じ結論に達していたことに驚いた。

ジョン・サンプターがこの結論に達するまでには、数年前に遡る。ロンドン北部を流れるリー川の実地調査で、サンプターらは偶然興味深い発見をした。

オスの魚がメスのような奇妙な特徴を示していたのだ。その魚から血液を採取して分析したところ、思いがけない結果が出た。オスが、メスの卵黄タンパク、ビテロゲニンを大量に産生していたのだ。ビテロゲニンは白色乳状の物質で、メスの卵巣で卵細胞に卵黄を形成するのに使われる。通常のオスの体内では作られないので、普通なら考えられないことだ。

リー川のオスの魚の血中のビテロゲニン濃度は極めて高く、通常の10万倍にもなっていた。その値は産卵期のマスのメスと同程度であった。血中タンパク質の半分以上が卵黄で、オスがメスのように振る舞っていた。要するに、通常なら精子を産生するはずのオスが、あたかも卵巣を持ち卵黄を産生しなければならないメスのごとく、生理的に完璧な変化を遂げていたのである。

さらに奇妙なことに、変化は下水の排水口付近で最も顕著だった。このことが、人間が作り出した下水に魚を雌性化する力があるのではと考えるきっかけとなった。

その後、この問題を認識しているのは彼らだけでないことがわかった。英国政府は以前からこの事を知っていたのだ。1970年代後期、釣り人が雌雄同体の魚の存在を環境庁に報告したのだ。農水省のローストフト研究所の科学者が、下水処理施設のすぐ下流にある養魚場で、オスの魚のビテロゲニン値が大きく上昇していることを発見した。

ローストフト研究所とブルーネル大学の研究チームは、研究をさらに進めるための資金援助を環境庁に打診した。まもなく、官民一体のプロジェクトが生まれ、ユニークな実験が開始された。彼らの目的は、下水処理施設からの放流水に魚を雌性化する性ホルモンが含まれているかどうかを見極めることだった。

下水処理施設からの放流水に3週間さらされた魚は、回収されて血液サンプルが採取され、分析が行われた。その結果は、オスの魚の卵黄タンパク(ビテロゲニン)値はきわめて高かった。ビテロゲニンはエストロゲンに反応して誘導されることから、この結果はオスの魚がエストロゲンに様な作用をする何らかの物質にさらされていたことを、強く示唆した。

彼らは全国的な調査に取りかかった。そして結果は全国規模で、影響が拡大していたのだ。

彼らは、この結果を「ネイチャー」に発表しようと、論文発表の意思を環境庁に伝えたところ、彼らは驚くべき事実を知らされた。研究は機密扱いにされていたのだ。つまり、水道会社の横やりで、論文発表は不可能であったのだ。

彼らの「微量有機物化合物が魚類に与える影響」を題した報告書は政府の役人へ提出され、機密扱いの印を押されて保管庫へ納められたままとなった。

1993年、環境庁のスポークスマンは「ホライズン」の取材に対して、研究結果の機密扱いとしたのは国民の反応を懸念したからだと答えた。

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