第7章:増加する容疑者たち


1991年、ボストン

ボストンのタフツ大学医学部の研究室で、アナ・ソト教授とカルロス・ソネンシャイン教授は、乳癌の基礎研究に取り組んでいた。彼らの研究は、エストロゲンがいかにして乳癌細胞を分化・増殖させるかというテーマであった。

女性の体内で分泌されるエストロゲンが乳癌の重要な危険因子であることは、以前から知られている。エストロゲンにさらされる期間が長ければ長いほど、リスクは増大する。初経が早い、閉経が遅い、子供を産んだ経験がない、あるいは産んでも母乳で育てなかった女性は、乳癌に罹る危険性が高くなる。これらの要素はいずれも、女性が一生の間に浴びるエストロゲンの量を増加させると考えられている。

ソトとソネシャインは、エストロゲン暴露と乳癌の関係を解明するために、乳癌細胞の増殖を研究していた。彼らはMCF-7株という特殊な乳癌細胞を培養していた。この株は、エストロゲンが存在するときのみ増殖するという特殊な性質でよく知られていた。

ところがある日、エストロゲンが存在しないはずの培養器内の乳癌細胞が急速に増殖していた。彼らは何らかの汚染を考えたが、原因は不明だった。しかし実験用のチューブを変えてみると、細胞の増殖が起きなかった。

どうやら謎のエストロゲンはチューブから滲み出しているらしい。彼らは、農薬や工業用化学物質の一部に弱いエストロゲン様作用があることは知っていたが、プラスチックからエストロゲンが溶け出すとは聞いたこともなかった。

製造会社に連絡し、プラスチックの製法を変えたことを突き止めたが、それ以上は企業秘密を盾に情報提供を拒ばまれた。

そこで彼らは、マサチューセッツ工科大学の化学者に依頼して、謎の物質の構造を確認した。それは「ノニフェノール」と呼ばれる化学物質だった。

ノニフェノールは工業製品や家庭製品に広範囲に使用されている。用途が広く、資質と結合しやすく流動性にすぐれているために、塗料や工業用洗浄剤、潤滑油、化粧品、農薬、プラスチック製品などの添加物として使われている。

さらに悪いことに、ノニフェノールはアルキルフェノールの一種で、その仲間は数多く存在する。アルキルフェノールはおよそ100種類ほどあり、そのいくつかは広く使用されている。

1991年秋、ロンドン。偶然の出来事からアルキルフェノール類の一部にエストロゲン様作用があることを発見したというソトらの報告は、ジョン・サンプターの研究の行方にも大きな影響を与えた。下水処理施設からの放流水中にかなり大量のノニフェノールが含まれていたからだ。



カリフォルニア スタンフォード大学


スタンフォード大学のフェルドマンは「進化の道程を単細胞生物の酵母にまで遡って、ステロイドホルモンとレセプターの仕組みが発見できるか」という研究テーマに取り組んでいた。

フェルドマンらのチームは、実験室で培養した酵母細胞のタンパク質が、エストロゲンと結びつくことを発見した。これは酵母細胞がある種の原始的なエストロゲンレセプターを持っている可能性を示唆した。もし酵母にエストロゲンレセプターがあるなら、すくなくとも、酵母はそれに結びつくホルモンを産生できるはずだと、彼らは推測した。そしてついに、人間の持つのと同じ17β―エストラジオールを検出した、と思った。

だが、一つ問題があった。彼らが確認したエストロゲン様物質は17β―エストラジオールだったが、違う培養液を用いた実験試料の一部に、エストラジオールがまったく含まれていないのに、エストロゲンと同じように増殖反応が検出され、何か別のものが存在していた。

興味深いことに、ポリカーボネート樹脂製のフラスコで加圧滅菌しただけの水にも反応が出た。彼らは、汚染の原因を追及し、エストロゲン類似物質は、実験用の水の滅菌に使ったポリカーボネート樹脂プラスチックのフラスコから溶けだしていることを発見した。その物質を精製し、分離した。汚染源は「ビスフェノールA」だった。

同じ時期に、サンプターのチームがプラスチックからエストロゲン作用を示す化学物質をもう一つ発見した。この三番目の化学物質のグループは、フタル酸化合物であった。

こうして、プラスチック製造に使われる三種類の化学物質が疑惑の対象となった。

第一は、ノニフェノールやオクチルフェノールなどを含むアルキルフェノール類で、おもに工業化学物質の界面活性剤として使用される。

第二は、ビスフェノールAを含むビフェノール化合物で、おもにポリカーボネート樹脂の製造に使用される。

第三は、ポリ塩化ビニルなど各種プラスチックに含まれているフタル酸化合物だ。

戻る


このホームページのホストは です。 無料ホームページをどうぞ!