利己的な遺伝子とは何か


中原英臣・佐川峻

ブルーバックスB-890(講談社)


まえがき


中国の古典「韓非子」は、マキャベリの「君子論」の東洋版と言われているが、そこに流れる中心課題は「人間は利己的である」という永遠の真理である。キリスト教における原罪、仏教における我欲といった思想も、明らかに人間が利己的であることを認めている。

本書の目的は、ドーキンスがどのような権謀術数によって、今までの進化論を乗り越えたかについて、わかりやすく解説することである。それと同時に、遺伝子が少しでも自分自身を増やすために行っている権謀術数がいかにすごいものであるか、知ってもらいたいと思っている。

ただ、筆者たちはドーキンスの利己的な遺伝子に対して全面的に賛成するつもりはない。しかし、現代進化論「韓非子」ともいえる「利己的な遺伝子」は、驚くほど魅力的に輝きを放っている。そこでわれわれも、ほんの少しばかり権謀術数を用いることにする。それは、自分自身がドーキンスになったつもりで、筆を進めることにする。


利己的な遺伝子説はダーウィン説


19世紀の偉大な科学者チャールズ・ダーウィンをぬきにして、進化論を語ることはできない。ダーウィン進化論をぬきにして、この本の目的であるドーキンスの利己的遺伝子について語ることはできない。
 
なぜなら、ドーキンスは、その著「利己的な遺伝子」の1989年版の前書きの中で、
「利己的な遺伝子説はダーウィンの説である。それを、ダーウィン自身は実際に選ばなかったやりかたで表現したものであるが、その妥当性をダーウィンは直ちに認め、大喜びしたと私は思いたい。事実それは、オーソドックなネオ・ダーウィニズムの理論的な発展であり、ただ目新しいイメージで表現されているだけなのだ。」と、はっきり述べている。

ダーウィンの進化論を簡単に要約してみよう。一般的に言うと、生物は、生き残って子孫を作る個体の数よりももっと多くの子供を作る。そのため、生まれてきた子供の間には厳しい生存競争が起こる。しかし、生まれる個体の中には変異を伴ったものがいる。ダーウィンは、こうして生まれる個体差、あるいは個体変異を重視したのである。

個体の変異は、生存競争の中で有利に働くことがある。その結果、有利な変異を起こした変種は、そうでない個体よりも生き残る可能性がほんのわずか高くなる。こうしたプロセスが何世代、何万世代という長い間繰り返されることによって、その変種が、その種の中で多数を占めるようになる。こうして新しい種が誕生すると言うわけである。


利己的遺伝子への道


1.ハミルトンの血縁進化説
  
肉親同士はお互いに強い絆で結ばれていることは人類共通の事実である。親と子はそのさいたるもので、親たるもの、我が子のためならば自分の命を捨てることさえある。

イギリスの生物学者、W・D・ハミルトンは、この問題を遺伝子の観点からとらえた。

彼は1964年に「社会的行動の遺伝的進化」という論文を発表して、その数学的定式化を試みた。ハミルトンの説を要約すれば、「血縁者を助ける行動を引き起こすような遺伝子は、淘汰上、有利であり、個体群内で広がる傾向が強い」と言うことになる。

つまり、血縁利他的主義が動物界で普遍的に見られるのは、すべての動物がそのような行動を起こす遺伝子を持っているからである。このような遺伝子は、最初は少なくても、長い淘汰の間に、そうでない遺伝子をおしのけ、個体群内で、広がり、遂に、全面的勝利を収めるというわけである。

ここで注意したいのは、ダーウィン進化論と違い、淘汰上有利なのは個体でなく、遺伝子だとハミルトンが述べていることである。

自分を犠牲にして、血縁を助ける利他的行動は、少なくともそれを行う個体にとって損失以外の何物でもないが、その個体の遺伝子から見ると、利他的行動は得になると言うことである。したがって、個体が行っている利他的な行動というものは、実は遺伝子にとっては利己的な行動ということになる。

遺伝子は、他の個体よりも自分とよく似た遺伝子を持った個体、すなわち血縁である個体が危険になったら、自分を犠牲にしても助けることによって、自分に近い遺伝子群を集団的に防衛するということである。

ハミルトンは、血縁を助ける遺伝子というものを考えた。その遺伝子は、自分と同じ遺伝子を持っている可能性の高い血縁者を助けることによって、その遺伝子をたくさん残そうとしているのである。そのためには、遺伝子は、時として自分の乗っている個体を犠牲にすることさえする。遺伝子にとっては、自分が入っている個体を犠牲にしても、自分自身の遺伝子の繁栄からみれば、その方が得策だからである。

2.ドーキンスの利己的な遺伝子
 
 ドーキンスは1976年、「The Selfish Gene」という本を出版し、その中で、利己的な遺伝子という概念を世に問うたのである。その彼のアイデアは二つの柱からなる。

遺伝子は究極のところ、自分自身を増やそうとする行動のプログラムであること。そして、もう一つは、生物は、そのプログラムを実現するための器、もしくは乗り物にすぎないということである。

ドーキンスの利己的遺伝子は、ハミルトンの血縁淘汰をもう一歩前に進め、普遍化したものである。つまり、ドーキンスの考え方によれば、一見したところ、どんな犠牲的な行動、利他的な行動も、遺伝子にとっては利己的で合理的な振る舞いでしかないということである。

3.スミスとゲーム理論
  
ドーキンスによれば、遺伝子は徹底的に利己的であり、自分を繁殖させることが至上の目的のようである。もしそうなれば、遺伝子は、自然界で演じられる「生き残り・増殖ゲーム」のプロフェッショナルだということになる。だから、遺伝子による行動を遺伝子のゲームと見なすと、生き残りのための最適な戦略が駆使されていると、想像することができる。

イギリスの生物学者メイナード・スミスは、このような観点から、遺伝子による行動にゲームの理論を適用してみた。彼が提唱したもっとも重要な概念は「進化的な安定な戦略」(evolutionally stable strategy)(ESS)である。ESSの最も簡単な例は、有名な「タカ・ハトゲーム」である。


生物は遺伝子の乗り物である



生物が親から子へと受け継いでいくのは遺伝子である。個体は寿命が来ればあっけなくこの世を去るが、遺伝子は子孫に受け継がれていくのだから不滅であるといえるだろう。

個体は、この不滅の遺伝子の乗り物にすぎない。生き残ろうとしているのは、個体ではなく遺伝子なのである。そこでドーキンスは遺伝子のことを、自己複製子と名付けている。

ドーキンスによれば、自然淘汰とは、この自己複製子が個体という姿を借りて行う生き残りゲームである。ゲームをうまくやれる自己複製子は自分のコピーをたくさん残せるので、増殖することができる。うまくやれない遺伝子は滅びる。

遺伝子とは文字通り、生物が親から子へと性質や形を伝えるためのものである。今では、遺伝子はDNAという化学物質であることがわかっている。DNAを構成している塩基の並び方により、いろいろな遺伝情報が保持されている。

しかし、遺伝子の働きは、これにとどまらない。遺伝情報を保持する遺伝子は構造遺伝子と呼ばれているが、その遺伝情報を実際の形質として発現させる途中で、調節遺伝子などが働く。調節遺伝子とは、遺伝暗号の発現を抑えたり促進したりといった調節を行う遺伝子である。さらに最近、ホメオティック遺伝子という遺伝子が発見されて話題となっている。

ここ10年間ほどの間に、遺伝子は遺伝のみならず分化(器官形成)の面でも重要な働きをすることが明らかになった。では、個体の形質のみならず行動までも支配しているのであろうか。

ドーキンスによれば、個体は遺伝子の単なる乗り物なのであるから、もちろん、行動もその支配下にあるということになる。

ハミルトンやドーキンスは、現在、ある生物が存在しているのは、その生物の遺伝子が自然淘汰で生き残ったからだと主張する。

しかも、その遺伝子の目的はただ一つ、これからも生き残ろうとすることである。

こで決定的に重要なことは、遺伝子の目的は唯一、自分自身が生き残ることであって、単なる乗り物にすぎなり個体の生き残りではないということだ。

このことから、ドーキンスの主張する「自己犠牲」という行動の合理的解釈が生まれてくる。簡単にいうと、個体の自己犠牲的行動とは、あるグループの遺伝子(自分のコピーもしくは血縁)が自分たち全体の利益を計るために分乗しているある乗り物を、犠牲にすることに他ならない。つまり、全体のための部分犠牲である。

「個体は遺伝子の乗り物」、「自己犠牲」につづく、ドーキンスの第3のモチーフ、「延長された表現型」とうい概念がある。ドーキンスはこの概念を、「遺伝的遠隔作用」とも表現している。

遺伝子は自分の生き残りのために個体どころか、種を越えて、他の生き物をコントロールする場合がある。これを、延長された表現型としている。


利己的な遺伝子からミームへ



1. 親子の絆も遺伝子が決める

ドーキンスによると、遺伝子には自分自身を保存するという至高の目的があり、動物の個体はそのための機械のようなものであるということになる。こうした視点に立ってみると、親子の関係も、今までとはかなり違ったものになってしまう。

親が子供を育てるという行為も、単に親子の愛情などでなく、親と子供の間における利己的な遺伝子の戦いの場であるという見方が必要になってくる。

2. 男女の愛も遺伝子が支配

自然界における動物の行動、特に求愛行動に関する多くの観察によって、交尾の相手になるメスを巡るオス同士の争いや、メスが、自分の愛のパートナーになるオスを巧妙に選んでいることがわかりはじめている。

オスの精子は大量に生産されるのに、メスが作る卵子は栄養分を必要とするために、どうしても少ししか作られないことになっている。オスは次々にメスを見つけて交尾をすれば、自分の子孫をいくらでも作ることができる。それに対して、メスは、いくら交尾を繰り返しても、増やすことのできる自分自身の子供の数には限りがある。

ところが、オスにはいくらでも繁殖のチャンスがあるといっても実際にパートナーになるメスの数に制限がある。そのため、オスにとってメスは、自分の子孫を増やすための貴重な資源になるわけである。こうしたことから、オス同士がメスを巡って争うことになるのである。

何といっても、一生の間にメスが生むことのできる子供の数は少ない。そのためにメスは、自分の子供に対してより多くの利益を与えてくれるオスを選ぶことになる。オスを選ぶ権利がメスにあることは、こうして説明できる。

ドーキンスは、動物達の求愛行動に基づき、人間の男女関係をも考察している。人間の男性には家庭第一タイプと浮気タイプがいるが、洋の東西を問わずほとんどの女性は、相手の男性が将来にわたって誠実さを守る約束をしない限り、なかなか結婚に踏み切らないようである。

このことは、女性がたくましいオスを選ぶよりも、家庭第一のオスを選ぶという戦略を採用していることを示唆している。

人間社会では、多少の例外はあっても、一夫一妻をとっている。一部の女性から反論はあるにしても、子育てについては、男女間に大きな不平等は存在しないものと思われる。確かに母親は、父親よりも直接的に子供の世話をすることが多いかもしれなしが、父親は子育てに必要な物質的な資源を手に入れるために、間接的な役割を分担しているのである。

それでも、男性には浮気っぽい乱婚的な傾向があり、女性には一夫一妻を維持しようという保守的な傾向が認められる。最も人間の場合、動物よりもはるかに伝統や文化といったものに左右されるかもしれないが、やはり、メスは自分の卵子を大切にするという進化論的な説明が当てはまりそうだ。

3. 文化的伝達の単位「ミーム」

衣服や食物の様式、儀式、習慣、芸術、建築、技術、工芸、これらすべては、歴史を通じてあたかもきわめて速度の速い遺伝的進化のような様式で進化するが、もちろん実際には遺伝的進化などとは全く関係がない。しかし、遺伝的進化と同様、文化的な変化も進歩的であり得る。

ドーキンスは、遺伝的進化と文化的進化のいくつかの類似性を指摘した上で、生命が誕生した30億年も昔から地球上に存在した遺伝子という自己複製子のほかに、最近では新しいタイプの自己複製子が登場していると考える。しかも、この新種の自己複製子は、まだまだ未発達であるが、現在かなりのスピードで進化しつつあるというのである。

ドーキンスは、この新しく登場した自己複製子である文化的伝達にも、遺伝子と同じように何らかの名前を付ける必要があるという。文化的な伝達の単位というか、あるいは模倣の単位となるような新しい言葉が必要であるというのである。

ドーキンスは、ギリシャ語で模倣という意味の単語「mimeme」であることから、新しい文化的遺伝の単位を「meme(ミーム)」と命名した。「ミーム」という単語は、遺伝子を意味する「gene(ジーン)」とも発音が似ているというわけである。

遺伝子が精子や卵子によって生物の個体から個体へと運ばれるように、ミームは模倣というプロセスを介して脳から脳へと伝えられていく。

遺伝子とミームを比較してみると、まず第一に、ミームは遺伝子よりも伝達のスピードが遙かに速いという特徴がある。遺伝子の場合、その情報は親から子供に伝達される。そのために、遺伝子は一回伝達されるのに、どうしても一世代がかかってしまう。それに対してミームは、世代とはまったく関係なく、多くの脳の中に伝達できるのである。

ミームの第二の特徴は、遺伝子が親から子という血縁同士にしか伝わらないのに、ミームでは、群の個体同士なら血縁とは関係なく伝達されることである。そのため、ミームは時間的だけでなく、集団的にも遺伝子よりずっと多くの個体間に広がることができる。

最後に、ミームの場合、遺伝子よりもコピーミスが多いという特徴がある。そのため、ミームによって伝達される文化的遺伝の方が変化するチャンスが増えることになる。

こうした特徴から考えると、遺伝的進化よりも文化的進化の方が、将来的には大きな可能性を秘めているのかもしれない。

4. 神も遺伝子がつくった?

我々の祖先は、太古の昔から時間と空間という概念に気がついていたようである。時間と空間という概念を持ち、未来や過去という意識に目覚めると、死後という未来の世界や歴史という過去の世界が気になり始める。そうなると、まず自分たち人間の祖先について知りたくなり、死んだ後に何があるのかという疑問をもつのは当然のことである。

さらに、空間という概念からは、空や海の彼方に何があるのかということに興味を示すようになる。輝く太陽や夜空の星の動きが気になり、地球上に生きている動物や植物にも目がいくようになる。

神話というのは、人類がそうした自然、生命、宇宙といった不思議なことについて説明するために誕生したと考えられる。ギリシャ神話に出てくる神と星座の関係は、まだまだ何もわからないわれわれの祖先が残した宇宙論だったのかもしれない。また、死後の世界についても、天国や地獄というように、それは宇宙と密接な関わりを持っているのである。

そして、多くの神話にもっとも共通しているものが民族の誕生である。どの神話でも、神によって創られた人間という設定は変わらない。民族の誕生が神の手による産物であるという説明は、今から思うと進化論の第一歩であるといえそうである。

こうして作られたいろいろな民族の神話に共通性がみられることは、人間の脳の中にミームが存在していることの証明のような気がする。

神の姿は絶対に見えないし、神の声も決して聞くことができない。ドーキンスは、こうした神の誕生にもミームが深く関わっているという。神は人間という動物の脳の中にだけ存在するもので、それは非常に強い伝達能力をもったミームという状態で実存しているというのである。

神のミームというものは、血縁を越えた多くの人たちの心をまとめることのできる力をもっている。ほとんどすべての人間の心の中には、神のミームを何らかの形で受け入れる用意がされているようだ。人口が増加し人間社会が巨大化すると、やがて神というミームは、民族単位の神話から世界的規模の宗教へと進化する。

宗教というミームは、信仰によって成立している。信仰が盲信へと進むと、すべてのことを正当化できるようになる。ある人が別の神を信じる異教徒なら、盲信はその異教徒に死刑さえ宣告することができる。盲信というミームは、あらゆる手段で人の心の中に増殖していくものである。困ったことに、盲信というのは、宗教的な盲信だけとは限らない。政治的な盲信や文化的な盲信があり、こうした盲信にも同じようなミームが存在するのである。

人間が持っている生物学的な形質はすべて遺伝子によって子孫に伝えられる。生物としての人類の未来は、遺伝子に支配されているというわけである。しかし、そうした人間が作り上げた社会や分化を子孫に伝えられるものは、遺伝子でなく脳なのである。

ただひたすら増え続けようとする遺伝子と、少なくとも未来に対するビジョンを持つことのできる脳の争いが、ドーキンスにいうように、人間の脳の勝利に終わることを心から期待したいものである。


最後に


  
私たちには、私たちを生み出した利己的遺伝子に反抗し、さらにもし必要なら私たちを教化した利己的なミームにも反抗する力がある。純粋で、私欲のない利他主義は、自然界には安住の地のない、そして世界の全史を通じてかつて存在したためしのないものである。しかし私たちは、それを計画的に育成し、教育する方法を論じることさえできるのだ。我々遺伝子機械として組み立てられ、ミーム機械として教化させてきた。しかし我々には、これらの創造者にはむかう力がある。この地上で、唯一我々だけが、利己的な自己複製子達の専制支配に反逆できるのである。

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