DNAに魂はあるか


フランシス・クリック


講談社


私の言う「驚くべき仮説」とは、あなたーつまりあなたの喜怒哀楽や記憶や希望、自己意識と自由意志などーが無数の神経細胞の集まりと、それに関連する分子の働き以上の何者でもないという仮説である。

この仮説は、殆どの人達の考えとは相容れないものであるから、あえて私は「驚くべき」と名付けた。

人間が、この世界の本質、とりわけ人間自身の本質に対して抱く関心は、時代や民族を越えたものである。有史以前にさかのぼってみても、ていねいに埋葬された人骨が地球上のあちらこちらで発見されているが、これはとりもなおさず、人間の本質に対する人々の関心の高さを示している。

殆どの宗教で、肉体が滅んでも魂は残る、と考えている。魂がなければ、肉体は動くことはできない。そして人間が死ねば、魂は肉体を離れてゆくが、そのあと魂はどこへ行くのかー天国へ行くのか地獄へ行くのか、ロバになるのか蚊に生まれ変わるのかーについては、宗教によって考えが違う。ちなみにバイブルとコーランとは好対照だが、それは神の啓示の違いによる。

しかし一つだけ、すべての宗教に共通のものがある。それは、人間には文字通り魂があるという信念である。この信念は現代の人々の間でも広く、しかも強力に支持されている。

しかし私の考えは、人間の心―脳の働きーは、神経細胞およびそれに関連する分子の相互作用で説明できると、というのがまさしく私の科学的な信念なのである。

この考えは多くの人々にとっては驚くべき概念だといえよう。自分自身が一組の神経細胞の働き以上のものではないということは、容易に信じられまい。

なぜ、この驚くべき仮説が人々を驚かせるのか。私は、三つの理由があると思う。まず第一に、人々が還元主義に抵抗を感じるからである。還元主義とは、一つの複雑なシステムをいくつもの部分に分けて、その部分の働きと、部分同士の相互作用とによって、システム全体を説明する方法である。数多くの活動段階に分かれたシステムの場合であれば、部分への還元は何段階にもわたって行われる。そして、ある部分の働きが、さらにそれの部分となる働きとその相互作用で説明される。たとえば、脳の働きを知るには、まず神経細胞どうしの多くの相互作用を知る必要があり、さらにここの神経細胞の働きには、その細胞を構成するイオンや分子の働きから説明されなくてはならない。

この還元の手続きはどこで終わるのか。幸い、それにはおのずから停止する段階がある。化学的にみた原子のレベルがそれである。原子の内部には、陽電荷を持った重い原子核があって、その周囲にを、陰電荷を持った電子の雲が取り巻いている。

そして原子の化学的性質のほとんどは、その原子核の電荷によって決定される。電荷以外の原子核の性質は、原子の化学的性質には殆ど影響を与えないのである。

さて原子核の質量と電荷は、この地球という穏和な環境では全く変化しない。したがって原子核の内部構造は、化学にとっては全く知る必要のない知識である。

「驚くべき仮説」がなぜ奇妙に思えるかの第二の理由は、人間の意識の本質にある。例えば、私たちの意識には外部の鮮明な画像が映る。この画像も単なる神経細胞の働きでしかないと信ずることはカテゴリーの過ちを犯している、と言われそうであるが、そうなのだろうか?

これまでも哲学者たちは、特に「普遍的特質」―例えば赤い色の赤さや痛みの痛さをどのように説明するのかーの問題に興味を持ってきた。これは大変やっかいな問題である。人間は、自分が感じた赤い色の赤さをそのまま正確に他人に伝えることなど、できないからだ。

このように、私たちにはものごとの特徴を明瞭に描写することがもしもできないのだとしたら、還元主義の言葉でそれらの特徴を説明するのは困難になる。しかしながら、これは、あなたが赤い色を見ているという時の「神経相関」(私たちの思考や感情、感覚、行動と深く結びついている神経細胞の振る舞い)をあなたが説明できなくなる、ということではない。

もしかしたら人間は、自分の脳のある種の神経細胞(あるいは分子)が一定の活動をしたときにのみ、「赤」を感じているのかもしれない。

さて私の仮説が奇妙に思える第三の理由は、人間の意志は自由でなければならないとする否定しがたい感情と関係がある。

脳、すなわちこの途方もない神経製の機械はどうやって生まれてきたのだろうか。脳を理解するには、脳が、自然淘汰による長い進化の過程の最終産物であるということを理解しなくてはならない。

私たちが両親から受け継いだ遺伝子は、数百万年にわたる祖先の経験の影響を受けている。このような遺伝子の指令によって、脳の構造はすでに私たちの誕生以前に大部分ができあがっている。現在明らかなことは、生まれた瞬間の脳は白紙の状態ではない、ということだ。精巧な脳の部分の殆どは、生まれたときにはすでにしかるべき位置にきちんと収まっている。こうして、あらかた準備の整った装置が、誕生以降の経験によって調節されてゆくのである。

こうして脳は、「生まれ」(nature)と「育ち」(nurture)によって完成された脳となる。このことは、私たちの言語を取り上げてみれば明らかである。複雑な言葉を流暢に操る能力は、人間だけに備わる特別な能力である。類人猿をいくら訓練しても、言葉を上手に操るようにはならない。そして人間が覚える言葉は、その人がどこでどのように育ったかによって大きく違ってくる。

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