別れの言葉

早崎 和也

みなさんこんにちは。

亡くなった本人から肉声でお別れを言うなんて、聞いたことがないですよね。しかし、少し変わった告別式でもいいんじゃないかと思って、こうしてテープに入れています。本日は非常にお忙しいところ、たくさんいらしていただきましてありがとうございます。せっかくの機会ですので皆様に私の今の気持ちをお伝えし、お別れの挨拶にしたいと思っております。


今日は平成8年1月16日、火曜日でございます。そうしてテープに入れようという気になったかというと、今日、交換台に電話致しましたところ、「先生、口がおかしいんじゃないですか」と言いますし、女房に電話したら「あなた口がどうしたの。口がおかしいわよ」と言います。昨日まではそうはなかったのですから、おそらく明日、あさってと病勢は進行状態だろうと思います。となりますと、今日を除いて皆さんにこのようなお話を出来る機会はないんじゃないかと思っております。


私が今度の病気になったのは、12月30日、済生会熊本病院の心臓血管センターのゴルフ大会で、非常にこの日は寒かったのですが風邪をひいたんです。それがきっかけじゃないかとは思っております。もちろん、ゴルフを企画した人を恨んでるとかそんなことじゃないんです。その日の夜、風邪を引いてどうしても普段とは違った寒さを感じましたし、下痢と腹痛に悩まされた正月の三が日でした。


幸い、下痢と腹痛は治ったのですが、どうしたことか頭痛がとりきれませんでした。それは、私が普段から頭痛がない人間ですので不思議だったのです。で、1月12日の金曜日、この日は私の外来日でしたが、私は月曜と金曜が外来日で、次の月曜日の15日が成人の日でため非常に混んでいたんです。私、こんなこと今までしたことがないんですが、もうこのままだったら自分が死んでしまう。それに、会話のない外来はしたくないからと言うことで、なかにはいやがる患者さんもいらっしゃいましたが、3ヶ月に1回の予約外来にしましょうと言って、その時は予約外来を半強制的にお願いしました。
そして外来を終わったんです。午前中の外来が終わったのが午後2時40分でした。午後の予約外来が2時半スタートでしたので、少しは後ろにずらしましたが、昼ご飯もはとんど食べることなく午後の予約に入りました。どうしても頭痛がとりきれませんでした。で、CTをレントゲン技師の人にお願いしました。


その結果を見てびっくりしたのですが、撮ったレントゲン技師の和田君がもっとびっくりして、人違いじゃないかと思ったくらいでした。それは右の大脳半球の三分の一くらいが黒く写っていたのです。素人の方には分からないと思いますが、これは脳梗塞とか脳浮腫の所見でした。すぐ、脳神経外科の藤岡正導先生を呼びました次の検査を頼みました。


藤岡先生は脳腫瘍じゃないかと内心思っておられたと思いますが、造影剤を使ったり、MRIという検査をしまして診断を進めました。もう脳がかなり腫れまして、脳質がかなり潰れ、右の脳が左側に張り出していたくらいの感じでしたので、私はことの重大さを生命の危険性をその時に悟りました。


MRIを受けながら考えていました。幸い、脳腫瘍でなかったのですが、私は医師会の講演に行ってから入院するというのを、藤岡先生に、「そんなことは絶対だめですよ。すぐ入院してください」を、入院が始まりました。今日で入院4日目ですが、頭痛はあまりとれません。ということは、脳浮腫がとれていないということですので、病気は進行性にあると思わざるをえません。


このような声を聞きますと、皆さんは私が弱気になっているんじゃないかと思われるでしょうが。そうではないのです。私は、ここに大勢の患者さんがいらしていると思いますけど、その患者さんをいつも励ましていました。


死を目の前にして夜も眠れない患者さんに言ったものです。「何ですか、誰だって死は怖いんですよ。しかし、死を恐れて眠れないことは決してプラスにならないじゃないですか。死を恐れる前に生きる努力をしたらどうでしょうか。生きる努力を精一杯して、その結果は神様に預けましょうよ」と。


また、心筋梗塞になって生命の危機に瀕している患者さんの家族が部屋に入って来るなり、その重篤さを見て涙を流したり、「お父さんがんばって、あなたがんばってよ」という声を出される方がいます。私は、その時は家族を外に出していました。そしていつも怒っていました。みなさんが今したことは、何をしようとしたんですか。本当にご主人やお父さんを愛していたんですか。愛していたなら、あんな言葉は出ないでしょ。だって本人は、自分はもう駄目じゃないかという気持ちで今治療を受けているんですよ。そこで涙を流されたり、興奮させたりしたら、「あぁ、自分はやはり重篤な病気なんだな。だめだんだな。」と思うでしょ。だから、「本人の前では涙を流さず、笑顔で接してください。普通の雰囲気で接してください。泣きたいときは外に出て泣けばいいでしょう。」と言ったものです。


このようなことを言いながら、自分が死に直面したときに、どのような気持ちで対処できるのかまだ自身がありませんでした。


消化器関係の先生達はいつも言います。癌の告知はまだまだ日本でやるべきじゃないと。しかし、私はいつも思っていました。自分が癌だったら言って欲しいと。しかし、その反面、働き盛りで元気な状態で死に直面したときに、自分の精神面をコントロールできるだろうかという気持ちもありました。


今度はその病気の大変さをみて、私は死に直面したわけです。私がしたことは、病院に対して私が担当している心臓血管センターの部長として後にいろいろな仕事を引き継ぐことでした。また、副院長として考えることを病院側に伝えてあげることでした。で、そのほかにも自分のそれぞれ担当している部署に自分の長期的な戦略をお話しすることでした。家族には、自分に万が一があったときにどうするかを女房にも、また長男の剛典や次男の浩二、長女のみきにも伝えておきました。


私のこのような動きに対して、弱気になったという人がいましたが、決してそうではありません。死に直面したとき、私は生きる努力をしたいと思いました。ただ死ということも、当然その生きる努力の結果として可能性がありますので、その場合に自分が動揺しないようベストの手を打って、その後、生きる努力をしようと考えたわけです。そのような意味で私は今まで四日間を申し送りと引継の体制を相談しました。


私についてきてくれた職員の皆さん、私がですね、残念だとか悔しいという思い出、今このテープに入れている訳ではありません。また、なかには働きすぎてと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、私はそんなふうには全然思っていません。


今まで、朝早くから夜遅くまで一生懸命に仕事をしたのは事実ですが、これは、私は私についてきてくれた人達にはみんなに言っていました。「この努力は自分たちのためにするんだよ。その結果が病院にプラスになることなんで、病院のためにしている。病院の犠牲になっていると考えちゃいけないよ」と。


ですから、私は働きすぎた、働かされすぎたという気持ちはありません。私は今まで一生懸命生きてきたように思います。そして、前向きの人生を歩んだように思います。あれをやっとけばよかった。あの時、ああすればよかったという気は、今のところ本当になくて、あぁ今まで生きてきてよかったなぁという思いがいっぱいです。


私についてきてくれた患者さん、私は健康のことをいつも言ってきましたよね。そうなかで皆さんより早く死ぬなんて、早崎は嘘ばっかり言っていると思われるかもしてません。


しかし、それは違うんですよね。私は今、90歳まで健やかに生きるという本を、熊日から頼まれて書いています。果たして、出せるかどうか分かりませんが、それでも、私はもし時間的な余裕があれば、出したいと思っています。
その理由なんですね、茂市ふぉお話ししたいと思っています。それは、もし仮にですね、「皆さんと一緒にハワイマラソンを完走しましょう、その努力をしましょう」と言った場合ですね、それに向けて2年、3年と頑張って、さはハワイに出発しました。そしてマラソンに出ました。といいてもですね、トップ集団には絶対入れません。それはなぜかというと、先天的な素因が我々にはないからなんですね。つまち。トップ集団になるには親から受け継いだ体質がないとできない。なれないんですね。しかし、完走することはできるとおもうんですよね。


これは健康でも同じでして、百歳とか百五歳とかまで生きるのは努力の限界を変えています。九十歳までは健やかに生きることができる。


しかし、その努力をしても完走できない人だっているでしょ。例えば、足のけいれんを起こしたり、腹痛を起こしたりして完走できなかった、準備をしたけれどもできなかったといこともあります。つまし、九十歳まで長生きする方法をとったとしてもですね、その目に予測が出来ない病気で死ぬ人もいます。
私だって同じです。予測できない病気でした。世の中には、原因が分かって、その原因を取り除く努力をすれば、九十歳まで長生きできるということもありますし、原因が分からない病気もあります。原因が分からないのでは、予防策をたてられませんよね。また、予測が全く出来ない病気の場合、どうしようもありません。ですから、私は九十歳まで長く生きるという本は決してかっこよくないですね、まやかし的に書いたつもりじゃないんです。


九十歳まで生きるってやはり努力しなくちゃいけまでんが、努力すれが何とか達成できます。可能性を上げるという意味だと思うんですよね。こういうことをしちゃ、長生きできませんよというのを取り除いていきましょうということですよね。それが食養生であるし煙草をやめるとか血圧をコントロールするとか、太りすぎをやめるとか、人生の生き甲斐をを持つとか、ストレスフルな生活を考慮するとか、そういうことだと思うんですよね。そういうことが一つずつ解決すれば、九十歳まで健やかに生きられるんじゃないんでしょうか。そういうような本にしたいな私は思いました。


しかし、こうことをやっても、なかには不測の事態で亡くなる人もいる。私の外来にいらしている皆さんには、早崎がそのようなことをいいながら死んだら嘘を言っていると思われるかもしれませんが、決してそうじゃないんですよね。不測の事態はしょうがない。甘んじて受けるしかないと思っています。


どうか今から、私が常日頃言っていたことを大切にしてですね、長生きしてください。そして、長生きするだけじゃなく生き甲斐を持って、死ぬときにああここまで生きてよかったなぁ、という人生であるように願っています。
54歳で亡くなるというのは決してつらいことではなく、神様が決めたことですので天国に生きますが、今まで生きていてよかったなぁという気持ちでいっぱいです。
ただ、心配なのは後に残された女房や子供です。特に女房は私をここまで精一杯支えてくれました。東京女子医大に熊本から旅立つときも、車を売ってそれこそ着の身着のままで勉強に行くような感じです。それに対しても女房は何一つ不安がらずついてきてくれました。今までの自分があるのは女子医大時代に築いた8年の循環器病学の基礎があるからだと思っております。私なりに後のことはちゃんとしたつもりですが、何せ女手と後は子供だけですので、何とか皆さんのお世話になることが多いと思いますが、どうかよろしくお願いしたいと思っております。


また、甲佐の両親も息子の私が先に逝くとはさぞかしつらいだろうと思いますが、ご近所の方もよろしくお願いします。


職員の皆さん、それから私の友人の皆さん、患者の皆さん、親戚の皆さん、それから私を大切にしてくださった皆さん、どうか生き甲斐を持って健康な道を歩まれますようにお祈りしています。


私がここまでこられたのも、また、曲がりなりにも人間的に少しは大きくなれたのも、ここにいる皆さんのおかげだろうと心より感謝しております。


それではさようなら。


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