ピラール市(ニェエンブク県)



東パラグアイの南西に在るのがニェエンブク県、その中心都市がピラールです。パラグアイ河に沿った交通の要衝として栄えたのでしょうが、近年は陸送が主体となり、また港湾設備も十分で無い事から発展から取り残されています。



ピラール市(2006年11月18日) :PIRAL Neembucu
ピラール市は東パラグアイの南西端に位置しているニェエブク県の県庁・中心都市です。パラグアイで主な都市を挙げると必ず名前が出て来る街で、パラグアイに住んでいる者であれば誰もが知っているのですが、意外に訪問した人は多くありません。訪問した事がある人に「どんな所?」と尋ねますと「静かで良い街」との答えが返って来ますが実際に訪問するまではイマイチ具体的なイメージが湧きませんでした。

人口は広い県全体でようやく8万人程度、ピラールだけですと現在の人口は3万人弱(2002年で28,000人)だと思います。パラグアイの他の都市と比較して人口の伸びは非常にゆるやかなようです。この街の人に理由を尋ねますと「仕事が無いので一度アスンシオンやアルゼンチンに行くと戻って来ない」からだそうです。若者を中心に社会的人口流失は進み、ほとんど引っ越して来る人が居ないのが実情のようです。隣の県に在るエンカルナシオン市は欧州・日本などからの移住者が多数住んでいますが、このピラールは対照的に昔からこの街に住んでいる人の町、要するに「パラグアイ人の町」と言えます。古くから住んでいる人ばかりでよそ者がほとんど居ないのが特徴、アジア系の住民も数人なのだそうで、街を歩きますと多くの人から注目を集めます。

ピラールの名前は要塞の支柱というような事から来ているようです。この街は1779年ポルトガル人のペドロ・メロによって創設されたもので、最初はポルトガル人の要塞であったようです。

アスンシオンからピラールに行く場合にはエンカルナシオンへ向かう国道一号線を230キロ、ミシオネス県の中心都市でああるサン・イグナシオから4号線に入り130キロほど行った場所にあります。この国道は長い間舗装されておらず、全線が舗装されたのは今から8年くらい、ワスモシ大統領の頃なのだそうです。現在はほとんど自動車が通らない、割合に平坦な道がピラールに向かってほぼ直線的にあります。サン・イグナシオからしばらくミシオネス県内はほとんど牧場で、更にニェエブク県に入りますと湿地帯と潅木が広がっています。

ピラール市は外界、他のパラグアイの地域から隔絶されているような状況にあり、地元の人の話では「ピラール共和国」と揶揄しているそうです。顔見知りばかりという事もあり、治安はパラグアイの中でも最良との事で自動車の盗難などは聞いた事がないそうです。自動車は窓を開けて鍵を付けたままで駐車しているものもあり、非常に治安が良いと実感しました。のんびりと過ごすには最適な場所かも知れません。



(写真:国道4号線・ニェエブク県の景色)

ピラールに向かい街の5キロ手前くらいまではほとんど人家がありません。4キロほど手前に街の入口の標識があり、左に直角カーブしています。



(写真:市内入口の様子)

働く街というのがこの都市のキャッチフレーズなのでそうで、働く人のモニュメントがあります。



(写真:働く人のモニュメント)

しばらく行きますと175メートルの川があり、こえを越えますと市街地です。



(写真:市街地手前の川に架かる橋)

ピラールと言いますとパラグアイ随一の繊維工場がある事で知られて居ます。ある意味では企業城下町的な色彩もあったようです。聞くところではピーク時には1800人くらい居た労働者が働いていたそうですが、現在は700人程度なのだそうです。理由を尋ねますと「機械化が進んで人が要らなくなったからさ」とのこと、ここまでグロバリゼーションの波が押し寄せているようです。以前と比較しますとこの街でのこの会社に頼る非常は下がっているのでしょう。



(写真:パラグアイ随一の繊維工場)

街はパラグアイ河に面しています。河が主要な交通手段であった時代に発展したものと思います。アスンシオンからは下流で、反対側はアルゼンチンです。フェリーがあるそうで簡単にアルゼンチンに行けるそうです。物によっては同じようなものでも両国でかなり値段に差が在る場合があるそうで、その時には対岸に買物に行くそうです。現在は食用油等が人気のようです。

また河川が増水し幾度か洪水に見舞われた歴史があるそうです。特に被害が大きかったのは83年だそうで、この時には市街地の大半が浸水したそうです。被害を防ぐ為に現在では堤防が築かれています。



(写真:パラグアイ河の様子-01)



(写真:パラグアイ河の様子-02)

市街地に入ると数本の中央分離帯がある二車線道路が平行して走っており、都市として区画がしっかりしています。



(写真:市街地-01)



(写真:市街地-02)



(写真:市街地-03)



(写真:市街地-04)

大通りも少し中心から離れますと自動車の通行は少なく馬がゆっくりと走る姿が見られます。



(写真:市街地-05)

市街地の中央にバスターミナルがあります。バスの停車する場所が3箇所だけの小さいもので、市では移転の準備を進めているそうです。アスンシオンからはエンカルナセーナ等のバス会社が定期便を運行しており約6時間で行けます。



(写真:バスターミナル)

市街地から少し離れますと落ち着いた街並みが広がります。



(写真:市内の様子-01)



(写真:市内の様子-02)



(写真:市内の様子-03)



(写真:市内の様子-04)



(写真:市内の様子-05)



(写真:市内の様子-06)



(写真:市内の様子-07)

少し行きますと舗装ではなくなります。道路を見ますと土では無く砂になっています。パラグアイ河に沿って発展した街であり、砂が堆積しているのでしょう。



(写真:砂道-01)



(写真:砂道-02)

市内には幾つかの大きな教会があります。



(写真:教会)

緑が多く、色々な花が咲いているのが印象的でした。このようなのどかな都市というのは非常に良いですね。癒される街と言えます。



(写真:樹木や花が多い-01)



(写真:樹木や花が多い-02)



(写真:樹木や花が多い-03)

また市内の各所に人物像ががありました。



(写真:人物像-01)



(写真:人物像-02)



(写真:ハチドリのモニュメント)

パラグアイの中でもここの人はのんびりと暮らしているように見えます。宝くじ売りのおばさんもテレレを飲みながらおしゃべりしています。後ろにハンバガー屋が見えますが、この小さなハンバガー屋の庭先は夜になると客で一杯になるのだそうです。



(写真:宝くじ売り)

街を散策していますと学生が多いと感じます。通学は自転車と自動二輪で、という生徒が多いようです。



(写真:学校-01)



(写真:学校-02)



(写真:学生の多くが自動二輪もしくは自転車通学)

さて、食の方ですがなかなか良いレストランは無いようです。中心部にあるレストランに入りましたが、料理が出て来るのに55分かかりました。注文があってから材料を買いに行っているのではないかと思います。ほとんど外食する人が居ないのかも知れません。



(写真:市内のレストラン・外観)



(写真:市内のレストラン・内部)

ここのお勧め料理はここで取れる魚とハムなどを一緒に揚げたものなのだそうです。確かに美味しかった。値段は22,000グアラニ、約450円です。この街からするとかなり高いものだと思います。



(写真:料理)

市内には目を見張るような観光地はありません。近郊には三国戦争の古戦場があるそうですが、それもそれほど古いものでは無く、話の種程度のものでしょう。ここはコンセプシオン、ビジャリカと並んで昔ながらのパラグアイがあるように思います。コンセプシオンに似ているという人も多いのですが、あちらよりは文化的で生活水準も高いように見えます。

日本から来てこのような街に来ますと落ち着いて過ごせると気に入る方も多いのではないかと思います。日系人は居ませんが、治安も良く街も手頃な大きさですので、自転車でも手に入れてのんびりと滞在するには理想的な街だと思います。「日本人が行かない穴場に行きたい」という方には良いでしょうし、バックパッカーの方にはここから簡易フェリーに乗って対岸のアルゼンチンに抜けて行くのも良いかも知れません。

健康的で明るい街ですが発展からは取り残されているのも事実です。グロバリゼーションの時代、新しい発想での産業が起きればこの街も劇的に変化する可能性があると思います。一番停滞しているからこそ発展の可能性があると思っています。



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