開発・観光政策は勝手に転換した

 奈良の開発や観光についての奈良県の政策が大きく変化しようとしている。しかも何も県民に明らかにされ論議されることなくだ。相変わらず「寄らしむべし知らしむべからず」がそのまま当てはまる閉鎖的な行政だ。

 「観光などいくらも稼いでないのに」ある掲示板で見た発言だ。しかし奈良県の観光客は平成9年度で3711万人を数える。観光としての区分はされていないが、奈良県のトップ産業サービス業に大きく貢献している骨格だと言える。少し古いが平成7年度の国勢調査就業者総数665,774人中サービス業174,258人(おろし売り小売業、飲食店を含まない)、26.17%。
 しかもこれは私たちの地場産業なのだ。新住民の方はよく理解してほしい。大阪に依存した奈良府民という気持ちの方は実に多い。しかし出稼ぎだけでは暮らしていけないのだ。何としても地元産業が必要なのだ。自治体は決して依存だけでは成り立たないのだ。柱となるような自立策が必要なのだ。

 奈良県は、けっして産業優先ではなかった。高度成長期でも化学石油など大工場も誘致しなかった。電機や食品などのみかなり選択していた。第一次全国総合開発計画の工場誘致地域指定の募集に手を挙げなかった唯一の都道府県でもある。指定されたところはこの時四日市、堺市といずれも自然を失った公害の街となった。水俣なども工場は戦前からあるが指定地だった。当時の奥田知事は「奈良県は公害工場は誘致しない」と明言した。全国の公害問題が大きくなったときでも奈良県は無縁だった。

 それは豊かな文化財と共存する事を選んだからだ。それで観光が中心になってきた。時代を先取りしていた。そういう誇りがある。ところが、99年に万葉ミュージアムで明らかになってきたように県側の姿勢がおかしい。最早工場の時代ではない。しかしあらゆることで文化財や景観を守る姿勢が薄れたようなのだ。

 他にも、幹線道路に面した土地だけ40mに高さ規制を緩和する構想がある。ずっと奈良盆地に壁があちこちにできるような異様な景観ができるのだ。

 そして99年12月年末に明らかになったのが、平城宮遺跡に京奈和自動車道をトンネルで通そうという計画だ。この遺跡は後発掘に100年かかる。最大の問題は木簡が地下水によって1200年保たれてきたということだ。明らかに大きな影響がある。奈良県内では今までにも工事で水脈が絶たれた、植物が枯れた、井戸が涸れたという障害はごく日常的だ。中には第二阪奈トンネル工事で東大阪の高台の集落の井戸が涸れ2千万以上かけて市が上水道を敷設したという例がある。少し前では新生駒トンネル工事で生駒市の100m上の民家2軒をすっぽり陥没させたという例まである。全ては補償で解決してきた。しかし木簡は補償で済ますわけにはいかないのだ。
 この計画の主体は建設省だ。しかし県は既に内諾している可能性がある。実は99年始めから平城宮遺跡をどう通過するのか早く案を出してほしいと言ってきたのだ。今の奈良県が反対することなどきちんと住民が反対しない限り無いだろう。

 一つに、奈良県の地場産業は二本の柱からなっていたが、観光と並ぶもう一つの柱の農業が実は壊滅的な打撃を受けている。それは奈良県農業は大阪圏の近郊農業として野菜や果物を中心に作ってきた。ところが明石海峡大橋の完成により淡路島という農業地帯がより近くに出現した。そのためにまるきり競争力を失ったのだ。全国で一番早い県単一農協の発足は、それが原因なのだ

 それでもう奈良県の地元産業は観光しかないことになる。しかもより金の稼げる大産業化を目指しているようだ。このことの周辺機関からの一つの提言として、これからの観光政策は施設的に金をかけていこうと、奈良県の地方銀行南都銀行系のシンクタンク、南都経済センターが99年に提言している。
 万葉ミュージアム問題で明らかなように今の状況はこういう提言もあったせいなのか観光とそれに付随する文化財・景観規制を緩和しようという政策の転換が勝手に行われているとしか思えない。それならちゃんと県民に相談すべきなのだ。

 どう生きるかは私たち県民の決めることであって勝手にやるなということなのだ。


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