
教育とはビンタすることだと懐かしのY先生。
初めての人。といってもビンタをくれた人なので痛いばかりで甘い想い出になるはずがないのですが、不思議と最初にビンタされその後も一年間で絶対に100発以上は殴ってくれたY先生、歴代の私の先生の中でも最高記録をもつ彼が一番懐かしいのは何故なのでしょうか?
あれは小学校4年になったばかりのころでした。それまで若い女の先生ばかりで優しく甘やかされ我々悪そう坊主はますます増長していたようで、新しいY先生が赴任するその日も机の上から物を投げたりチャンバラしたり私と親友のU君はそれまで三年間同じクラスだったのでなおさらはしゃいで暴れていたわけです。すごい音がして扉が開けられ、そこに仁王立ちした鬼のような顔をした男性が窓も割れんばかりの大きい声で「そこの二人。ここに来い!」と私とU君を睨みつけるのです。大人の怒った顔を初めてみた私たちは足がガタガタふるえ恐る恐る並んで彼の前に立つといきなりU君にビンタし針金のような彼の細い体は2Mくらい吹っ飛び、彼は泣くことも忘れ鼻血を出しています。{こりゃあイカン}と咄嗟に私は腰をふんばり首をすくめビンタを受けたため、私の身体はU君のように吹っ飛ぶ事はなくY先生はそれが憎らしいのかもう一度ビンタしました。{ひええなんでボクだけ}と疑問に感じつつ三回めのビンタで殴られた瞬間わざと右に倒れました。やっとビンタの嵐がやみY先生は教壇に立ち皆を睥睨し「みんな見たか!貴様たち教師をなめんなよ、俺は前の学校でもビンタしかせんかった、物は使わん手でなぐるとぞ。しぇんしぇい(九州弁で先生のこと)も痛かバッテンが・・お前らもよう覚えとけ」と最初の洗礼でみなは言葉をなくし{これからどうなるんだろう?}と子供心に脅えた事を今でもその情景が目に浮かびます。
でも子供のことですから、また翌日から性懲りも泣くイタズラに励むわけですが初日から目をつけられた私は事あるごとにビンタされ毎日ホッペタが真っ赤かの日を過ごし一週間後ついに私は母へ「もう学校いきたくなか!先生が毎日なぐるとバイ」と泣き付き父は「ほう〜よか男バイね。鍛えてもらえ」というのを母がかばい「まあ、そんな力一杯なぐらんでもヨカやんねえ?お父さんには内緒にしとってやるけん休みなさい」という言葉に甘え4日くらいTVばかりを見て幸せな毎日を送っていました。
その週末やってきたのですY先生が。ジャージ姿でスポーツマンらしく我が家のエレベーターもないビルの5階に駆け足しながら玄関にたち、ニコニコ微笑み(学校では見せない笑顔で)母に向い「よかですなあ。こういう階段を上り降りしたら足腰が強うなります。しかし見晴らしもよかですねえ〜ここの窓から立ち小便したらに虹んごとなって奇麗でしょうなあ?節男くん。君はもうやったんやナカと?」と和やかな会話を交わし私が学校に来ないことなど一言も触れずに爽やかに帰って行きました。母はもう一発でフアンになり「男らしくて良い先生やないの?明日から学校に行きなさいよ」といいだす始末で私も自分なりに{彼も厳しすぎた}と反省したんだなと解釈し翌日からまた元気に登校しました。朝、おはようございますと私がY先生に頭をさげると彼は「この卑怯もんがあ、親にいいつけたりしよって根性が腐っとる今からもっと厳しくすっとやからな」といいビンタされその後廊下に投げつけられました。「ダメだ。もういくら親に言ってもこの人からは逃れられない、そんな生やさしい人間ではない」と子供ながらに観念し一年我慢しよう、そうすればクラス変えだと毎日殴られながらしかし面白いことを言って笑わせてくれる先生が不思議と気にいってきたのも事実でした。
早いもので一年があっというまに過ぎ、五年生になりY先生と別れられみんなで「しかし恐い人だったなあ」「もうこれから安心だね」という喜びでいたのもつかの間である日、校内放送でY先生が「今年から相撲部を結成する。今から呼ばれた生徒は 放課後に土俵に集まれ」と言っており一番最初に私の名前が呼ばれました。もう絶望というのは私のためにある言葉ではないかと思うくらい落ち込み、選考にもれたU君なんか天国にでも行けたような晴れ晴れした顔つきで喜んでいました。それから毎朝7時に運動場をウサギ飛びで2周夕方は4時から7時までテッポウやしこから始まる超ハードな稽古で終わった後は給食の残りのパンや牛乳を各自に3個づつ渡し「全部食うまで帰さんぞ。大きくならんと相撲は勝てんとやからな」と{この人は何か勘違いをしてるんじゃないだろうか?}とさすがに我々も恐くなり、小学校卒業まで続けられ成果もあって何度か北九州の大会で優勝できたりと良い思いでもでき努力した結果がでるというのは気持ちがよいもんだと皆で話したことを覚えています。
中学校に入学し離れ離れになった同級生も多いなか、偶然町で会った相撲部の友人が「Y先生が急死したって知っとるか?」と聞いたときそれまで「あんな人死んじゃえばいいんだ」と皆でいっていた私たちも絶句してしまいました。Y先生の「ビンタするしぇんしぇいも痛かとぞ」という言葉にひめられた胸の内もこの年になってやっと分かる訳でやるせなかったですね。
だから私は思うのですが自分が殴られる叱られるというのは理由があるからで、小さい子供に「説明すれば分かる」「暴力はいけない」とかいう方達もいますが(外国はほとんどそうですね)言い方は悪いですがガキ相手にいくら説教しても分かりはしません、馬や犬の調教と一緒で(悪い=叩く、痛い=やっちゃあダメ)という図式のやり方が正しいと思うのです。先生が殴ったからとPTAが騒ぐ、何のこっちゃ?と私は思いますね。毎日殴られた私はどうなるんですか?(近頃あのころ叩かれすぎて私の性格形成に異常がでたのでは?と思うときもあるんです)こういっていながら自分は私の子供を叩けない、変わりに妻が叩くそれも目を覆いたくなるくらい強く。私が止めに入り子供たちは一層私をなめて言うことをきかない。困ったことです、私からすれば本当にいけないときだけ叩きたいわけで、小さなことでは叩きたくない方針がじゃましているのは分かっているのですが、ああ〜Y先生はやはり体罰の達人だったなあと懐かしく想い出し考えこんでしまいます。
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