第六話 

  母親から聞く自分の昔話は懐かしいより情けない。

 


   今年一月久々に日本に帰国し郷里の福岡にも帰ってきました。今回は母親を南米へ連れてくるのが目的でパラグアイに着くまで30時間近く飛行機で話す機会もあり、その母の話す私の昔話に「まあ〜よくそんなこと覚えとるもんバイねえ」と感心しつつ懐かしくまた「オレってなんでこんなにトラブルばっかり多いんだろう?」と情けなくなりながらも忘れないうちに又経験話に書いてみました。(懲りないよねぇ・・・)

 あれはもう20年くらい前ですか、東京の大学から帰省した私はそのころ引っ越したばかりで山のがけっぷちに建てた家に「なんでこんな所に家を建てたんだろう?(詳しくは第一話参考)」と父を恨みながらやっとのことバスを乗り継ぎたどり着いたのです。荷物も下さないうちに母親から「お父さんがトマト買ってくるの忘れたけん、あんたちょっとバイクで買ってきてよ」と頼まれブツブツ不平を言いながらも小雨が降り出した山道をバイクで町まで買い物に出発しました。(素直だったなあ〜あのころ・・)

 バイクの走りもよく快調に坂道をふっ飛ばしながら次第に快感を覚えるバカな私はいつのまにかスピード100kmを超していたのですね。その山で一番急な勾配の坂に差し掛かってくるあたりで{そういえばまだブレーキ使ってないな}と前ブレーキを握ればなんと!錆付いて動かないのです「ひええぇ〜」と驚きながら渾身の力で握るとブッチという音と共にワイヤーが切れてしまいました。もう慌ててしまいギアを二段ぬきでチェンジしたため後輪がロック、おまけに下り坂で絶対やってはいけない後輪ブレーキも踏んでしまいバイクは暴れ馬のように揺れ左に見える50mのガケへ突進していきました。

 もう何をしたらいいのか分からずパニックの中で何メートルか前方に電信柱が見え「やべえぇ」と思った私はスロットルを開いて(あとで考えると天才的行動でしたね)自分は右方向に転がりおちました。アスファルトをごろごろ転がりながらバイクが電信柱に激突し火がでるのをコマ送りのスライド写真のように見ながら「俺ってOO7みたい」とこの場におよんで考えていたアホな私を神様も呆れたのか、しばらく気を失ったあと手が動きだし頭を触り足もついてるラッキー!生きてるんだと全身激痛の中、血だらけで立ちあがりました。

 バイクはどうなっただろうか?と捻挫した足をひきづりながら電柱にぶつかったバイクを見ればハンドルが伸びてシートに突き刺さっており「うう〜んあのまま乗ってたら腹に突き刺さってたな」とゾーとしながら置いていくのももったいないのでバイクを押しながら近くに住む友人宅まで行ったのです。

 しばらく歩いていましたら、なんと100メートル先から走ってくる友人3名が「どうしたんかぁ?心配しとったとぞぅ〜血だらけやないかオマエん家に電話したら町に出たちゅうから通り道でみんな待っとったんやぞう」と言い{うんうん、やっぱ持つべきものは友情だな}としみじみしながら涙がでそうになってしまいました。「いやあ良かったぞ、マージャンしたかったとやが、一人足らんけんオマエが帰省するとを待っとったとタイ」という言葉に唖然としましたネ感動した私はバカでした。それでやらなきゃいいのに又卓を出してきて並べていたらマージャン牌に血がつき我が友人は「おいおい牌汚すなよぅ〜オレが積んでやるけんオマエはつもって捨てとけ」という厚き友情に目頭が熱くなりました。(なんなんでしょうか?こいつらって。。)

 怒りのためか何か死ねなかった者が持つ特有の運なのか、私にはすごい大物の手ばかりが入り鬼のようなツキで30分間あがり続けやがて呆れた皆が「こりゃあイカン、節男はやっぱケガして可哀相やけん今日は止めよう」とまだやりたかった私を車に乗せて家まで送り返してくれました。熱き友情と勝負事の非情さを身にしみるほどあじわった訳です。

 母が遅かったねと言いながら玄関に立つ私を見てびっくりし「あんた又買ってやったばっかりの服汚してから、もう絶対買ってやらんけんね。今フロ沸かしたけど汚れるけんアンタは最後に入りなさいよ」と怒るのです。私はもしかしたらこの家の子ではないのかも?と悩んだですよ、しばらくは・・。しかし普通何が起こったか聞きませんかねぇ?もう息子の頻繁におこるアクシデントに対して驚きがなくなってしまったんだなと、そのころ私は解釈していましたが。なんだかイヤだなうちの母親が来て妻や子供また知人に私の過去をみーんなバラされみなに対する威厳がなくなってしまったように思うのです。(そんなの元々ないだろうという声が・・)いつ帰るのかなお母さんは、当分いるんだろうなと慄いている私なのです。

 


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