第十話 

 パラグアイのクーデターその夜


 あれはカーニバルの前日でしたが、私は首都アスンシオンで日本レストランを新しく始める顧客に注文された商品を届けねばなりませんでした。リオのカーニバルは有名ですがパラグアイのそれはどんなものか見てみたいこともありこの日に合わせて出発しました。アスンシオンへは330kmと車で4時間くらいなものでいつもなら当時は軍政でしたから兵隊による検問が5個所くらいあり面倒なのですがこの日に限っては行き道全く軍人がおらず「はあ、パラグアイ人もカーニバル前でみんな休んでるんだ、のどかだなあ。」と喜んでいたのですが後で考えてみるとほとんどの軍人達が首都に集結してしまっていたのです。

 レストランの開店までに配達も間に合いマイアミやチリからの魚介類に舌鼓を打ちながら海のない内陸国でこんなものが食べれるんだからパラグアイは大したもんだと皆で感謝しつつ、じゃあカラオケにでも行こうと日本式にくりだしました。カラオケはビルの最上階にありアスンシオンの夜景が一望できる最高のロケーションでいやがおうにも盛り上がりそれは私が歌っている最中でしたがふと外をみると大統領官邸前で戦車が弾を撃ち込んでおり道路では兵隊がどんちゃん騒ぎのような事(実際は本物の銃撃戦でしたが酔っていた私にはそう見えたのです)をやっているのです。

 一緒に行った仲間も窓にはりつき「やっぱ都会のカーニバルは違うってなあ。何たって派手だもの。来て本当によかった」とか「何か本当に撃ち合っているように見えるがなかなか演技力があるべな」などと感動していました。しかしホステスや中国人オーナーの動きがどうもおかしく慌てており何と帰り支度をしているのです、そして我々に「もう帰ってちょうだい、店閉めるあるよ。金いらないサイナラ」と追いたてられるように店から追い出されやっと何かが起きたんだとは理解できましたが、それでもまさかクーデタとはその段階では思いもよりませんでした。 

 外にでると銃撃戦でばたばた人が倒れていき、さすがに我々も危険を感じパニックと化した町中を死ぬ思いで逃れ後はどうやって友人宅までもどったか覚えてないほどでした。それからテレビやラジオをつけても全く放送がなく心配になってエステ市の自分の家に電話をするも平和なようでだれも何がアスンシオンで起こっているか分かってないらしく後ろでゲラゲラ笑って騒いでいる声まで聞こえてきました。何かあればすぐ電話をするように自分の居場所を伝え待機してましたが時が過ぎ益々烈しくなる戦闘機の爆音や大砲の音にこれはただごとではないことが次第に分かってきました。そのうち日本から「アメリカのCNN放送を見てクーデタが起こったそうだが大丈夫か?まだ生きているんだな」と電話が入りやっと事態が飲み込めたわけです。

 そこで慌てたのはその友人宅は大統領私邸のすぐそばで皆が心配するのは、そのうち大砲の弾がここにも落ちてくるんじゃないか?という素朴かつ正直な意見が出てきて、そう言われてみると次第に爆音も大きくなったように感じだんだん皆声もでなくなる位あきらめの境地に達しました。人間というものはある限界を超えると突拍子もない行動にでるもので「今晩はすし食ってカラオケ行って久しぶり日本にいるような気分を味わったんだから、死ぬとき悔いが残らないよう最後は徹夜麻雀をやろう」という意外な展開になり、みな爆弾がおちるたび体をびっくとさせながらも神妙な顔をして朝まで打っていました。

 翌朝、日が昇るとともに爆音はやみ何もなかったかのようにまた静かな町となりパラグアイ人達は庭でマテ茶を飲みのんびりとくつろいでました。その後市内に出てみると昨夜の銃撃戦の後が数多く見られ無残な光景でしたが子供がパラグアイの旗を振りながら走っていたりテキヤのお兄ちゃんが日本の一流メーカーだぞとCANNONのカメラ(本物そっくり。Nが一つ多いだけで贋物とは言えない)を私たちに薦めてきたり普段とほとんど変わらない風景がそこにありました。パラグアイ人は非戦闘的というか大人しいとは聞いてましたが、あまりの平常さに感心しつつその後も又のどかに何もなかったかのように、その日を送っていく国民に大物を感じさせられました。こういう国には戦争とかテロなんかは起こらないだろうし本当の楽園なのかもしれないなあと永住してしまった欲目かもしれませんが、近頃の日本をはじめ世界各国の狂ったようなニュースばかり目にする私には思えてくるのです。


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