第十二話 

 南米における教育


 私にはブラジルとパラグアイで産まれた娘と息子がいますので、今後も南米の学校に行き教育を受けていくことになるのでしょう。私は22歳まで日本で教育を受けながら実社会に出てみると自分が勉強したことなど全く役立たずの状態でしたから決して日本の教育がよいとは申しませんが、南米の教育には閉口させられることが数多くあります。

 まず違うなあと気づいたのは日本では小さな子供が疑問を持って親にいろんな質問をしたりすると誰もが「ああこの子は何でも興味を持って頭がよくなるよ」とほめてくれるものですがパラグアイの一般家庭ではこういうタイプの子供は叱られます「うるさいねえ、いいかげんにしなさい」となる訳で私はいつも子供の味方で「どうして怒るの。疑問を持つことは良いことでしょう答えてやればそれが知識になるんじゃないの?」と言えば彼ら親は「パラグアイでは親を困らすような質問をしてはいけないの!大体子供は親が答えられないような事ばかり尋ねるんだから相手にしない事よ」といつも論争になりますが「ここは日本じゃない」と言われ結局私がおれます。先日もアリ塚を見て私が「アリからすれば何万階の建物を造っているわけで偉業だね。建設期間も早いしまた堅いなあ、アリが吐き出す粘着物でボンドを作ったらどうだろう?」と話したら「本当に日本人って変わってるよね、いつも何か考えているように見える人が多いけどそんな事ばかっり考えてんの?いい大人がアホみたい」と馬鹿にされ情けなくなりました。

 ブラジルの算数の教科書でしたか娘が勉強しているのを親が読んでみると「セルジオくんが道を歩いていたら10レアル拾いました。このお金で1.50のアイスクリームと2.50のリンゴを買いましょう。お釣がでないようにちゃんと使ってね、さて何通り買えるでしょう?」とあったので彼は娘に「何やねん!この教科書はふつう落とし物は先生か警察に届けんか?何ちゅう事を娘に教えるねん全く」と文句を教師に言いに行ったそうですが、とてもよくある状況設定で分かりやすい。また文部省検定の教科書だと答えられ二の句を次げなかったそうです。確かに道徳の教科書ではないので仕方ないかもしれませんが、日本ではこういう教科書を使えば大問題になるでしょうね。

 しかし反面、南米の方達にいつも感心させられるのは語学の才能があるという事でしょう。私と昔一緒に働いていたパラグアイ人の青年は私と寝食ともにし又私が全くスペイン語ができない事もあったからでしょうが約半年で日本語がべらべらに話せるようになりました。寝言も日本語、車ではっとするアクシデントの際も「あん畜生、馬鹿たれが!」{こういう品がない言葉をコピーさせた責任は感じております}などと咄嗟にでるようになりその後日系二世嬢と結婚し今は二児の父です。どうも彼女と結婚したいがために一生懸命に日本語を勉強したきらいもありますが、あの才能は羨ましい限りです。私などはペルーを旅行した際にペルーの靴磨きの男の子にスペイン語が訛ってると真剣な顔で言われ赤面し、アトランタに行ったときもアメリカ人から昔、ニューヨークに移住してきたばかりのお爺さんが使っていたようなしゃべり方をするとか本でも読んでいるみたい10年英語勉強してその位って才能ないんじゃないと同情され日本の語学教育を呪ったほど辛い悲しい思いもしました。

   南米における教育レベルですとチリ、アルゼンチンが高くそれはテレビを見ていますと良く分かります。ドキュメンタリーや教育番組が多いですし一般人がよく本を読んでいます。ブラジルやパラグアイがだからといってレベルが低いと言っているわけではありません、ただ歌って踊って楽しいなという番組が多く大人まで一緒にこういう番組を見ている家庭が多いのです。これは私個人の考えですが国としては教育によって高い理想国家を夢みる人が多くなり思想家だの反国分子が現れないような政策ではないかと感じるときがあります。その例がチリやアルゼンチンであり教育水準が高い故に国民の国政への不満がつのりいつもデモやテロが頻繁に起こるわけで、そう考えてしまうと今のままの方が良いなテロもないし平和だし、ただ我が子には教育もしたいというジレンマで悩んでいます。

 海外におられる同胞でやはり同じ教育問題で悩んでおられる方、どこまで日本式の教育をするものか又南米でもこのように見習うべき教育がありますよと紹介頂ければ参考にしたいのです。習うのは易く忘れるもしかり、ただ教えるという事は非常に難しいですよね


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