第四話 

パラグアイ人は日本人が好き


   ある日、私のお客さんがカラオケに行かない?と誘ってくれました。私も日本から 来たばかりで「えっ!カラオケがあるんですか?」と尋ねるとその方は「隣町です。 今から行きましょう」というので飲むのが嫌いではない私は一緒に出発しました。

一時間たったでしょうか、「もうそろそろ着くんでしょうね」と私が聞くと彼が 「ええもう後180KMですから、すぐですよ」と答え内心{騙されたなあ、これで 隣町っていうのかよー}とも思いましたが彼のベンツは乗り心地も良くすごい 速度で走ってましたからまあすぐかもしれないと考え直し快適なドライブを 続けてました。それから10分くらいしてどうも私は後ろの車につけられている ように感じ「強盗が多いようですが後ろの車は怪しくないですか?」と言えば彼が 「大丈夫、私はいつもマグナムを持ってますから脅してやりましょう」とバッグを 探したのですが家に忘れてきたようで「まあいいです、私のベンツは最高速度 200KMでますから彼らのサンタナじゃあ追いつけないでしょう」と言い ぶっとばすと後ろの車も急スピードで追っかけてきて私たちはこれは強盗だと確信 しました、後は映画のカーチェイスさながらでもう数キロで警察があるところまで 来たときに彼らはライフルで撃ってきました、最初は空砲でしたが私たちが止まら ないので平行射撃にかわり私は助手席で実況中継しながら頭をかがめてました。

もうだめだと判断し停車すると二人の男がよってきて「何で逃げるんだよ」と ライフルを向けられ後ろのトランクを開けるよう言われるがまま開けると彼らは 荷物を一つ一つ見て「何だこれは?」「ワカメです」{これは?」「ラーメンです」 「粉があるだろう、出せ」というのでパン粉を渡すと「何人だお前らは、何なんだ これは?」という具合でどうも様子がおかしいと思いながら「日本人ですが」と 答えました。そうすると彼らは「なあんだ、日本人なの?やだなあ言ってくれれば 撃ったりしなかったのに。私たちは麻薬Gメンで今日東洋のマフィアが麻薬を運ぶ という通報があり、つけていたら急にあんたら逃げるもんだから絶対こいつらだと 確信したんだ、ごめんね。」と謝り私たちも緊張が解けましたが、やはり逃げたの だから一応警察署に来てもらうと言われ連行されました。

着いてしばらくすると署長が現われ「いやあすまなかったねえ。日本人がそんなことする訳ないもんね、彼らも仕事だから許してやってほしい」と謝りマテ茶を出してくれました。それから署長は彼らに「お前ら知ってるか?日本人は偉いんだぞう、悪いことしたら自分で腹を切ったり首切って、小指まで切っちゃうんだよねえ。責任感があるよなあ」と言えばGメンは「ひええ、痛いだろうなあ、良かった日本人じゃなくて」と気持ち悪がり私たちもせっかくの署長の勘違いを否定するのもはばかられ「ええ。そうなんです。」と答えると彼は得意の絶頂で「私の祖父は壊血病で48歳で死んだしパラグアイは昔、野菜を食べる習慣がなく大体早死にしたもんよ。ただ日本人が移住して野菜を作ってくれ市場で買えるようになって私たちもやっと野菜を食べビタミンを取り出したら皆長生きになって俺のおやじなんか80歳だけどまだ元気だ。中国、韓国は商売ばかりで日本人だけだよ百姓やって頑張ってるのは分かったかお前ら日本人は偉いんだぞ。」と言ってくれ商売をしている私たちには面映ゆく早く逃げ出したい気持ちでいっぱいでした。

それから私が持っていたふりかけ、友人が醤油をあげると署長は「これ美味しいんだ、やっぱり日本人はアミーゴだね。よし無事関所を通れるように私が許可書を作ってやろう」と車の前に貼ってくれました。おかげでそれからは関所を通るたびに敬礼されノーチェックで通過でき「水戸黄門の印篭なみに威力がありますね」と喜んで彼はその後もその御加護を受けてましたが、そういつまでも幸運は続かないもので89年のクーデターがあってから軍人は移動され署長も今はどこにいるのかも分かりません。

でもパラグアイには日本が大好きという人がたくさんおり私が聞いた話では120年前からずっと自分の息子に宮様の名前をつけられ現在まで孫、ひ孫あわせたら何人いるか分からないという方が首都アスンシオンにいるそうです。日本から一番遠くて、また近い国なのかもしれないパラグアイなんですね。


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