第四十話 

 南米にまで来るヤクザさんは義理堅いようです。


 あれは日本がまだバブル景気で華やかなころでした。誰の紹介かも忘れましたがある二人の日本人と20歳くらいの娘さんが私に会いにブラジルから来てくれたのです。初対面でしたが二人とも同じ福岡県出身で年齢もほぼ同じですぐに気が合い話しも盛りあがったころ、外見は優秀な銀行マンといった感じのH君から「いやあ実はですねぇ 今どげんしようかと悩んどるとですがぁ この娘のおばあちゃんが危篤で至急日本に行かなならんとですがブラジル国籍なもんやけんビザが取れんとですたい」と打ち明けられ悲しそうにうつむく彼女を見ていて私は「そりゃあイカン」とすぐに日本大使館へ訊ねてみたのです。ちょうどその頃は友人がいたので、なんとか自分が協力したい旨伝えると彼は「観光査証でしょ?村上くんが保証人になってやれるんなら出せるよう便宜をはかってもいいよ」という有難い言葉を彼らに伝えると光り輝くような笑顔で3名からテーブルに額がつくほど頭を何度も下げられ「これで日本に行かせられます。ほんなごっつありがとうございました。福岡に帰ることがあったら絶対お電話ください。」と感謝され私も{まっ良いことしたかな。しかしそんなに嬉しいことかなあ?}と考えながらも同郷の彼らと握手して分かれました。

 その翌年ちょうど私はゲートボールのシューズを仕入れに(もう現在ほとんどどこも売っていない・・)福岡に帰ったとき{そういえばH君はこの町に住んでるんだよな}と思いだし取引先から電話をしてみました。私からの電話と分かるや彼は「どこにおるとですか?そこを動かんでください。すぐ行きますけん」と叫びほんの5分位で彼はやってきてくれたのです。黒い大きな車はリンカーン。アルマーニのダブルの背広にネクタイはミラーション。時計は金ピカのバカでかいローレックス。私の取引先の相手からびっくりした顔で見送られやがて彼の事務所に着きました。二人はとりとめのない話をしながら私も{なーんか殺風景でへんな事務所だなあ。いったいなんの商売しとるんだろうか?}と考えながらH君の後ろの大きな黒板にはったグラフを覗きこんだのです。なにかの棒グラフがあり営業成績表だと分かったのでよく見ていたら下に写真が貼ってあり、なんとそこにはアノ危篤のおばあちゃんを見舞うと言っていた女の子の写真が「今月の売上げベスト3」に笑顔で写っているではないですか。「おいおいやめてくれよう、H君。この子はおばあちゃんの見舞いに来たんだろ?働いたらいかんとバイ。」と言えばH君は「いやいや すんまっせん。やっぱせっかく遠くまで来たとやけんお小遣い稼がせてやろうと、 飲みやでアルバイトさせてやっとるんです。じぇったい3ヶ月で南米に帰しますけん安心してくださいよぅ、しかしお腹すいたでしょう新鮮な魚でも食いに行こうやないですか。」と言い慌てるように外に連れ出されました。  深い疑問を感じながらも小料理屋に着いた我々の前に並んだまだピクピク動いている新鮮な魚と旨い日本酒でやがてすっかり気分がよくなった私は楽しくなって「いやあここの魚はうまいわ〜こりこりしとるもん。今回帰国して一番旨っかよ」と言えば彼も「そげんですか?なんぼでも食うてくださいね。なんぼ食うて飲んでも一人¥2000ですから」というのでびっくりし私は「こんだけ食べて飲んで¥2000ってね?ふひゃあぁ 明日また来よう」と言うと彼は慌てて「来るとき一人じゃなくて私と来てくださいね。そうせんと安くならんのです」と言う彼に疑うことを知らない私は{ははあ、彼は飲食店業界の人なんやな}と納得しました。

 「ちょっと失礼します」と携帯電話で話すためにH君が外に出た後でカウンター内にいた大将が「すんまっせんが、南米から来られたとですか?Hさんとはずっとお知り合いなんでしょうか?」とおずおず聞いてくるのです。「いや向こうで一日会っただけですが。なにか?」と訊ねるぼくに「ああそげんですかあ。気をつけてください。あの人ヤクザですもん。ほんっと気が短こうてですねぇ。この前も人刺して刑務所入っとたんですよ。もうワシも怖いからですねぇ2しぇん(千)円しか取れんとですよぅ。タダちゅうたら怒るしですねえ・・・」と泣き顔で呟くのです。{ひええええ}と心の中で叫びながらH君が席に戻ったときはっきり言っておかねばと決心し「H君、気に障ったらごめんね。アンタもしかしたらヤクザなんね?」と聞けば彼はそんなことも知らなかったの?という顔して「ありゃ?自分は言わんかったですかねヤクザですよ。」と平然と答えるため不安になった僕は「おいおい最初に言ってよオレはなーんも知らんかったとばい。頼むけん女の子は南米に帰してくれよ。オレが保証するって言うたとやけん、なんかあったら全部オレの責任になるとばい」と必死に訴えました。彼は「堅気の人には迷惑かけません。まして南米で見ず知らずの村上さんから受けた恩義をアダでかえすようなことはじぇったいせんですからご安心ください。ぼくらはアミーゴ(友達)やないですかあ。」と真剣な顔で約束してくれ、安心した僕は一緒に明け方まで飲みやをハシゴし泥酔した私は最後に彼のマンションに行って寝ました。(いったいボクってなんなの?)

 翌朝起きるといましたねえ〜そのマンションにはブラジル、フィリッピン、上海人、コロンビア人たくさんの女性がまた幼児も何人かおりみんな仲良く一生懸命助け合いながら、慣れない日本で頑張っていました。{みんな出稼ぎで国に仕送りしてるんだなあ。確かに日本みたいに稼げる国はないものねえ}と彼女らともいろんな事を話し若くてもしっかりした考えの彼女らに感心させられました。その後H君がわざわざその町から1時間離れた私の実家まで送り届けてくれたのですが実家に着けば私の母親に「この度は息子さんには非常にお世話になりました。」と挨拶し亡父の仏壇を見た彼は「お線香をあげさせてください」と焼香してくれ何度も頭を下げながら「夜、仕事が入っているものですから」と去っていきました。ウチの母親なんか「かあっ 若いのに良うできた人やねえ。暑いのに背広ビシっと来て線香まであげて。近頃おらんよ、あんな若い人は。大きな外車乗って羽振りもよさそうやけどナンの仕事しとる人なんね?あの人」と訊ねる母に「ありゃあヤクザばい」と打ち明けることはできず「なんか困った人助ける慈善事業しとるような事言っとったね」と苦し紛れに母に答えておきました。(やっぱり言えないよね )

 それから私もその週にパラグアイに戻りやがてH君のことももう忘れていた頃、店に彼といっしょに日本へ行った娘が突然現れたのです。「おおっ よかったなあ 無事帰ってこれたんだね」と彼女に訊ねると「Hさんが南米に帰ったらすぐに村上さんの所へ帰ってきたと報告に行くようきつく言われたの」と答えてくれ、また日本で稼いだお金で彼女は父親にトラックを買ってあげ家族で八百屋さんを始めることになったと嬉しそうに語っていました。本当に良かったです。あのまま帰ってこなくてどこかに身売りでもさせられたらと心配していた事を思いだし「うんうん やっぱアミーゴだったね、H君は。ヤクザだったのにはびっくりしたけど・・・」と義理堅い彼を懐かしく思い出します。でもこの娘と話していてはっと気づいたのですが考えてみたらこの子は日系人でもなく純粋なブラジル人なのにどうしておばあちゃんが日本にいるのか普通だれでも疑問に思いますよね〜やはり私にはナニか大切なものが抜けています。それが故にいろんなトラブルに巻き込まれこのようなホームページのネタには尽きない訳ではありますが、もう私も今年40歳になったのだし来年迎える21世紀はなんとか思慮深い大人になるよう気をつけないといけません。(まあ まずあんたはダメよ。一生変わらないね という皆の声が聞こえますが・・・)    


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