
パラグアイに住んでみたい方達へ(前編)
あれは1986年、東京での一人暮し非常にハードな営業の毎日で休む間もなく余暇もないかさかさした疲れた毎日を送っていた私に口を開けば南米の話ばかりしているある二人の大恩人Aさんとリオから仕事で日本に一時帰国していたYさんがいたのです。この私の父親くらいの年齢のお二人には仕事のグチやアホな話しなどして月に2回位は家におじゃましていたところ、ある日リオに家族のいるYさんが突然「節男。仕事やめてリオ デ ジャネイロに遊びにこいよ海も女性もきれいだぞう。オレの家のまん前は海岸だしウチに泊まって遊んでればいいじゃないか?あっちが気に入ったら何ヶ月だって居ていいんだから」と言ってくれ全く南米へ旅行など考えてもおらずびっくりした私へさらに追い討ちをかけるようにAさんが「そうだなオマエは南米のほうが向いてるよ、日本にいてもダメだ一生。よし航空券を頼んでやろう。」とナニも私が知らない内コトは進み後日Aさんから「ちょうど月末に空席があったから。ツニブラ旅行社ってところいって航空券買って来いXX万円だから。いらんことは話すなよ観光ビザとるのにパスポート置いてこい。それで全てOKよ」と電話がありガチャっと一方的に切られ断ることを知らない私はまず最初に一緒に仕事をしていた同僚へ「南米へ行くため2、3ヶ月仕事を休みたいんで留守中をお願い」と頼めば「へっ南米?」と呆れた皆も良い人達で「ターザンにあったらヨロシクな」という始末で全く沖縄に観光へ行くような雰囲気でしたね〜今思うと。(後で聞いたらまさか本当に行くとは思っていなかったらしい・・)
出発前日から急に原因不明の40度近い高熱が出て心配したのですがブラジルに行くからとお医者さんにお願いし強い解熱の注射をうってもらい少し具合がよくなった頃、Aさんから「成田へはおれが送っていってやるから、それまでマージャンしようぜ」と誘われよせばいいのに熱中してやってしまいました。気がつけばなんと飛行機の出発時間1時間半前!!慌てて高速道路に乗って150KMで飛ばしなんとか出発時刻まで20分を残しチェックインでき地上係員に叱られながら手を引かれひたすら走り出国スタンプ押してもらい奇跡的に飛行機の席に汗まみれになりながらも座れたわけです。(よく間に合ったですよね〜)後でスピード違反で捕まったかもしれないAさんに別れの挨拶もできないまま最後に背中で聞いた彼の言葉が「リオに着いたらYさんによろしくな。オマエを迎えにいってくれってFAX頼んどいてやるから。じゃーな。」でした。そんな周囲の温かいサポートに感謝しながらその後相次いで起こる鬼のようなトラブルの連続を夢にも思わなかった私だったです。
急に走ったためか目眩がし又熱も出てボーとしいつのまにか飛行機は飛び立ってなーんの感慨もなかったですね、でも変わりにいました。南米への第一洗礼ともいうべき「浅草サンバ祭りのブラジルメンバー達」 が私の席の隣、横、前後ろどこを見てもサンバ。「いちに サンバ にいにサンバ みんなサンバだよう」と歌いたくなるような賑やかな人達でナニを話しているのか分からないというのに肩叩いて腕組んで食事の際にはテーブルや空き缶叩いてサンバやってくれボクに強い酒をストレートで飲めと薦めるのです。私は熱があってというのに彼らはワーと囃したてもう飲まないと赦してくれないと観念し、{まっこれも国際交流かな?}と私が一発で飲み干せば「ブラボウー」と絶叫する人達で頭痛はするは耳鳴りする始末で耐えきれず私はスチュワーデスさんを呼びました。「すみませんが頭が痛いし熱があるんでちょっと静かにしてくれるか、ぼくをよそに移してくれませんか?」と頼めば「ロス アンジェルスまで満席なので我慢してください。あなたが迷惑していることは私が伝えましょうね」と英語で頼んでいましたが全く彼らにはチンプンカンプンだったようで彼女にも酒を薦めるしまつで困り果て「まったく英語が通じません、妙ですね。」と言いこそこそ逃げて行きました。(おいおい、なんちゅう女なの・・・) 結局ロスまで11時間彼らは一睡もせず騒ぎまくりアルコールが空になった後も通路で踊っていました。あのパワーがあればカーニバルの4日間ぶっとおしで踊れますね。ラテン人ってタダモノじゃないなとつくづく実感し「ああーやはり健康になってから来ればよかった。なんかすっごく疲れる。ポ語も勉強してくれば良かった。」と後悔したものです。(遅すぎる・・)
2時間おきに寝ているところを起こされ映画をみようとか日本語でナニナニはなんといいうのか?などと不思議なことに何時間も横にいるとまったくポルトガル語を知らない私でもなんとなく内容が分かりだし{なーんか夢みたいだなあ。まだ南米じゃないのに異国にいるみたいだ}とボーとしていると、彼が私に時計を見せてくれと私のダイバーズウオッチを自分の腕につけ仲間に見せ始めました。「おおーーアミーゴ」とかなんとか言ってるような気がしましたが私にミッキーマウスの指が針で時刻を知らせるピンクの時計をボクにつけてくれ「プレゼンチ」と言うのです。何がなにやらわからず皆も拍手するので困っていたら先の通路にいたカタコトの日本語を話すブラジルの日系3世の女の子が「いいんですか?彼は交換してもらったと喜んでいますよ」と教えてくれ慌てた自分は彼女にお願いし延々3時間くらいかかってやっと取り戻せました。彼女はサンパウロに家族がおり私は先にリオに降りることが分かり話しをしていたら「しかしサンバやる人ってみんなああなの?すっごく元気がいいんだなあ」と訊ねると「サンバやる人だけじゃないです。南米とくにリオにいる人は全部あんな人しかいません気をつけてください。」と(この人大丈夫?)って顔され気の毒そうに宣告され私は項垂れ{なんちゅう体力のいる国に来てしまったんだろうか?}と不安になったですね。
高熱のためか浅草サンバ祭りの団体さんのおかげか退屈もせずに24時間のフライトもあっという間で「約20分後にリオに到着します」とアナウンスがありその後、飛行機が着地するまでサンバチームは「ひゃっほう」「ビバ ビバ」「おっぱー」とか叫びながら席に立ちあがりスチュワーデスさんはその度現れ「座ってください。お願いだから」とまるで幼稚園のワルガキのクラスを遠足に連れて行った保母さんのように彼女の頬はこけ目の周りは真っ黒にクマができていましたね〜同情したですよ、ほんっと。
リオに着いて入国のスタンプ押してもらいゲートをくぐりYさんが待つはずの表に出て「ううん、地球の裏側まで来てしまったんだなあオレは。」と感慨にふけるも全く迎えはおらず日本人は私ただ一人。呆然と20分立ち尽くし初めて自分のおかれた危険な状況を理解したわけです。実はボクはYさんの住所も名前も電話番号もナニも知らない、そんでもってポルトガル語もスペイン語もまったく理解できない只の哀れなというより超マヌケな旅行者だったのです。こんな男がこの後も人のやらない様々なアクシデントを繰り返し結局パラグアイという未知の国へ行きやがてそのまま永住してしまう訳ですが、それを書くととっても長くなるのでまた次回に続くとさせて下さい。なんか思い出して書いてるだけで非常に疲れてしまい、なんでボクはこんなにいい加減なんだろうか?どうしてもっと綿密にプランをたてて行動しないのか?と自己嫌悪に陥ってしまいました。(なるよね〜フツウ。反省しなきゃね。でも変わらないんだよね、この男は・・・)
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