第四十四話 

 パラグアイに住んでみたい方達へ(中編)


 「むうちゃん」「むーたん」としか耳に入る言語は理解できず呆然と大型スーツケース一個を持ってリオ国際空港の出口に立った私は「もしかしたらこのむうちゃん(今思うとムーチャスあるいはムイタスと言っていた。)と自分に呼びかける{むうちゃん=村上}彼をYさんは迎えによこしたのかも?」と考え彼に「日本人のYさんって知ってる?」と訊ねたのですが彼が話す言葉は全く分からず泣きたくなってしまいました。それでも目の前にいる彼しか自分とコミュニケーションしようという酔狂な人はいないんだと判断し私は一生懸命に会話したのです。結果、理解できた単語は「わん ハンドレッド だらあ」「タクシイ」「ホテルウ」でして彼に行き先を尋ねられている気がするも「Yさんという人の家」としか答えられない私に困った彼はレンタカーのお姉さんのところまで通訳させるために連れて行ってくれました。英語がしゃべれることにホっと安堵した私は彼女に「今、日本から着いたんだけど迎えが来てなくて、電話も住所もないしボクはどこに行けばよいのか悩んでるの」と相談しました。彼女は{アホじゃないの?このひと・・・}という顔しながらも「Yさんのフルネームは?」「リオのどのへん?」などの訊ねるのですが「まったく知らない」と答える私に地図を見せ「リオはこんなに大きな都市なのよ。ダメよ、絶対着けないわ。このまま日本に帰ったほうがいい。ちょっとあなたの航空券をみせて」と言われマヌケ顔した私は自分の航空券を彼女に渡しました。「なに?これ片道じゃない!!」と叫ぶ声に私はまさか?と仰天しチケットを見れば確かに帰りのページがなく{ハメられた。まちがいなくAさんの仕業だ。}と確信しました。

 Aさんは昔から南米に移住したかったらしくいつも私に「オレはよお、南米に住みたかったんだよ。でもな目の検査でひっかかって移住許可でなくて断念したんだ、ほんっと残念だったよ。オマエくらいの年だったらオレは絶対、南米に住むね。節男、日本なんてつまんないって。帰ってくんなよアッチに住めばいいじゃないか」と酒を飲みながら話していた情景が走馬灯のように頭に流れました。{ああぁぁああ なんちゅう事をしてくれたんだ。Aさんは」と悲嘆にくれ顔はたぶん真っ青だったのか、この女性とタクシーの運ちゃんは同情したらしく二人で手分けし電話帳から約20名のYさんの苗字を探してくれる本当に良い人達で、私に「この全部に電話しなさい。あなたはYさんの声を聞けば分かるんでしょ?」と電話をかしてくれ私は言われるままダイヤルをまわし続けたのです。

 半分くらいかけたあたりで懐かしい寝ぼけたYさんの声が聞こえたのです、感激しましたね〜「おお節男かあ?元気でやってるか?日本は夕方かもしれんがここは明け方なんだよ。眠いから切るぞ。じゃあな」という言葉に慌てた私は「やめて!!切らないでお願い!ボクはリオにいるんです。Aさんからボクが来るって聞いてないですか?」と叫べば「おまえなあ〜おれは眠たいんだから。冗談いうなよ。なっウソだろ?」 という彼に私は必死に今リオの国際空港にいてレンタカーやさんの女性が目の前にいて右のほうにはナニナニと書いていると状況説明すれば彼はやっと信用したようで「おいおい、ばかだなあオマエは来る前に自分で連絡くらいしろよ。なにもAからは聞いてないぞ、彼は忙しいんだから忘れてるんだろ。いいか、そこを動くな30分くらいしたら行くから」と言われドっと疲れ床にしゃがんでぐったりして、もうフルマラソンを走ったかのような極度の疲労と自分の愚かさでしばらく立ちあがれなかったですね〜

 リオに着いてからの10日間は「とってもマヌケな日本人旅行者」がYさんのところに居候しているというのでたくさんの人達が見に来て知り合いになり、私も毎日、朝から晩まで辞書を借りてリオの町を徘徊し(皆が言うほど危険な町じゃなかったです)人懐っこいブラジル人やいろんな所へ連れてってもらいあっという間に40日くらいたってしまいました。そんなある日Yさんが「実はパラグアイに俺とAの出資した店があるんだが、あっちで配達用のワゴン車が欲しいらしいんだよ。それで今向こうで働いているNが節男に遊びにきがてら車を持ってきてくれって言っとるんだが行ってくれんか?」というので、Yさんや亡父の大学の後輩で昔私も大変お世話になった旧知のNさんの頼みならとOKしたわけです。しかしウルグアイという国名は聞いたことがありましたが、パラグアイという国がどのへんにあるのか分からなかった私はYさんに果たして一人で着けるでしょうか?と訊ねれば「甥のコウジといっしょに行けばいい。場所はなあリオから南西に向って一直線で一本道だから簡単だ。ほら地図のここだ。」と彼は机の大きさくらいの地図を指差しました。地図でみれば確かに人差し指くらいの距離でまた道路も一本長いのがあるだけで安心した私にYさんも喜び「じゃあ次の日曜日に出発だ。車の名義は節男の名前にしとくからな、じゃないと車泥棒と思われたらいかんもんな」と名義変更も終えリオからコウジさんと私を乗せたワゴン車は出発したのです。

 気温は摂氏38度暖か過ぎるというより熱風でクーラーも無い車内は蒸し風呂状態。しかも出発して8時間後に突然ブレーキがきかなくなりいくら踏んでもスカスカで以降サイドブレーキだけで走行しながら車の修理やさんを探すも一本道はひたすら長く人家もない、かつ日曜日でほとんどの町は静まりかえってみわたす限りの緑の景色に一本グレーの絵の具でまっすぐの線を引いただけのような道をただ延々と走り続けました。人差し指の長さくらいの距離が実際は走行距離にすると1800KM以上になることを車内で知り「コウジさん。南西に向っているなら今は夕方でしょ?太陽は左後ろにあるのはおかしくないですか?」と恐る恐る訊ねれば彼は「いかん道を間違えとる。オレも車でパラグアイ行くのは初めてだからな。もうちょっと詳しい道路マップを持ってくればよかった」という恐るべき内容を知り、最初は二人で意気揚揚、話しもはずみ楽しかったはずの旅が一挙に奈落の底、{こんな無知な二人が果たしてパラグアイまで着けるんだろうか・・}という心配に変わりだんだん沈黙が2時間も3時間も続き真っ暗の街灯もない国道が続くだけでした、とっても心細かったです。結局リオを出てから36時間後にやっとパラグアイまで後何キロメートルという標識を見つけ二人とも「やったあ。」と喚声をあげ、やがてブラジルの国境に到着し橋を渡り念願の?パラグアイへ入国したのでした。まあほんっとよく着けたですよ、あの地図で。小学生の勉強で使う程度のモノで後日皆にキチガイ扱いされましたもんね。

 ああぁ長い。前後編2回で書き終えたかったのにスペースが無くなってしまい今回を中編としました。なんか体験談を書けば書くほど「自分はこんなにマヌケです。私のように移住なんかしたら大変ですよ。」という内容になってしまった感がありちょっと不本意です。(ナニ言ってるんでしょうか?今更。でも事実だしなあ・・)


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