
第五十話
南米の歯医者
南米のお菓子を食べて思うのですが非常に甘いのです。「どうしてこんなに砂糖を使うんだろう?」と不思議に感ずるほどコメカミが笑う位(こういう表現あったかな?)甘いのです。こんなの小さいうちから食べてたらきっと虫歯の人って多いんだろうなあと思ってましたら案の定、歯科医院の数はワンブロックに一軒はかならずあるほどたくさんあることに気づきました。日本でも小さいころから歯医者通いをしていた私は南米に来てからもやっぱりお世話になることになり、その治療の違いに唖然とし涙することになりました。
今年の初め日本に一時帰国する前でしたが「ああ新鮮な魚が食べられる。お好み焼きも食べたい。ああぁあれもこれも食べるぞ」と記憶と味覚で口から涎が出そうなくらい妄想していましたら突然針を刺すような重い痛みに襲われ慌てた私は(いかん。早く治療せんと旨いもん食えんごつなってしまうっタイ)急いで歯医者に行きました。娘の名づけ親でもあるこの歯科医は「奥歯が痛いの?じゃあ親知らずだ疲れたとき痛くなるんだろ?抜くしかないな」と確信もって言うのでついつい頷きかけた私でしたがはっと思い出し「いや待ってよ、リカルド。あんた親知らず3本抜いたでしょ?日本で20年前一本抜いてんだよ。もう俺の親知らず無いはずよ。」と言えば「そっか?もう4本も親知らず抜いたんだ。日本人ってたくさん歯があるんだな」と変な感心のされかたしながら彼は「でも虫歯どこにもないぞ」と検歯鏡みてコンコン叩いて「痛い?」と聞くだけ。頼むからレントゲンとってくれと頼みこんでレントゲン写真を見てもらうも虫歯は見つからず、結局「うがいしな。それと糸でさあ歯の間掃除しろ。それで治る。」と自信満々に言われ私は信じたのです。
忘れもしません日本に着いた翌日、夢にまで見た握り寿司をほおばり「ああ幸せ。もう死んでもいい」と思い日本酒飲んだ1分後。やはり来たのです激痛でした。うがいしても糸で掃除しても同じです仕方ないのでパラグアイからもってきたまずい苦い痛み止め患部に塗って席に戻ってそれでも意地で二人前食べました。でも悲しいことに薬の味しかしませんでした。それから翌日より食べたいものみな試してみたのですが毎回同じ激痛が走りもうあの夢にまでみた日本食が、すべて痛み止めの味。(もう終わりだね。きみが小さくみえる。ぼくはいつでも君を。。さよならあ)と涙を浮かべ歌いたくなるような悲しさ。やるせなさ。むなしさ。人はこういうとき詩人になれるんだろうなと思えて泣けてきたです。(そんな大げさなことか?という貴方は南米に一回来るべきです)
悲しい無念の日本からの帰国を終え、相変わらず痛む歯を見せに前述の歯科医に日本からのお土産もって行きました。「おおムラカミさん。よかった。よかった。近頃ヒマでね時間もあったんでキミのレントゲン写真みてたんだけど、わかったんだよなぜ痛むか」といい早速ぼくの痛む歯をドリルで削りだしました。「うへえ。ひでえや。こりゃあ。でっけえ穴。腐ってんじゃん神経も死んでるよ。匂うだろセツオ?こりゃあ痛いはずさ。お前よく我慢したな」と僕の顔をマジマジみながら言うのです。僕は近頃温厚で人を殴ってやろうとか殺してやりたいなどとは思わない平和な心を維持していましたが、流石にこのときは僕は殺意を覚えました。
思い出せば親知らずのときも非力な彼は私に2時間も口を開けさせたまま麻酔注射もちょっとずつ4回も打ち結局親知らず抜けず私の唇の端は切れて血だらけアゴはかくかくなるし痛くて開け閉めもできず結局ほかのブラジル人歯医者に行ってその彼はたったの5分で抜いてくれたのでした。そんなわけもあって今はこのグレーシー柔術でもやりそうな大きな手をした歯科医に浮気して通っています。ただこの彼って治療中一回も口をゆすがせてくれないしぼくの顔中血だらけになっても鼻や気管に削ったカスか血が入ってゲボゲボいっても絶対治療をとめてくれないんです。格闘技のようなんですね。「こいつ本当は板金やなんじゃないかな?」と思って訊ねたら、やはりお父さんや鉄工所やってるそうです。あれ見て覚えたんだな。ああ難しいです歯科医選びは。こんな激しいのやられるとリカルドのようにソフトな治療がなつくしくなり、かと言って一本の治療に半年もかかるようなのもいやだし。でもこのブラジル人のように1時間近く血だらけになってドリル入れられるのも苦痛だし怖いし。はあっどうしよう。海外に派遣される海外協力隊が採用される場合の大切な基準が虫歯がないことっていうのはよくわかるような気がします。殺されますよ南米で歯の治療したら。