FLORES島旅行記



デンパサールからラブハンバジョーへ




 バリ島クタの喧噪の中でフローレス島行きの飛行機のチケットが取れるのを待つこと2日。妙に観光客慣れしたホテルの観光会社のお兄ちゃんが欧米人のクレームに適当に相づちを打ちながら取れたと伝えてくれた。
なんのことはない、実は旅行会社でないと言われても直接空港のカウンターに行けば、けっこう飛行機の空きはあったのだと後からわかった。

 フローレス島西端のラブハンバジョー(Labuhanbajo)へ行く6、70人乗りの双発プロペラ機はジェット機が並ぶバリの国際空港の端っこに本当にちょこんと申し訳なさそうに止まっていた。飛行機へ向かうバスの中で私の前に座っていた欧米人のカップルが飛行機が見えてくると二人同時に顔を見合わせて肩をすくめていた。

 ラブハンバジョーへは3時間ほどのフライトだ。
 客席は満員。でも乗っているのは3分の2がインドネシア人。残りは白人と日本人らしき人数人。インドネシア人はバリにいた人たちとはどこか雰囲気が違っていた。
 私の前には若い女の子が二人座っていたが、二人とも飛行機が怖いのか無愛想なスチュワーデスが出してくれた軽食には手もつけずにじっと体を固くして前を見ている。
 すると隣の白人の大男が「喰わないなら俺にくれ」と言って二人から箱を受け取り、3人分喰っていた。バリのビーチで焼きすぎたのかその白人の鼻にはピンク色の日焼けクリームが塗られ、首からは虹色のガラスのサングラスが下がっていた。




 ラブハンバジョーの空港はコモド空港というらしい。
 空から見えてきたコモド空港の滑走路は、そこを作った人が非常な注意を払って舗装したのが明らかにわかるようなべったりとした黒いアスファルトだった。なんだか空から黒い飴を流し込んだみたいで、周囲のでこぼこの草原と奇妙なコントラストをなしている。

 空港は本当にそこを空港と呼ぶのがはばかられるほど簡素な作りで、飛行機のタラップから降りると遠くの無人駅の宿舎みたいなターミナル小屋?で黒いかたまりになった人々が黙ってこっちを見て立っていた。
 預けるほどの荷物もない私はそのまま空港の外へ。あっけないほど簡単に外にでてしまった。10歩。
 もちろんタクシーチケット売場があるわけでもツーリストインフォメーションがあるわけでもないので、どうしたものかとうろうろしていると、アクアやタバコが無造作に並べられたガラスのショーケースを前におばさんが立っている。
 ラブハンバジョーまでどうやっていったらいいのか聞くと、おばさんは丁寧に教えてくれた。お礼替わりにとアクアを買おうとするとおばさんは表情一つ変えずにジャカルタの二倍の値段を言った。町まで歩いて行けないかと聞くと、おばさんは初めてにやっと笑って「行けるけど暑いよ」と言った。

 おばさんに言われたバスに乗りこんで待っていると、運転手らしき陽気な男がバスの通路の一番前に立ってWelcomeときた。どうやらにわかガイドをするつもりらしい。ひとしきりようこそだの、ここはいいとこだだの、冗談まじりに話しても客からは何の反応もない。
 どうやらまだ観光開発されはじめたばかりのラブハンバジョーの人々とフローレスにまでやってくる物好きなバックパッカーの間には、まだバリのビーチにあるみたいな奇妙な均衡はできてないみたいだ。




 ラブハンバジョーの町は一本の道、といってもフローレス島自体大きな道と言えば島を東西につらぬくスカルノハッタ通りぐらいしかないのだが、その一本の道沿いに1キロほどずっと続いている。
 町には大きなホテルなどなく、ロスメンと急ごしらえの私設観光案内所ぐらいがかろうじてここがもしかしたらバリについで有名かもしれない観光地コモド島への入り口だということを示している。

 予想はしていたのだが、バスはある一軒のロスメンに着いてここに泊まらないなら金を取るという。金を払って違う宿をさがしてみることにする。とにかく時間だけは今のところはたくさんあった。
 真っ昼間に着いたので、リュックをかついで歩くとたいしたものは入っていないが、とても暑い。通りにいる人と言えば例の私設観光案内所のやたらなれなれしい呼び込みだけだ。道はぬかるんでそこを通るベモはあちこちにある水たまりを避けてジグザグに走る。

 通りを海の方へ向かうと道の舗装が切れるところで遊んでいる子供達がいた。ラブハンバジョーの沖には小さな島が点在し、そこにロスメンがあるそうだ。そこへの行き方を聞いてみる。案の定子供達は知らない。すぐにどっから来たの?インドネシア語話せる?と質問責め。
 今度は給油所のフェンスで暇そうにしている人たちに聞いてみる。みんなどうも要領を得ないのだが、一人の人が自分もロスメンを持ってると言う。よくよく聞いてみると、彼の言うロスメンはそこから100メートルぐらい沖合に見えている島のどうやら親戚の普通の家らしい。そこから見ると家の前の砂浜に手漕ぎ船、それにその船から渡したロープに干された洗濯物が見えた。

 結局その通りを家に泊まりなよと言うおばさんに手を振りながらもう少し奥まで歩き、道が登りになったところであきらめ、今度は道を反対方向に戻る。滑って転んだ。
 今度こそつかまえようとする私設観光案内所の兄ちゃんを振り切り、ずんずん歩く。

 ラブハンバジョーの町は、田舎町なのだが、ところどころにおみやげ屋と称してスンバやフローレスのイカット、ロンボックの器などを売っている。高台には「眺めがいい」とわざわざ書かれたレストラン。10年前のバリってこんな感じだったのだろうか。
ようやくラブハンバジョーの町の反対端まで歩いたところで、新しいけれど「観光ホテル」というなんとも愛想のない名前のロスメンに泊まることにする。




 この宿は奥行きが深くて、奥までずっと両側に部屋が続いている。
 呼んでも誰も出てきてくれないので、奥まで歩いていって洗濯をしていた女の子に泊まりたいというと立派なヒゲのお兄さんが出てきた。どうやらイスラム教徒らしい。
 見せてもらった部屋にすぐ決めるがいざ水を浴びようとしたら水道が止まらない。ヒゲのお兄ちゃんは宿の雑用をやっているらしい男の人を連れてきて、ああでもないこうでもないと水道の栓と格闘したが、結局引っ越してダブルの部屋に。




 旅行中の一日は長い。
 すぐにリュックを置いて今来たばかりの道をまたぶらぶらと戻る。パサールがあった。パサールは道から下ったところにあり、ゴミ捨て場では蠅がブンブンいっている。
 すれ違う人の視線は硬い。こいつは中国系だろうか、日本人だろうかと考えているのだろうか。
 市場は夕飯のために食料を買う人がわずかながらいたが、やはり朝が稼ぎ時らしく、売り手もどうせあまり売れないといった感じで周囲の人とおしゃべりしている。
 夕方のせいもあったろうが、並んでいる品物はジャカルタの市場に比べたらはるかに少ないような気がした。

 一日に三度も客引きの兄ちゃんに会うのはごめんなので手近の「眺めのいい」レストランで焼いた魚を喰う。うまかった。
 こういうところで飯を食うのは観光客だけのようだが、フローレスにいる観光客は明らかにバリにいる人と違う。例の妙なサロン姿の人もいるが、なんだかみんなとても静かだ。気のせいかな。




 「観光ホテル」はとてもいい宿だとその夜わかった。
 部屋がずらっと並んだ奥には30人ほどが片寄せあって座れるぐらいの吹き抜けの食堂があるのだが、そこがとても居心地がいいのだ。
 蚊はブンブン飛んでるが、入れ替わり立ち替わり宿の人がやってきて話しかけていく。その度にどこから来てどこに住んでて、フローレスはとてもいいところだと繰り返す。
 結局夜はずっとそこに座ってKopi susuを注文し続ける。
 宿のご主人は60歳ぐらいの人で、やたら日本は進んだ国だと言っていた。こっちもインドネシアの学生は私が教えた中ではいちばん優秀だったと言ったら、そうだろそうだろとその後はまた新しい兄ちゃんがやってきて、どっから来た?と聞きはじめると代わりに全部答えてくれた。必ず最後には「こいつは日本語を教えてるんだが、インドネシア人がいちばん優秀だそうだ。うんうん。」と言っていた。
 ただこれは決して社交辞令というわけではなく、私が日本で教えていたときには10カ国以上からの100人ほどの留学生の中でインドネシアからの留学生は5人中4人がベスト10に入っていたのだ。

 その晩は、向かいの部屋の白人が弾くギターの音ともうすっかり私への好奇心はなくした宿の人たちがチェスをやってあげる喚声の中で眠りについた。


続く


97.12.8更新

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