
ジャカルタに駐在し一軒家に住んでいる日本人は普通2人以上のお手伝いさんを雇います。
今、私の家にはアンダさんとティニーさんという夫婦のお手伝いさんがいます。二人はジョグジャカルタ近郊の街の出身で、ジャカルタに出てきてもう10年以上日本人の家などで働いてきたそうです。
私の家は駐在している日本人の家の中では小さい方だと思いますが、その家の掃除、簡単な修繕、料理、買い物などが二人の仕事です。
お手伝いさんの生活はなかなか厳しいです。この国では人件費がとても安いので、一人につき月収が10万〜20万ルピア(約5千〜1万円)ですから、これで生活しつつ田舎に仕送りをするのはとてもたいへんなことでしょう。
また私の家の場合、二人は家の中に住んでいるわけではなく、家の裏の急ごしらえの四畳半ほどの部屋に住み、物干し場だったところに作ったキッチンを使っているので住環境もかなり悪いです。
しかしそんななかでも二人は文句も言わず、毎日きちんと仕事をしてくれています。二人がいなかったら私は今頃ジャカルタでのたれ死にしていたことでしょう。
二人には子供が二人います。一人はジョグジャにあるパジャジャラン大学の大学生、もう一人は小学5年生です。下の子もジャカルタの郊外にいるので、子供と会えるのは1年に数回です。
二人の収入で子供を大学に入れることは非常にたいへんなことです。子供を大学にいれるために二人は私から借金をしているのですが、最近ではそれでも足りなくて、ご主人のアンダさんは向かいの家の運転手としても働き始めました。
そこまでしているだけあって、大学生の息子さんは二人にとって自慢らしく、時々息子自慢を聞かされることもあります。しかし、大学を出ても彼にいい仕事先があるかどうかは誰にもわからないのですが・・。
昨日から二人はジャカルタ郊外の下の息子さんを預けている家に行っています。なんでもその子が寂しがって学校に行きたくないと言っているということでした。なかなかたいへんです。
お手伝いさんに限らず、インドネシアの人のものの頼み方の傾向かもしれませんが、なにか少し大きめのことを頼むときには非常に遠回りな頼み方をされることがあります。
ある日の会話です。「休みがもらいたいんだけど。」
「えっ、どうしたの?」
「親戚の家に預けてある子供が病気になって・・」
「じゃあ、病院に連れていくの?」
「いや・・」
「えっ、じゃあ薬を持っていくとか?」
「家の家具を売りに帰ろうと思って・・」
「へっ???」わかりましたか?
つまり子供が病気になったけど、治療費が足りないので自分の家へ帰って家具を売って治療費を作りたい・・・ということなのですが、実はできればお金を少し工面してほしいということです。
特にお金に関してこういう遠回りな頼み方をされることが多いです。直接ずばりと頼むのははしたないことなのでしょうか? それとも相手への負担を考えて・・? 本当のところはわかりません。
ジャカルタに日本人が1万人住んでいるといっても、日本料理を上手に作れるお手伝いさんに出会うのは至難の技のようです。
しかし、わが家のティニーさんはばつぐんに日本料理がうまいのです。
というのも、ティニーさんは日本人の家で働いてもうかれこれ10年。最初に雇った日本人の駐在員の方にかなりよくしてもらったそうです。
お料理学校に通ったそうで、ちゃんとお料理を勉強している人って少ないんじゃないかな・・。
そこで私の同僚達も自分の家で日本料理が食べたい!と、わが家で同僚のお手伝いさんを集めた日本料理教室が始まりました。
ここから上がる莫大な紹介料で旅行に行こうと思っていたのですが、雇い主には一銭もくれないそうです・・。
始まってから最初のうちは、通ってくるお手伝いさんもとても楽しみにしてるとか、同僚もおいしいご飯が食べられてうれしいと言っていたのですが、数回目にちょっとした問題が起きました。
ティニーさんがメニューにとんかつを選んだのでした。
イスラム教では、ぶたは不浄の動物です。
ティニーさんはプラスチックのトレイを使って豚肉を扱っていたようですが、他のお手伝いさんはそれでもいやだと・・。
ティニーさんに「お料理教室はとても好評だよ。だけどね・・」と話したところ、「あはは・・そうかそうか」とのこと。
他のお手伝いさんも翌週もちゃんと来て、まずは安心安心。
上にも書きましたが、ご主人のアンダさんは息子を大学に行かせるため、私の家でも掃除、洗濯などをしつつ、昼間はお向かいの家の運転手さんもしています。
ところが2日ほど前に・・・「どう?最近しごとは?今日は休み?」
「はぁ・・・・(ため息)」
「どうしたの?」
「もう運転手の仕事辞めようかと思って・・・」
「へっ?どうして?給料いいんでしょ?」
「いやあ、疲れるんだよねえ。どこかにもっといい仕事ないかなあ・・(遠くを見るまなざし)」ここで私が何をしなければならないかというと・・・お分かりでしょうか。
そう。翌日職場で運転手の口があったら教えてね、とふれまわったのでした。
しかし、よくよく話を聞いてみるとそれも無理のない話で、アンダさんは向かいの家のおばあさんの運転手さんとして雇われたのに、いつのまにかそのおばあさんの4人の息子さんの運転手もする羽目になり、1日中あっちこっちへ、休みの日にもかわるがわる呼び出しがかかり・・・。こりゃ疲れますわな。
いいお手伝いさんをさがすのはジャカルタでもとても難しいことです。しかし、家に帰れば常にいるわけですから、お手伝いさんがどんな人かは下手すれば仕事にも影響を与えるとても重要なことなのです。
その点、ティニーさんは完璧とも言える人です。物腰は柔らかいし、よく気がついてくれるし、勤勉だし、日本料理はできるし、余計なことはしゃべらないし・・。
というわけで、あるときそんなにいいお手伝いさんなら、いい知り合いがいるだろうということで、職場の同僚にお手伝いさんの紹介を頼まれました。
ティニーさんに尋ねると、さがしてみるとの返事。
しかしそれから一週間もたたないうちにいつから入る?という話になり、そうこうしているうちに、うちにも誰か紹介してもらえないかなあ・・・、今困ってるんだけど、誰かいない?と職場の日本人の半数近くの家でティニーさん紹介のお手伝いさんが働くようになってしまったのです。
しかも紹介されてやってくる人が老いも若きも皆いい人ばかり。
ティニーさんはうちの職場になくてはならない人になってしまったのです。
そしてその莫大な紹介料で旅行に行こうと思ったのですが、やっぱり雇い主には一銭も入らないのでした・・・。
しかしいったいどこからそんなに働き者を連れてくるのかと不思議に思い聞いたところ、ひとつのルートはティニーさんの田舎のジョグジャの知り合いから、もうひとつのルートは以前ティニーさんが働いていた日本の方の同僚のお手伝いさん仲間からとのこと。う〜ん、やり手だぁ。しかしみなさん気を付けましょう。
こんなふうにお手伝いさんのコネクションはすごく広いものです。いろんな噂がそこから広がっていくこともあるのですから・・・。ってひと事じゃないや・・・。
朝、出勤しようとガレージに行くと、ティニーさんがやってきた。
「実は昨日ここから火が出たのよ」とティニーさん、ガレージのランプを指さす。
私はショートでもしたのかな?と思ったのですが、なんと梁が50センチぐらいに渡って燃えていたとのこと。
突然目が覚めて、よくよく話を聞いてみると、ティニーさんは台所にいて気がつかなかったが、向かいの家に入っている職人さんが教えてくれたとのこと。「燃えてるぞぉ」って。
どうやら1ヶ月遅れで雨期に入り、突然降り出した雨で漏電したようです。
とそれから3日もたたないうちに今度は台所の水まわりが壊れて、台所中水浸し・・。
ティニーさんは今度はなにが起きたんだ?と思ったそうです。
いろいろあります・・。
同僚の運転手さんが病気のため仕事を続けることが困難になり、またあと数ヶ月で職がなくなってしまう私の運転手さんを救うために、私の運転手さんは同僚のところで働くことになり、家のお手伝いさんだったアンダさんが運転手に昇格しました。
前に書いたようにアンダさんは30万ルピアそこそこの給料で四家族に使い回しにされていたので、ふたつ返事で受けてくれました。
私は教師ですので、職場についてしまえばめったに外出することもないし、昼間ずっとぼーっとしてられるのですから、遙かに楽でしょう。
しかし、行き帰りの車の中でいろいろ話をするようになってみると、やはりアンダさん、たいへんです。
アンダさんとティニーさんの上の子はガジャマダ大学の学生なのですが、日本で言うアパートのようなコスに住むことになり、生活費込みで毎月20万、学期の始めには40万ルピアを送金しているとのこと。
二人合わせて100万ルピアぐらいの収入があるとはいえ、下の子を預けている家にも仕送りをし、ジョグジャの田舎で親戚が病気になったとなればお金を貸し、楽な生活ではないようです。
98.3.20更新
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