
番外編 6. 「無断リンク禁止」の意義
世の中に無断リンクという言葉がある。少し前までは「無断リンクお断り」、「リンクの際は必ずご連絡ください」などの但し書きのあるサイトを多く見かけた。少し考えれば分かることだが、ずいぶんと馬鹿げた話である。リンクの拒否は、誰にもできないのだ。「嫌だ嫌だ」と叫んだところで、他人が張ったリンクは、はずれたりはしない。「だから、そんな但し書きはするな」というのは、ありそうな意見である。本当だろうか。
「リンクを拒否できない」ということと「リンクを拒否する権利がない」ということは別の事象である。もちろん、今現在は、拒否できないし、拒否権もない。しかし、この状況が今後も続くとは限らない。
インターネットは多様な可能性を持つメディアである。現在は「個人が全世界に発信できるメディア」としての役割を強調する場合が多いが、それが全てではない。歴史的経緯から見ると、
頑健な広域ネットワークを構築してみたら、副産物として「個人から全世界へ」というメディアができあがってしまった。
と言ったほうが近いだろう。インターネットに参加する動機として、「私は全世界に発信するのだ」などと思う必要はない。
少々退屈な話だが、例え話である。仮に私が、「特定の仲良し集団への発信」を行いたいとする。どうすべきか。インターネットはどうだろう。最近は無料でサイトをつくることができる。「全世界に公開されてしまう」といった問題もあるが、わざわざ見にくる人もいないだろう。悪くない。本当に欲しかったものとは、少し違うのだが。
本当に欲しいもの(特定の仲良し集団だけがアクセス可能なメディア)を手に入れるためには、どうすればよいのか。自分で作るか(無理だ!)。誰かにお願いするか(誰に?)。おそらく、「誰かが作ってくれるのを待つ」というのが妥当なところだろう。では、誰が作ってくれるのだろうか。個人か、企業か。こと企業に関しては、それなりの需要がないと、絶対に作ってくれない。逆に需要があれば、無理矢理にでも作るだろう。そう、私がしなければならないのは、「需要はあるぞ!」と企業に訴えることなのだ。
「無断リンクお断り」と、一言加えるだけでよい。どこかの検索エンジンにでも登録しておけば、企業が勝手に見つけてくれる。「無断リンク禁止」の同志が十分に存在すれば、企業は何かを作ってくれるだろう(作ろうとするだろう)。
インターネット社会の現状(リンクは拒否できない)は、受け入れなければならない。しかし、社会は常に変化してゆく。変化の方向は、社会に参加している人々の総意として決定されるべきだ。社会の一員として、現状に対する不満は素直に表明すべきだと思う。表明しない限り、何も起きないのだ。
もしあなたが、無断リンクによる不都合を感じるのであれば(無断リンク禁止のメリットを信じているのであれば)、その旨を積極的に表明すべきだ。「月に行きたい」と思った人が多数存在したからこそ、人類は月に立ったのだ。ひとりっきりではロケットは作れない。
私は「無断リンク禁止」に反対します、などと最後の最後で逃げてみる。
1999.7.21 屁理屈太郎