マルヒニッキ


7月8日

魁!短編七選

「喰らえ! 奥義、短編七選ッ!!」
「な、なんじゃい、あの技は!?」
「そういえば聞いたことがある――」
 短編七選とは――古代中国に伝わる珠玉の千文字小説で、七つすべて集めるとどんな願いもかなうという。民明書房刊『怒羅言暴流Z』

  虹の彼方に/宇加谷 研一郎
  波紋/戦場ガ原蛇足ノ助
  後部座席劇場/西直
  静かな木/ユウ
  壊れた子どもたち/逢澤透明
  百万匹/林徳鎬
  孵化/るるるぶ☆どっぐちゃん

 さて、威勢よく男気たっぷりに始まりましたひさびさの魁!短編七選ですが、短編第11期の投稿作品群からおすすめのものを七つ厳選してみました。もしつまらなかったら選者の私が責任をとってあやまるなりバックレるなり逆ギレするなりいたしますので、どうぞ安心してお読みあれ。

 今期の注目株は『静かな木』。特筆すべきは、キャラがほとんど出てこないところです。以前におすすめした『バランディオ』[野郎海松/第7期]がほとんどキャラクターのプロフィールの積み重ねで壮大な物語をやったのと好対照で、これは社会現象を記録しつづけることによってスケールの大きな話を千文字にした。このような手法は『セキストラ』以来ショートショートでよく見られるとおり掌編のひとつの方向性であるが、ふしぎと『短編』ではあまりお目にかからない。
 そんな希少価値だけでなく、内容もすばらしい。「静かな木」というものじたい想像するだにぶきみだが、それが「森」という集合になり、ついには「川」にまで影響を与える。すなわち恐怖の巨大化と伝染というホラーの鉄則みたいな王道をいかんなくこなし、そのうえ、じゃあ静かな水をのむ動物たち――むろん人間も――にもなにか影響があるにちがいないという将来的な恐怖に想到すれば、もはやこれ以上この小説になにを望もう。それを無力な、しかしちょっと懐疑的なオピニオンを持ってはいる「僕」の視点から傍観する距離感もまたあらがいがたき恐怖を深めている。おまけに、言うまでもなく環境なんたらの風刺もキいているわけで、きわめてぜいたくな千文字小説である。なんか文句あっか、とふんぞりかえれる資格がこの作品にはある。

 スケールの大きさでは『孵化』もひけをとらないが、このおもしろさはなんだろう。不可解だ。「孵化」だけに「フカ解」とやったわけなので、このとびきり高度なユーモアにモニタの前で大爆笑、抱腹絶倒するあなたの姿がありありと目に浮かぶようですが、どうもありがとうございます。恐縮です。で、不可解(笑え)であるのですが、なんだかすごくおもしろい。
 まず、東京都庁のあのてっぺんのふたつのやつからサメの死骸がぶらさがっている、という図。画。絵がおもしろいではありませんか。壮大にして意味不明。ぜひ見てみたいが、地上からでは、たとえウバザメでもジンベイザメでも、それがサメであることすら視認できないとは思うけれども、いずれにせよこれは税金のムダづかい(おまけに動物虐待)にちがいない。しかし石原さんなら、ひょっとしたらやりかねないという気もする。このあたりに、この作品の正体がかくされていそうだ。
 思えば私たちは、べつだん都民でなくとも、石原慎太郎という人間にある種の諦念をいだいているのである。「あれはああいう人だから」みたいな、理解にあらざる理解があるので、彼が公共の利益になりえぬアート事業(『太陽と鱶の季節』もアートであろう)なんかに血税を投入するのも、「石原さんだから」という理由でなんとなく納得してしまうのだ。彼は作家でも都知事でもなく、いわば「職業:石原慎太郎」なのである。あげくのはてに宇宙飛行士となって火星に去っても、私たちは「石原さんだから」という理由でだまって見送ることだろう。カリスマといえばカリスマであるが、ふしぎと彼にあこがれをいだく人は少ない。少年もまたそうであるらしい。ジンタとの出会いは、彼の人生になんら影響を与えなかったようだ。どだい石原慎太郎にはなれっこないし、また、なりたいとも思っていない。そんな石原さんのむなしいカリスマ性が、この作品のナンセンスの下地になっていると見ます。モデル小説として最高級ではなかろうか。
 この作品の場合、都庁のサメや火星といったスケールの大きさは、大きいほどに虚無を深めている。ジンタと接点を持ちながらもたもとを分かち、ごく小さなスケールで成長した少年もまたけっきょく虚無的な人生に至っており、これら虚無の対比に名状しがたいおもしろさがかもし出されているようだ。この作者のかたは、いわば、かってな人間のかってな生きざま――ハタから見ればいわゆる自由人――を描くのにたけているが、この作品はその傑作である。

7月6日

(C) Eishi Kon, 2003



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