このサイトについて

明治から昭和初期にかけての日本人移民の歴史について、個人的に調べたものです。リサーチ、及びホームページ 作成の動機はまったく個人的なものです。地理的な範囲としては、サンフランシスコ周辺を中心にすえていますが、これはいうまでもなく初期の米国移民の動き の大半はサンフランシスコに集中していたからです。もっとも、他にやや範囲を広げた部分はあります。取捨選択はまったく恣意的なものです。時期的には、明 治以後、 1924(大正13)年の「排日移民法」制定までを主要な範囲としています。この移民法制定以後、新 たな、そしてより悲惨な状況が生み出されていったことは周知の通りです。

「世界でもっとも曲がりくねった道」、ロンバード・ストリート

出典は、参考文献の項に記してあります。ほかにインタビュー、レクチャーなどから得た部分もありますが、詳細については割愛しました。
筆者は、日本人で、現在サンフランシスコ州立大に在籍しています。日本での職業は、産経新聞記者。昨年秋から今年夏にかけて産経Web上に「米国留学25 時」なる記事を連載していました。連載は終了しましたが、現時点ではまだサーバー上に残っているようです。よろしければごらんください。いつ消滅するかわ かりませんので、リンクは張りません。
ご訪問、ありがとうございました。
(1997年12月31日) 

日本に帰ってきて、しばらくしてからgeocitiesのサーバーの不具合のため、一時的にクローズしてお りました。ようやく再開しましたが、内容的にはほとんど以前と同じです。
(1998年4月4日) 

先日、ある小学校の先生と話す機会があり、現在の小学校に中国からの帰国残留孤児家庭の子供や、ブラジルからの出稼ぎ移民、その他もろもろの外国人 の子供を対象にしたクラスが設けられているケースが少なくないことを知りました。
思い浮かぶのは、アメリカでの日系移民の二世、三世のケースです。ごく単純にいうと、言葉をあやつる能力は社会で生きていくために最重要なPowerです から、いつまで経っても言葉がぎこちない一世を、ある日その子供が追い抜くという事態は普遍的に生じます。そしてその結果として、親子の関係がこじれた り、親に対する優越感や軽蔑の心を子供が持つのも、よくあったはなしでした。
で、先生との会話で知ったのですが、同じような状況が、この日本で、日本へやってきた移民の家庭で、この二十世紀の世紀末にも起こっているというのは、大 変興味深いことです。国際化、という言葉が、実は生き方をねじ曲げてしまいかねないほどの圧力を持っているということをあらわしているともいえるでしょう し、また、現在でも国際化の内実は、実は百年前に日系移民がたどった苦難の道とさほど変わっていないという証左でもあるのではないでしょうか。
帰国直前、思い立ってフレズノのダウンタウンにある旧日本人街に出かけたことがありました。その一角の日系スーパーマーケットで、新移民らしい中年のアジ ア人女性が、小さな子供とともにレジに並んでいました。子供は、「ねえ、ママ、二階に行きたい」と、流ちょうな英語で駄々をこねているのですが、母親の中 年女性は「ノー」と短くいうだけなのです。
なんと冷たい母親か、もっと子供にいろいろ声をかけてやれよと思った後で、ふと気づきました。彼女は、英語を十分にしゃべれないのではないだろうか。しゃ べれても、まわりに気兼ねしてしまうようなレベルではないのだろうか。
その推測は、夫とおぼしき男性が近寄ってきて、お互いに中国語(だったと思う)でべらべらとしゃべりだした時、確信に変わりました。かたわらで、子供は相 変わらず、流ちょうな英語で駄々をこね続けていました。 国際化は、ラクな作業であるはずがありません。 

一部をアップデートしました。
(1998年5月5日) 

部分的に色づかいを変え、ファイル構造を階層化しました。一部、内容も追加されています。工事のため、一部リンク等が不適切な部分があるかもしれま せん。
(1998年10月15日) 

久しぶりにアップデートしました。といっても、主にリンクの微調整だけです。まだ混乱しているリンクもあります。
(2000年12月13日)


サンタローザの駅前に登場したスヌーピーの銅像。長沢鼎が農園を開いたサンタローザは、スヌーピーの作 者、チャールズ・シュルツが暮らした町でもある

本当に久しぶりにアップデートいたしました。

地味なページですが、おかげさまでずいぶんたくさんの方々に訪問していただき、感謝しております。
私は外信部の記者でもなく、特に密接に国際取材にかかわっているわけでもありませんが、現代において、だれもがある程度は、国際問題や日米関係について考 えざるを得ないのではないか、との考えから、このようなテーマを調べてみました。その際、極めて限定的な足がかりとして、北米移民史を取り上げたわけで す。
しかしながら同時に、北米移民の先人がなにを行い、どう成功し、どう失敗してきたかを知ることによって抽出できる構造は、おそらく現代とそれほど変わって いないだろうという直感、あるいは期待がありました。それは今も変わっていません。

2001年5月末から6月にかけ、カリフォルニアを再訪しました。産経新聞社が年間企画として掲載している「日本人の足跡」という連載企画で、長沢 鼎を取り上げるためです。久しぶりに、 Japanese American Historic Archivesの岡省三さんにお会いできたり、Paradiseridge Wineryを訪れたりすることができ、懐かしい思いでいっぱいでした。
内容は産経新聞のホームページにも掲載されていますが、上記の「米国留学25時」と同様の理由で、リンクは張りません。また、やや複雑なリンクになってお り、トップページから辿れないようですが、興味がおありのかたは、是非さがしてみてください。

なお取材の際に、岡さん所蔵の長沢鼎のアルバムを複写させていただく機会があり、その一部を紹介しました。
(2001年9月11日)

内容は変わっていませんが、geocitiesの措置に伴い、メールアドレスを変更しました。
(2003年9月20日)

松尾理也
email: sankmatsuo@yahoo.co.jp

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