バーリンゲーム条約

 バーリンゲームは1862(文久2)年から清国に赴任していた米公使。当時としては異例の「平等条約」であり、第5条で移民の自由、第6条で米国内の清国人の保護をうたっていた。

 このため、その後米国内で中国人排斥の機運が盛り上がった際にも、差別的な条例が制定できず、中国人排斥論者から非難をあびた。

 このため米政府は1880(明治13)年に、強引な外交交渉によって条約を改定。米国政府が中国人の渡航、居住に対して制限あるいは停止できるとした。
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