サンフランシスコ大地震

 1906(明治39)年四月一八日午前四時半発生。特に火災による被害が甚大で、軍隊が出動してダイナマイトによる破壊消防を実施したものの、火は三昼夜にわたって燃え続け、在留日本人の罹災者も一万人にのぼった。

 当時、現地に入った作家のジャック・ロンドンは「サンフランシスコは死んだ」との慨嘆をもらしている。

 災害直後の市内は(ちょうど阪神大震災がそうだったように)無警察状態に陥ったにもかかわらず、暴動などの混乱はおきず、秩序が保たれたとされる。一般にこの地震の際、戒厳令が施行されたと言われているが、実際には発令されていない。

 日本政府は義捐金として五万円を送るとともに、地震学の権威、大森博士を中心に調査団を派遣したが、この一行がアメリカ人から投石されるという事件も起こった。これに対して、当時のジェームス・フィーラン市長が遺憾の意を表明した。ちなみに、同市長は強硬な排日論者だった。

 震災前は、日本人町はチャイナタウンに隣接した形であったが、地震を機に売春・賭博などの暗黒面も存在した旧来の日本人町を整理すべきとの意見が強く、新しい日本人町は現在のポスト・フィルモア沿いに移転することになった。

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