米本土への渡航熱

 1890(明治23)年ごろから、総数に制限のあったハワイ官約移民に対して、比較的渡航が自由で、なおかつ賃金水準も高いアメリカ本土への渡航が増大した。
 国内的には地主制の発展と小作農・余剰労働者の増加、加えて国内の労働市場の小ささが相まって、海外への出稼ぎがブームとなった。一方アメリカ西部ではフロンティアの消滅が宣言されたころではあったが開拓事業に対する安価な労働力はますます必要とされていた。ところが、1882(明治15)年に中国人排斥法を成立させたため、大資本は代替の労働力を日本に求めた。
 さらに日清戦争後、従軍していた労働者の引き上げ後の就職先として海外での出稼ぎが積極的に奨励された一面もあった。アメリカ西海岸各地には、日本人の中で指導的位置にあったもの、英語に堪能なものが、労働者供給のための請負人が隆盛し、鉄道現場などへのパイプ役を果たした。

表紙に戻る