転航

 1890年代なかごろになると、ハワイの日本人労働者のなかにアメリカへ再移住するものがあらわれ始めた。本土の方が賃金が高かったからである。さらに、安価な労働力を求めていた西海岸の資本家も積極的に募集した。さらには、単にハワイを踏み台にして、最初から本土転航を目的とする移住形態や、これをあっせんする業者が現れた。
 日清戦争、日露戦争後の余剰労働力がはけぐちを求めていたこともあり、転航熱は1900年代にはいって一段と過熱した。この軍人上がりの一群は、のちの黄禍論につごうよく利用されることになった。また、当初は貧しいとはいえ、留学生、さらには高等教育を受けたものの入国が多かったアメリカ本土の日本人だが、ここにきて粗野なものが増加し、折からの排日論者に利用される形にもなった。
 当時のハワイ移民の間で流行したのが、「ホレホレ節」である。


 一回二回で帰らぬものは

 末は布哇でポイの肥え

 明日はサンデーじゃ 遊びにおいで

 カネはハナワイわしゃ家に

 出稼ぎは来る来る 布哇は詰まる

 相の中山金が降る

 行こかメリケン

 帰ろかジャパン

 此処が思案の布哇国

 なお、歌詞の中にあらわれる「ポイ」「ハナワイ」などはハワイ語と英語、日本語をチャンポンにした独特の用語である。「ポイ」は芋で作ったハワイの食べ物、「ハナワイ」はサトウキビに水を引く作業のことで、「カネ」は主人という意味。

 「ホレホレ」とはキビの枯れ葉のことで、これを取り除く作業中に歌われたことからこの題名がついた。

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