若松コロニー

 維新後、エドワード・スネルが会津藩の数人を引き連れ、1869(明治2)年2月、汽船チャイナ号でサンフランシスコへ入港。カリフォルニア州エルドラド郡に購入した六百エーカーの土地に日本人最古の入植地(異説あり)を建設した。茶の栽培と養蚕を目的としたが、資金不足、病の流行などのため挫折、スネルは同行者を置き去りにして日本へもどった。
 一行の中におけいという少女が、子守役としていたが、1871(明治4)年、十九才で病死。同地に墓碑が建てられた。
 そのほかの名前には、柳沢佐吉(のち福音会入り)、大藤松五郎、増水邦之助(いずれも大工)などがあり、一部はサンフランシスコのブルックス領事に保護を求めた。

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