福音会

福音会は、サンフランシスコの日本人書生たちの初期の母体となった重要な組織である。その初期に文倉平二郎という人がいた。文倉は現在、「幕末軍艦咸臨丸」(中公文庫)の著者として知られているが、当時福音会の書記を務めていた。彼が残した「福音会沿革史料」は初期の日本人たちの生態をいきいきと伝える貴重な資料である。なお、「史料」のなかでは名前は「平三郎」となっている。これは、実際の名前は平三郎だったのだが、届け出の際は平二郎となり、それが戸籍上の名前となったということらしい。
以下は「史料」からの抜粋である。


福音会沿革史料
文倉平三郎
(編者注:非常に読みやすい楷書体で、一字一字丁寧に書かれてある。清書された、という趣がある)

1887(明治20)10月〜1889(明治22)12月

この時分は福音会が支那街のミッションよりゼシー街に移ったころ。当時ようやく学生の渡航熱が盛んとなり、毎船2、30名の渡航者がいた。福音会としてももっとも活気を呈した時代であった。

5月29日
尾崎顎堂(編者注:サンフランシスコの留学生たちを批判する記事を時事新報上に掲載した。要旨は陸奥宗光報告書とほぼ同じ)への反論記事広告

4月20日
討論会
「日本人は加州にてモンゴリアンたる法律の制裁を受くべきものなるや」
消極論者 大沢栄三 青木仙三
積極論者 米山梅吉 池田栄之助

6月1日
選挙会
会長 松田定吉(40票)
副会長 我孫子久太郎(42票)
書記 大沢栄三(18票) 米山梅吉(18票)
会計 佐藤信忠(32票)その他
評議員 松丸鉦吉(27票)

7月13日
大沢栄三「吾はいかなる婦人を娶るべきや」の演題にて雄弁をふるう。

8月17日
「大沢田中両氏の東行について」米山梅吉演説

9月14日
小林参三郎氏登壇し衛生談。書生のもっとも慎むべき肺病のことについて注意を促す。

10月19日
例会
止宿料は前金
二階に応接間を作る
などを議決

1890(明治23)年9月〜1891(明治24)年10月

福音会月報発行、ゴールデンゲート街へ移転

11月1日
懇親会
会員のみならず関係者広く参加。祈祷にて開会し聖書朗読、我孫子の挨拶、新体詩の結構で留学生の境遇をうたう、落語、剣舞、奇術、「条約改正談判」なる狂言、さまざまな出し物が飛び出した。その後鮨が配られ、レモネードで乾杯。

91年10月24日
福音会例会取締規則
一、毎週土曜日に例会を開く
二、集会時間は午後八時〜十時
三、例会ではまず聖書を朗読し次に演説討論等をなすこととす
四、聖書購読者はあらかじめ会長が選定。演説討論は会員の随意なるべし。但し一週間以内にその趣を幹事に届け出るべし
五、例会の順序次第は遅くとも三日以内に掲示する
六、演説討論の要旨は記録、保存する
七、言論中上帝の栄光を汚し他人を誹謗することを禁ず
八、会衆は静粛を旨とし司会者の命にしたがうべし
九、在桑港会員は出席を義務づけられる
十、四回以上欠席する場合は理由を会長に報告すること。

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