赤羽根忠右衛門

 長野県伊那郡箕輪の出身。1839(天保10)年生まれ。三十歳の時横浜矢田坂20番ホテルで働き、米国ポンプ商人テーラーと知り合って明治三年に渡米。このころ水夫ではなく白人のボーイとして渡米したのは異数だった。
 1883(明治16)年、ストックトン街に料理屋兼水夫宿を開き、醤油、味噌を取り寄せ日本食を供して人気を博す。当時日本人経営の旅館といえば、赤羽根、高橋七五郎、西本長太郎が御三家といわれた。
 咸臨丸水夫の墓地改葬にも尽力した。
 妻たけ。たけは助産婦としても活躍し、同胞に重宝がられたという。
 サンフランシスコ大震災で焼け出され、その後一時サクラメント平原で農園労働をするなど困窮した。
 1918(大正7)年8月16日、79才でサンフランシスコで死去。萩原真、黒沢格三郎、副島八郎ら八人が発起人になり、日本人墓地に碑を建立した。

表紙に戻る