田中文蔵

 横浜の外国貿易を目撃して刺激され、一攫千金を夢見て、日本の養蚕業を起こそうと蚕卵紙をもって渡米。しかし蚕卵紙は航海中海水に濡れて腐敗してしまい、用をなさなかった。
 そのあと、今度は達磨落としと吹き矢をもって渡米し、ジャクソン街に吹き矢店を開いたが、当初は白人に珍しがられたものの、失敗。ワシントン街の中国人教会の地下を借り、牛乳配達の傍ら紙袋を張って糊口を凌いでいた。当時の中国人教会の監督がオチス・ギブソン牧師である。
 福音会発足当時のメンバー。

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