珍田捨巳

 1856(安政3)年12月24日、弘前森町に生まれる。1875(明治8)年、東欧義塾で受洗、1877(明治10)年、東欧義塾の留学生としてアメリカ・インディアナ州アスベリー大(のちデポー大)に留学。1881(明治14)年に帰朝し、東欧義塾で教鞭を執るかたわら、弘前教会で布教活動に従事。
 1885(明治18)年から外務省勤務。小村寿太郎らと出会う。1890(明治23)年9月、34歳で領事としてサンフランシスコに赴任。現地で日本人会を組織。排日運動をかわすため、「日本人はモンゴリアンにあらず」などというキャンペーンを行ったりする。学童隔離事件、メキシコ出張などに功績を残す。
 サンフランシスコ時代は、出稼ぎ移民をむしろ奨励し、永住を否定的に見ていた。
 ブラジル公使、オランダ公使、ロシア全権公使をへて、1911(明治44)年、駐米全権公使。1912(大正元)年のポトマック河畔の桜植樹にも立ち会った。1927(昭和2)年から侍従長。1929年死去。伯爵。

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