堂本誉之進




 和歌山県那賀郡出身。1884(明治17)年11月、弟・兼太郎イギリス船オセアニック号でサンフランシスコに着く。当初、下宿の掃除夫や木材の伐採事業に従事。兼太郎がサンフランシスコ・スートロ公園で日雇い労働をしているとき、植木や草花の栽培業に着目。1885(明治18)年、オークランドの空き地を借り入れ、菊、カーネーション、後には椿、藤、つつじなども輸入、百合の球根なども独占的に販売した。
 1890(明治23)年、さらにふたりの弟も呼び寄せ、新たに2エーカーの土地を買い入れた。これが日本人による土地購入の嚆矢となる。
 1904(明治37)年には35エーカーの土地を買収し、ヨーロッパまでに販路を持つ全米屈指の花卉園に成長した。同業の日本人の中心的存在となり、ドーモト・カレッジと呼ばれた。
 北米貿易会社社長。ベビークラムの輸出などでも成功。
 花卉業は同時に渡米した弟の金太郎が中心で、誉之進自身は事業への興味が強かったとされる。フランクと名乗った。
 日本酒の醸造を計画し会社を副島八郎 をたてて設立したが、失敗に終わった。

5000 Melrose Avenue, Oakland

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