文倉平次郎

 東京生まれ。仕立屋の息子。一時期日本人福音会の書記をつとめる。1898(明治31)年、咸臨丸水夫の墓を発見したのを契機に、咸臨丸の研究家として、「幕末軍艦咸臨丸」を著す。

 時の領事、陸奥広吉(陸奥宗光の子)や木村芥舟と懇意。赤羽根忠右衛門に働きかけ、咸臨丸水夫の墓整備に尽力。これらは現在でもコルマの日本人墓地の中心にある。 

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コルマの日本人墓地に立つ咸臨丸水夫の墓
 1901(明治34)年帰朝。古河鉱業に入社し、日本で生涯を終える。古河鉱業に入ったのは、おそらく古川とつながりの深かった陸奥宗光、そして広吉の縁だったであろう。

 足尾鉱毒事件に反対の立場をとった荒井常之進らとも、信仰者として面識はあっただろうが、それと古河社員としての立場との矛盾は、とやかく言うべきものでもないであろう。 

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日本人墓地全景。夏は霧が深い
 「平二郎」「平次郎」二通りの表記があるが、これは戸籍の届け出の際に間違えたためとされる。そのため、自分がふだん使用していたのと、正式名が違っていたようだ。

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