川崎巳之太郎

 ヘイト青年会に属し、新世界の絶縁後、機関紙として創刊された北米日報の主筆となる。日本で新聞編集に携わった経験を持ち、デビューは華やかだった。ところが最初に日本人売春婦を批判する記事を書いたところ、ごろつきが大挙してボイコットなどをほのめかして恐喝したため、筆鋒が鈍ってしまったという話が残っている。
 のち、ペスト検疫事件で副島八郎、我孫子久太郎らとともに地方遊説委員になり、日系人の啓蒙につとめる。
 政府よりの姿勢を崩さず、幸徳秋水が渡米していたときは新聞記者として身辺で集めた情報を政府に流していたとも言われる。このことから一部でスパイという言い方もされるが、現実はそれほど極端なものではなかったのではないかと推察される。第一、川崎は当時すでに名士であり、スパイと呼ばれるほどの危険かつ割の悪い仕事をする必然性がない。
 のち、新世界、日米に参加。
 築峰と号す。のち帰国して代議士。

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