トーマス・レーク・ハリス

 1823(文政6)年、英国フェニー・ストラトフォードで生まれ、五歳のときにニューヨーク州ユチカに移住。1845(弘化2)年、メアリー・ヴァン・アーナムmary van arnumと結婚。スエーデンボルグの神秘主義をベースに、独自の神秘主義的カルトを創設。新生社(Brotherhood of New Life)と名付け、 森有礼長沢鼎 などを信者とした。

 当初ニューヨーク州を拠点とし、アメニアやエリー湖畔のブロクトンにコミュニティを建設。いわゆる「ニュー・エイジ」ムーヴメントの源流と指摘する向きもある。同世代のクエーカー教徒などと同様、ユートピア建設に情熱を燃やした。

 一方で、教団内にごたごたも多く、1875(明治8)年には大陸横断鉄道が開通し便がよくなったカリフォルニア移住を決意。百人弱のメンバー(ほとんどが白人)のうち、長沢、 荒井常之進 と白人の母子の計五人だけでサンタローザに移った。

 教団は、全財産を提供することを義務づけ、夫婦の別居を強いるなどの面があったので、当時から議論がわかれた。またハリスは霊的存在に近づく方法として独特の呼吸法を掲げ、さらに夫婦の同居を禁止し、しかしながらハリス自身は妻と同居し、先妻が死去するとすぐさま次の妻を迎えた。

トーマス・レーク・ハリス

 アルザイア・シュバリエという婦人運動家、クリスチャン・サイエンスの信仰者が当時、兄弟社を訪れて、ハリスに教えをこうた。 当初、彼女はハリスを「純粋で気高い指導者」と心底から思っていたようであるが、のちに、彼女はハリスを 「肉欲にまみれた詐欺師」と決めつけた。

 彼女は当時、有能な宗教改革運動の提唱者として、そこそこ名を知られた存在で、彼女は、サンフランシスコ・クロニクルへ精力的に投稿し、かなりおおきな社会問題となった。

 現在でもハリスに対する評価は難しく、「結局は彼自身を信じるか信じないかにかかっており、人間性を信じられないとすれば、詐欺師以外の何者でもない」というような評価が多い。

 ハリスはまた、日本についても独特の価値を置いていた。終末論的な色彩の濃い彼の教義にとって、当時の西洋社会は堕落としかうつらず、救世主が再臨する土地は日本かアフリカであるとしていた。また、日本人留学生に対してキリスト教へ改宗を強制せず、一方でハリス自身の教義が中心に女性神を据えるなど神道に似たところがあったため、日本人留学生に受け入れられたという指摘もある。

 日露戦争時には、長沢とハリスは連名で、開戦を奉祝する声明を出している。

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