明治

1868(慶応4/明治1) 米中間でバーリンゲーム条約
ヴァンリードのあっせんで「元年者」153人がハワイへ(4月)
1869(明治2) エドワード・スネルがワカマツ・コロニーを建設 
セントラルパシフィック鉄道が完成し、中国人労働者一万人以上を解雇
1870(明治3) ワカマツ・コロニーのおけい死去
日布通商条約締結
サンフランシスコに領事館開設(8月)
小弁務使・森有礼ワシントンに赴任するため日本を出発
大貫八郎渡米
1871(明治4) 岩倉具視ミッション入米
廃藩置県
森有礼、ワシントンに公使館開設
1872(明治5) マリア・ルス号事件(横浜)
太陽暦を採用(11月9日)
人身売買の禁(太政官布告)
1873(明治6) 日本政府、官費留学生を全廃
長沢鼎残留
1874(明治7) 赤羽根忠右衛門渡米
美山貫一渡米
1875(明治8) トーマス・レーク・ハリス一行、サンタローザへ移住
練習艦筑波サンフランシスコ入港
合衆国、売春婦と犯罪者の入国を禁止
1876(明治9)  
1877(明治10) サンフランシスコで福音会発足(10月)
1878(明治11)  海外旅券規則公布(1月)
1879(明治12) 長沢鼎、葡萄の植え付けを始める
1880(明治13) 米中間で移民取り締まり条約締結 
1881(明治14) 横浜正金銀行設立
日本で緊縮財政
松方デフレ
福音会が分裂
1882(明治15) 中国移民制限法(8月)
福沢諭吉、時事新報を創刊
赤羽根忠右衛門水夫宿を開業
中国人排斥法
米移民法改正、狂人、犯罪者および公共の負担になりうる人物などの移民を禁止
1883(明治16) 福音会再分裂
1884(明治17) ハワイ官約移民開始
サンフランシスコ在留日本人137人
堂本誉之進兄弟渡米
1885(明治18) 「東雲新聞」発刊
第一回ハワイ官約移民出発
日本郵船設立
米政府契約移民を禁止
武藤山治渡米
1886(明治19) 石坂公歴、山口熊野、馬場辰猪、菅原伝ら自由民権家大挙渡米
横浜正金銀行サンフランシスコ支店設置
日本人キリスト教青年会(のちヘイト青年会)発足
1887(明治20) サンフランシスコで週刊紙「蒸気船」発刊
田中鶴吉再渡米。井上角五郎、塚本松之助らと
美山貫一、ハワイ伝道を開始(9月)
馬場小三郎渡米 
武藤山治「米国移住論」発表
1888(明治21) 牛島謹爾渡米
オークランドで「新日本」発刊
片山潜帰日
陸奥宗光がサンフランシスコの日本人書生を非難する報告書
米、契約移民禁止に違反した入国者に移民官の権限で強制送還できるよう移民法を改正
1889(明治22) 大日本帝国憲法発布 
森有礼死去 
米本土への労働者移民の増加
「十九世紀」発刊
SFに領事・河北俊や赴任、日本人間の融和をはかって日本人懇話会設立
1890(明治23) 副島八郎渡米(1月10日)
石坂公歴らサクラメント平原へ日本人として初めて入植 
ヴァカビルで中国人と日本人が衝突 
堂本兄弟、花卉栽培を開始 
珍田捨巳、領事として着任(11月)
長沢鼎、珍田捨巳に日本人移民積極招聘を提案
1891(明治24) 板垣退助、星亨ら「海外移住同志会」設立
「日本吉佐移民会社」設立
牛島謹爾馬鈴薯を試作 
外務省に移民課設置 
合衆国、改訂移民条例を実施し、貧困移民、伝染病患者、一夫多妻主義者らの入国を禁止 
藤田義朗サンフランシスコ領事館書記官が報告書
1892(明治25) デニス・カーニーが排日運動 
SFモーニング・コール紙が五回に渡り日系移民増加を警告する記事を掲載、排日機運の濫觴
雑誌「遠征」発行 
大日本人会結成 
日本人がモントレー湾で漁業を始める 
竹崎犀吉、ヴァカビルで日本人労働組合を組織 
トーマス・レーク・ハリスカリフォルニアを去る
1893(明治26) ハワイ王朝崩壊、東郷平八郎ら「浪速」「金剛」でハワイへ   
サンフランシスコで日本人児童隔離事件(第一次)(5月14日) 
武藤山治が醤油販売を試み失敗 
榎本武揚、殖民協会を設立(2月) 
川上音二郎一座が来演
六月中ごろ、ヘイト青年会の石川定邦が不敬事件
十一月の天長節でヘイト青年会がボイコットされ、独自に記念行事を開く
1894(明治27) 副島八郎、「新世界」発刊 
副島、八月頃から本格的に新世界編集に携わり、青年会のベースメントに引きこもる生活を始める
日清戦争勃発、アラメダ郡に日本人による「愛国協会」 
移民保護規則公布 
官約移民最終船ホノルルに着く(6月) 
日本人靴工同盟会発足
鷲頭尺魔渡米、シアトルからサンフランシスコへ
1895(明治28) 下関条約
1896(明治29) 日本郵船がシアトル航路開設 
鷲頭尺魔「鰓はづ誌」発刊
1897(明治30) 東洋汽船がサンフランシスコ航路開設 
メキシコ榎本殖民が失敗
1898(明治31) 米国、ハワイを併合 
米西戦争 
サンフランシスコ仏教会成立
1899(明治32) 日本政府、ハワイ行き契約移民を禁止 
「商業上門戸開放制作に関する宣言」 
ホノルルに中国人ペスト患者発生(12月) 
荒井常之進帰朝
八月、長沢鼎方に高橋是清が訪問
1900(明治33) サンフランシスコでペスト検疫事件。通行遮断、強制接種などを強行し日本人間に反対運動を巻き起こす
ハワイでペスト予防のため東洋人街を焼き払う 
サンフランシスコの労働者大会で排日を決議 
日本人協議会が各地で成立 
ハワイを米国の属領化、米国移民法を適用 
北清事変 
副島八郎、バークレーに日本清酒醸造会社を設立 
日本政府、米加への移民渡航を一時禁止 
「請負人」隆盛
1901(明治34) 加州日本人慈恵会設立 
片山潜「渡米案内」発行 
豪州政府、移民制限法公布 
カリフォルニア、ネバダ州議会が排日決議案 
セオドア・ルーズベルトが大統領に就任
1902(明治35) 日英同盟 
日本政府、条件付きで渡米禁止を緩和 
片山潜、「渡米協会」設立 
オクスナード争議   
ハワイから米本土への「転航」ピークに 
コルマに日本人墓地開設
1903(明治36) シカゴでのアメリカ労働者大会で日本人移民問題が議題に   
サンフランシスコで日本人美術雑貨商組合結成 
日米金融社、銀行に改組 
サンフランシスコ労働局長ローゼンバーグ、日本を視察 
佐野佳三、サンフランシスコに日本語学園を開設
榎本武揚、「殖民協会」設立
副島八郎、「新世界」を倉永照三郎に譲渡(十二月)
1904(明治37) 副島八郎、醸造業に失敗し、オークランドの白人家庭で働く
日露戦争勃発(2月)、長沢鼎とハリスが連名で開戦の奉祝
ハリスの衰弱深まり、フロリダに静養、一時長沢を呼び寄せる
片山潜、テキサスで米作に着手
1905(明治38) 一月、旅順陥落。加州で黄禍論が高まり「日韓人排斥協会」誕生 
SFクロニクル紙が「日本の侵略」特集(2月23日)
五月六日、サンフランシスコ教育委員会が「東洋人学校を拡充して日本人児童を収容」と発表、猛反対の末撤回される。
在米日本人連合協議会設立(五月十八日、サンフランシスコ・ユニオンスクエア会館にて、我孫子久太郎理事長らを選出)
日米協会結成 
日露戦争終結 
幸徳秋水サンフランシスコへ 
バークレーでも学童排斥事件
1906(明治39) サンフランシスコ大地震、日本人罹災者1万人(4月18日) 
サンフランシスコで日本人児童隔離事件(第二次)(10月11日) 
合衆国司法省、日本人の帰化申請拒否を指令 
この年に出発したイタリア移民、全世界で七十八万七千九百七十七人に達し、史上最高を記録 
幸徳秋水サンフランシスコを出帆
我孫子久太郎、ヤマトコロニーの土地購入
1907(明治40) 日本人土地所有禁止法案、カリフォルニア州下院を通過(ルーズベルト大統領が訓電で阻止) 
サンフランシスコで洋食店襲撃など日本人迫害事件頻発 
日本・カナダ間で移民制限協定成立(ルミュー協約)(12月) 
ルーズベルト大統領がハワイから米本土への転航禁止令
高平・ルート協約
1908(明治41) 在米日本人会設立 
第一回ブラジル行き笠戸丸移民
1909(明治42) カリフォルニア州議会へ二度目の日本人土地所有禁止法案提出
同議会、日本人移民の実態調査を決議 
小村外相、議会で移民の満州、朝鮮集中主義を説く(満漢移民集中論) 
ハワイ、オアフ島で日本人ストライキ
1910(明治43) 前年の決議を受けてマッケンジー・カリフォルニア労働局長が日本人移民実態報告書、日本人に好意的として論議を巻き起こす
日韓併合条約
十一月三日の天長節において、フレズノ(現場はベーカーズフィールド)でキリスト教牧師北沢鉄治による不敬事件
1911(明治44) フレズノ不敬事件をめぐり、副島八郎、「報国美団」を組織し仏教系の立場から遊説し、日刊紙「国民」発刊
メキシコに日本が海軍基地建設とのデマ流れる
日米開戦説流れる
在米日本人会、新渡戸稲造を招聘
カリフォルニア州議会に三たび外国人土地所有禁止法案上程、タフト大統領の訓電で流れる
フレズノ不敬事件をめぐり、中加タイムスの若尾峡南主幹が国民派に襲われ負傷
ストージ博士、キリスト教機関紙「新天地」に「日本人教会は合同すべし」との論
パナマ博の起工式

大正へ

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