マウイ記


 
 
 








私は妻の癌の療養のためにマウイにやってきた。ハワイといえば昔、LA行きの格安便がホノルルにストップオーバーするために不本意に立ち寄った事があるだけで、しかもそれは私が妻と結婚をした17年も前のことだった。今回我々は、ミシガン州嵯峨野(Saginaw, MI)から、シカゴ、サンフランシスコと乗り継いではじめてハワイに24時間以上滞在する為にやってきた。乗り継ぎの待合いを含めて片道12時間の旅であった。

マウイは休火山島である。地図を見るとわかるが、二つの火山にまたがって成り立つ島である。島の南側にそびえるハレアカラ山は雲に覆われているが、世界最大の休火山なのだそうだ。南隣のハワイ島には活発に低粘性の溶岩を噴出し続けるキラウエア火山があるが、こちらは煙も何も無く全く静かな山だ。ただ大量の溶岩性岩石と火山灰地が往時の活動を偲ばせている。鉄分の多い火山噴出物で出来たハレアカラ山の山頂は"Magnetic peak"とよばれ飛行機のコンパスを狂わせるほどの磁力を持っている。資料によると、ここは地球内部から発する電磁力線が外に出て行く地球上で数少ない場所の一つであるということだ。別な本にはアメリカ合衆国領で最強の自然界のエネルギーポイントと書いてあった。
 
 
 

我々の飛行機が着陸体勢に入ると窓の外には火山灰台地の上にパイナップル畑が広がっているのがみえた。マウイのパイナップルは他の場所のパイナップルよりも美味しいといわれているが、それはその気候のゆえであるよりも、その鉄分やミネラルを大量に含んだ土壌という要因が影響しているのではないかと思われる。そういえば、何年か前にワシントン州のマウントセントへレン火山が大爆発を起こして、周囲の山林を火山灰と溶岩で焼き払って大被害が出たことがあったが、その後に、その周囲で火山灰が降り注いだりんご畑などでは、それまでよりも大きく味も一層よいリンゴが出来るようになった。マウイの土壌で産するタマネギ、ニンジン、アボカド、コーヒーは他の島のものよりも味と風味が濃い。マウイの土壌には各種ミネラルや鉄分が多いのがその原因であると考えるのがよさそうだ。日本も火山島なのであるから、ミネラルの多い火山灰地で育てられた作物は当然美味しいのかもしれない。鹿児島の桜島近傍の大根やサツマイモ、北海道の大雪山のまわりの美瑛や富良野の火山灰地のメロンが美味しかったのもそれで理解できる。

マウイ島の主要農産物は、パイナップルやコーヒーよりも、やはりサトウキビである。私はレンタカーでサトウキビ畑を横切るハイウェイを走った。アメリカ大陸ではないので、「とてつもなく広い」という形容は当たらないが、身の丈よりも大きいサトウキビの畑が、なだらかな円錐状の山腹をおおらかに遥か彼方まで広がっている様はやはりダイナミックである。ハイウェイといってもハワイの離島であるから、対向二車線の追い越し禁止の州道である。そのハイウェイの三つ辻にもくもくと煙を吐き出す工場があった。これはその島の唯一の精糖工場で、1840年代から創業しているのだそうだ。南北戦争の時に、北のユニオンが南のコンフェデレートの砂糖を使用禁止にしてしまったために、マウイの砂糖の需要が激増し、それ以来工場が拡張され、今でも同じ釜で砂糖を精製しているという。幕末にハワイを通ってアメリカに渡った日本人もこの砂糖工場の煙を見たはずである。さとうきびの畑のある山腹の台地を見やると、そこに大火災が起きていた。それはどうやらサトウキビ畑の真中で出火し、たちのぼる灰色の煙が紺碧のハワイの空にコントラストを作るように巨大な雲塊を作っていた。私は案内をしていた人に、あれは大変な山火事ではないのかと心配して尋ねたが、その人が言うには、あれは農家の人が収穫したサトウキビを山のように積み上げてわざと火を放っているのだと説明をしてくれた。サトウキビは水分と線維分が多いので、工場に持って行く前に畑で易燃性の部分を焼き捨ててしまう。畑には一つの倉庫が一杯になるほどの大量のサトウキビが山積みされ、それを一気に焼いてしまうのだから、あれくらいの煙が出るのは当然だ、あれもマウイの風物誌だと教えてくれた。道理でマウイの黒砂糖は草が焼けたような味がする訳だ。因みにサトウキビが主要産業になる前は捕鯨がハワイの基幹産業だったという。今はクジラといえば、秋から冬にかけて観光客が見物に来るだけであり、残念ながらであるが、食べることはできない。

我々はマウイの火山島の西側の砂浜の近くに宿泊した。浜の名前はキヘイと言った(表題のアロハの絵葉書がその実物写真)。キヘイというのは、昔のハワイの原住民の女性が着る民族衣装の名前だという。キヘイの砂は白く、混ざりものが殆どない細かいもので、そのまま砂時計に入れられるほど良かった。日本の海水浴場のように、公徳心のない者が撒き散らすビール瓶破片や空き缶、ペットボトルなどは全く見られなかった。シカゴのミシガン湖のビーチやサンタモニカの砂浜のようにマリファナやドラッグを青少年に売りに来るような気違いやリベラリストもいなかった。我々がアメリカ本土から十時間以上も飛行機に揺られてやってきた甲斐があったのをそのとき初めて感じた。

キヘイの浜の沖には、カホオラウェという大きな無人島がある。ここはハワイが合衆国領になってから、軍の所有となり、戦後しばらく、軍の爆撃演習の標的として永らく使われていた。この島には海岸から二海里以内には立ち入り禁止となっていて、上陸するとおよそ2メートルに一個の割合で不発弾が埋まっていて危険極まりない島になってしまった。ところが、説明によるとこの島には、昔には少数の人々が住んでいたとされ、古代には神聖な島だったらしい。それでこの島には、ハワイの昔から調査されたことの無い先住民の遺跡が最も多く残っている。1990年になって当時のブッシュ大統領は、このカホオラウェ島をハワイ州に返還することを決定し、それから多額の予算をかけて不発弾を撤去して民間人にも上陸可能にすることを約束したが、間もなくクリントンになってしばらくその計画も停滞している。最近の話では、恐らく、ここ2,3年には上陸可能になるのではないかと言われている。そうなれば、また島の考古学者が最初に上陸して調査をすることになると思う。カホオラウェの手前には、モロキ二環礁という小さな三日月型の島がある。環礁というのは正確ではなく、これは火山性火口なのだ。上から見るとドーナツ型をしていて、そこから海底まで結構な深さまでまっすぐ筒状の構造になっている。珊瑚礁が海底の沈降に伴って伸びたのではなく、はじめから火山性であることは、その形状から明らかである。そこには、ダイバーや釣り人が集まる太平洋の天国のようである。

我々がそこに来て最初にやったことは、家内の砂療法、であった。家内は今年に入って、全く異なる原発性の癌が子宮と胃にみつかり、それぞれ別個に手術をして弱っていた。手術後はゆっくりと体力が回復していたが、ちょうどアメリカ本土には熱波が押し寄せて、ノースダコタですら華氏110度を越えるような異常な高温に達し、ミシガンもそれほどではないにしろ暑くなり、健康な人ですら堪えるようなものであったから、病み上がりの家内にはもちろんよろしくないに決まっていた。マウイ島は昨年の9月11日のNYのテロ事件以後日本からもアメリカからもアクセスの手段が限られていたが、それはかえって我々の療養という目的には都合がよかった。砂浜には多少の旅行者の家族連れもいたが、マイアミやサンタモニカと比べればほとんど閑散としているように見えて、砂療法をするには絶好だった。砂療法というのは、要するに暖められた砂にもぐることである。日が昇って、浜の砂が暖まったころに、ビーチパラソルと沢山の水のボトルを持って、波のかからない所を選んで、そこにもぐるのである。砂にもぐっている時間は、砂の温度にもよるが、2時間から4時間、条件が良ければ8時間までは耐えられると言われている。もちろん、脱水症状にならないように介添いする者は、傍らにいて、時々ペットボトルの水を飲ませたり、崩れた砂をかけなおしたり、ビーチパラソルの角度を変えて頭や顔に直射日光が当たらないようにするなど、結構忙しく、ぼんやり波を見つめていたり、他の本を読んでいる暇はなかった。家内は五日間連続の砂療法を行った。最初の日には、まず一時間だけやってみて感触を学び、翌日から2時間、3時間と増やしていった。最後の日には実に総計6時間の砂療法に及んだ。細かい砂はサラサラしているものであったが、砂療法をしているうちに粘凋性の汗が出てくるようになり、細かい砂粒が毛穴に頑固に吸い付いてきて、シャワーの水で洗ってもなかなか落ちなかった。砂が体の汗を無限に吸い続けているのではないかと思われた。私は家内の砂療法のケアで忙しかったので、最後の日に一日だけ3時間ほど自らもぐっただけだったが、驚いた事に、その結果私が日本のカレッジの学生寮でうつされて以来定住していた水虫が完全に消滅した。

マウイ島の集落のダウンタウンからいくらも行かないところに、巨大な渓谷があった。高さはそれほどではなが峻険な火山の火口が崩れて出来た谷だった。火山火口が崩れた地形であるということは、先の地球の電磁力線を集めている南隣のへレアカラ山の火口の下のマグマの流れと平行になっていて、ここも同じような磁気異常が起こっているだろう。下から見るとそこだけ深い厚い雲に覆われているように見えた。イアオ渓谷である。町の中心から向かうハイウェイがどんどん狭くなってゆき、道の両側に並ぶドラッグストアや銀行、レストランなどの建物の風情がだんだん京都の泉涌寺の山門通りのような質素で渋いものになってきて、思わずこれがアメリカ合衆国の中の場所であることを忘れさせた。道はさらに細くなり、切り立った崖の間に観葉植物の束のような森の中に進んで行くと、空気は冷気に替わり、空の下半分は鮮やかな深緑の植生に覆われた岩の壁に取って代わった。途中に巨大なガジュマルの木(?)が祭られているかのように石垣に囲まれて立っていた。ここは今から千年以上も前に、この島の先住民が年に一度集まって護国豊穣の神に祈る例祭を行っていた所であると言われている。具体的にどのような例祭であったのかは、十分な資料が残っていないので誰もわからない。その後、この峡谷はポリネシア人の物となって、やはり海山の神を祭る所となったり、政治闘争の舞台となったりした。18世紀にはハワイ諸島を統一するカメハメハ大王軍とマウイ保守軍がここで凄惨な戦闘を行ったという。そういうわけで、そこはどうやらいろいろな伝説と因縁が重ね合わされた所らしいのである。ここにやってきて、家内の体調はまたよくなった。なんとなく、日本の深山に登ったようなすがすがしさと、鬱蒼と生える樹林の中で十分な森林浴になったからだと思われる。


 

家内の体調が砂療法を繰り返しているうちに良くなってきたので、我々は車で島の東の端にあるハナという集落にピクニックに行った。マウイの中心から州道を走ると、道は次第に細くなり、マウイの北の断崖絶壁を這うような曲がりくねった道路を東へ進むこと2時間半、途中はアメリカの道らしくない急勾配、急カーブ、一車線で対向できない区間、橋などがあってとても早くは走れない。植生もサトウキビ畑から、オーストラリアからやってきたユーカリの林、それがシダと熱帯雨林の森になり、やがて、真っ黒で石炭のような色の砂浜と真っ青の空と、目に染みるような椰子の木の緑で縁取られる異世界にやってきた。それがハナだった。なんと、ここにはハセガワという名前の雑貨屋があった。ハセガワジェネラルストア。本質的には僻地の集落に見られる何でも屋であり、生鮮果物、食料、乾物、雑貨、金物、簡単な自動車部品、お土産品が狭い古びた木造店舗の中に山のように積まれている。その様は、日本で昔スーパーマーケットが普及して絶滅した雑貨市場のようである。モンタナのオースチンというところにも確かこれと似たような店を見たことがある。そこの看板には、"If we do not have one, you don't need it!"と書かれていた。ある物で足れりとせよの店である。ただ、このハセガワストアがそういった一般的な辺境地の雑貨屋と少々趣を異にしていたのは、この店の宣伝のために作ったコマーシャルソングがハワイで一昔爆発的な大ヒットとなり、ハワイの住民なら誰でも知っている程の知名度を得た「名物ストア」だということだ。それで、わざわざこのハセガワストアを見るためにマウイの東の果てまで来る者もあるという。まさに、大地の終わりに立っているのだ。店にはハセガワストアのTシャツ(長谷川家の家紋入りもあった)、バンパーステッカー、ハセガワソングのカセットテープといったプロモーショングッズが並んでいたのがご愛嬌であった。しかし、この店を創業したハセガワという人は、一体何を考えて、わざわざ故国を離れて、海の果てのハワイの、そのまた小島の、更にこのような奥地までやってきたのだろうか。私はこの店の店主が日本のどこの地方の出身であるのかを尋ねたかった。ここまで来る千載一遇のチャンスを得て尋ねないのは後の日まで悔やまれると思った。しかし残念ながら店主はいなかった。店員に「この店のマネージャーはいるか」と尋ねたら、店員は「マネージャー? そんな者はいない。いるのはキングだ。しかし、そのキングは残念ながら今、海にお出かけ中だ」と答えた。
 


 

またマウイ島に行って目を引いたのは、そこでは今ハワイの「独立運動」が行われていることだった。宿泊したコンドミニアムの前に「ハワイ独立運動用地」と看板を出して浜辺にブースを開いている活動家がいた。話しをしに行ってみると、恰幅のいいおっさんとマウイ育ちであると言う白人女性がいて、活動の内容を説明していた。彼らの政治活動にはハワイ選出の民主党の重鎮であるダニエル・イノウエ上院議員のお墨付き(エンドースメント)があった。もらったパンフレットには、イノウエの「連邦政府といえどもハワイ諸島住民の意向を無視した政策を行うことは不可能である」という発言が書かれてあった。彼らの主張の長い話を簡単にすると、18世紀にカメハメハ王が統一したハワイ国を一方的に合衆国に併合してしまったのはアメリカの失敗であるから、今合衆国はハワイに謝罪し、連邦政府の土地をハワイ国政府に返還し、ホノルルにハワイ共和国の自治独立国家を立て上げるのを認めて欲しいという。彼らが言うには、自分たちは合衆国政府と敵対する国になるのではなく、経済でも人間交流でも現在の通り穏やかに続けて行く同朋国家となりたいというのだった。それならば、軍事に関してハワイの安全保障はどうなるのか、こんな所で暢気に独立国家を旗揚げしていたら、中共やテロリスト国家の餌食になってしまうのではないかという懸念を質問してみたところ、彼らは、米軍には引き続きパールハーバーを拠点にして太平洋地域の安全確保を継続してもらうことを望んでいると言った。この運動を支持する人はハワイの各界人のみならず、アメリカのさまざまな人種の人々からも参意の署名が寄せられているらしい。ハワイの独立運動家といっても武力闘争やイデオロギー闘争には全く無縁の人々のようであり、単にハワイ王国が合衆国に1892年に一方的な接収を受けた事に抗議して共和国の穏やかな復活を求めているだけ(!)であり、ハワイの軍事的意義が合衆国やハワイ自身のみならず、日本や韓国、オーストラリア、東南アジア諸国の安全と幸福に取っても必要であると言う現実的かつ常識的認識は共有しているようだった。ハワイはハワイ、アメリカ本土人は本土人、それぞれ勝手にやってくれというような無責任をしている訳でもなかった。確かにこんな所でユートピア思想で民族自決などを主張しても誰も耳を傾けないかもしれない。その穏健性のゆえにハワイ独立運動というのも、合衆国政府から一目置かれ、アメリカ議会議員たちの中からも超党派の支持者を得て、対等な交渉団体とみなされているというのが面白い。とはいうものの彼らの要求が認められ独立が実現すると見るのは余りに楽観的過ぎるのは言うまでもない。たとえそうであっても、沖縄の場合も米軍基地反対などと叫ばなければ、もっと建設的で対等に穏やかな交渉展開があったかもしれないと想像した。私はカメハメハ王の子孫のサポーターと写真を撮って別れた。
 

マウイはオアフと違って、足の踏み場もない大都会ではない。島の大きさはオアフよりも大きいが、人口はオアフの10%くらいだと言われている。それでも、道路が狭いので車が時々渋滞することもある。ハワイに来てショッピングや娯楽で過ごすのではなく、昔からある大洋の真中のオアシスの自然を味わいながら、大都会で疲れ病んだ体をいたわって体力を回復するにはマウイは寧ろ適しているといえる。ハレアカラ山の磁気の効果は全く定かではないが、せめてミネラルを豊富に含んだ土壌で産する山海の恵みを受けて健康を取り戻すには眞にリクレーションの言葉の原意を経験したように思われた。宿泊したコンドミニアムの近くには、その場でオーダーを受けて野菜や果物を絞って売るジュース・バーがあった。このようなものはアメリカ本土にも日本にも見られなかった。健康を求めてやってくる旅行者や長期滞在者が駐車場一杯に集まってきて新鮮な野菜ジュースを求めていた。
 
 

(このページは今後しばらくの間予告なしに内容を追加する予定です)


妻の癌の物語にジャンプ


インデックスのページに戻る