▼「馬鹿」の部屋▼

 世間ではよく「馬鹿っ!」と言う(主に東日本)。がしかし、そんなに簡単に馬鹿馬鹿ばかんと連発していいのだろうか。馬鹿について掘り下げて考えてみようとする人間は私くらいのものだろう。もし日本馬鹿学会が出来たら会長への就任を狙っているが多分その前に私の命が尽きるだろう。ともかく馬鹿とは何か、何をもたらすかを考えたい。

 今回はその手段として「諺(ことわざ)」を使おうと思う。例えば次のような諺がある。「馬鹿は風邪を引かない」。日本中の多くの風引きを救ったことばである。また、「馬鹿は死ななきゃ治らない」というのもある。日本中の口の悪い人間が重宝する言葉だ。さて、ここで一つ重大な結論が導かれることに、賢明な皆さんは気づいておられるだろう。つまり次のような推論である。

私は馬鹿である。私が言うのだから間違いない。

馬鹿は風邪を引かない。

故に私は風邪を引かない。

ところが現に私は今日風邪を引いてしまった。

と言うことは馬鹿ではなくなったと考えられる。

然るに馬鹿は死ななきゃ治らない。

故に私は今日死んだ。<終了>


 実はこんな結末が・・・・・。諺には深い意味が隠されているとは知っていたが逆説が含まれていると言うのは素晴らしいことだ。この諺が出来た当時、人々の知的レベルは相当なものだったようだ。それを裏付けるかのように、次のような諺もある。

 例えば、「馬鹿につける薬はない」「馬鹿と煙は高いところが好き」「馬鹿とはさみは使いよう」などがある(時にこれらの表現は婉曲的に用いられることもある)。これらを用いてどんなことが言えるかを以下に推論してみる。  

私は馬鹿である。私が言うのだから間違いない。

私は怪我をしてしまった。

そこで私は医者にかかった。

医者は私を細かく診察した後、「かすり傷ですよ」と言い、塗り薬を処方してくれた。

そこで私は薬を塗った。

しかしよくよく考えると、馬鹿につける薬はない。

故にこの医者は藪医者である。<終了>




彼が高層マンションに住んでいることは広く人口に膾炙している。

彼が知性に溢れ、理知的な人物であるとは満天下に知らしめられている。

ここで、馬鹿と煙は高いところが好きである。

もしこれが必要充分条件なら、彼は馬鹿であるか煙であるかどちらかだ。

しかし先述のように彼は馬鹿ではない。

故に彼の正体は煙である可能性が高い。<終了>




私の部下は上手く使えば役に立つが、普段はそうでもない。

俗に馬鹿とはさみは使いようと言う。

故に部下は馬鹿であるかはさみであるかのどちらかだ。

ところが部下の体は金属光沢を放たないし、延性・展性を持たないし、金属結合していない。

故に部下は金属ではない。

故に部下ははさみではない。

故に部下は馬鹿である。<終了>


 こうしてみると、昔の人たちはこうした諺に潜む矛盾を通じて私たちに何らかの教訓を与えようとしているのではないかとさえ思えてくる。人を馬鹿にしてはいけない、いずれ訳のわからぬ理論で自分が困るだけですよ。そんな声がどこからか聞こえてきそうだ。私だけか。

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