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05 ソーセージはいかが?

 目の前を、小さな物体が弾丸のように駆け抜けた。乱馬はそれに飛びついた。
「待ちゃーがれ!」
 腕の中をすりぬけて、八宝斎は重力を無視した動きで飛び回る。夕食後の天道家では日常茶飯事の騒動である。
「嫌じゃーい!」
 八宝斎の手の中には水差しが握られている。
「おとなしくその水よこせっ」
 乱馬はスカをくらって障子につっこみながら、言った。障子の桟が無残に砕けた。
「わたすものかっ。わしはこの双生児溺泉(シュアンションツニーチュアン)で双子になって、下着を取りまくるんじゃっ」
 居間で茶を飲んでいたはずの早雲と玄馬もやってきた。
「乱馬くん、協力しよう」
「邪悪なお師匠様が双子になっては一大事!」
 八宝斎は飛び上がると、廊下へ逃げ出した。
「待てーっ」
 乱馬たちはそれを追いかける。乱馬は廊下においてあった防火用水をかぶり、急いでチャイナ服の前をはだけた。
 ぽろり、と豊かな胸がこぼれた。
「おー♪」
 八宝斎が逆走してきて、女のらんまにとびつこうとした。
「スキありっ」
 らんまはかかとをはねあげた。らんまの蹴りは八宝斎の手をかすめ、水差しは宙を舞った。スローモーションで回転しているように見えた。
 らんまはぎょっとした。水差しの落下地点にあかねがいたからだ。
「よけろっ」
 叫んだが遅かった。回転しながら水差しは中の水をぶちまけ、あかねは頭からかぶった。
 あかねはよろめいた。あかねの体の輪郭が陽炎のように揺らいで膨らんだようになり、次の瞬間、びりびりっと音がした。服がはちきれたのだ。分裂したふたりのあかねの体は、どさりと廊下に落ちた。
「うそっ」
 らんまは八宝斎を玄馬にパスして、あかねに駆け寄った。自分も女だったが、かまわず上着を脱ぎ、服の面積が少ないほうのあかねに着せた。
 ふたりになったあかねは口々に言った。それぞれ、破けた服を胸のあたりに抱き寄せた。
「なに?」
「なんであたしがもうひとりいるの?」
「「どういうこと、乱馬!」」
 最後はハモッた。とりあえず元気そうでよかった。
「わ、わしの手に入れた呪泉郷通販グッズのせいで、あかねちゃんが双子になってしまった!」
 八宝斎は玄馬の腕の中でぶるぶると震えた。「かくなる上は責任をとって、両方嫁にもらうしかないっ」
 玄馬の腕をすりぬけ、とびあがった。「あっかねちゅわんっ」
 らんまは立ちはだかると、思い切り八宝斎を蹴りあげた。八宝斎は家屋を突き抜け、星になった。らんまはそれを見届けると、振り返った。ふたりのあかねがらんまを見ていた。
「めんどくせーことになったな」
 らんまはしゃがんでしげしげとふたりを見た。よりによってあかねに被害が及ぶなんて。今気づいたが、どういうわけか片方のあかねはロングヘアである。らんまが先ほど上着を着せたのはショートヘアのほうのあかねだった。
「びっくりしたぁ」
 ショートヘアのあかねがらんまに手をとってもらって、立ちながら言った。早雲がロングヘアのあかねに自分の作務衣を着せている。
 らんまは玄馬が持ってきたお湯をかぶった。体が大きくなってすぐさま男に戻る。
「とにかく、お前も湯をかぶれよ」
 片方にだけかけても元に戻るのだろうか? とりあえず乱馬はふたりを並ばせて、両方同時にお湯をかけた。
「あれっ、なんで!?」
 すっとんきょうな乱馬の声が響いた。「なんで元に戻らねえんだ!?」





 茶の間ではカメラのシャッター音が響いている。なびきが記念撮影していた。ロングヘアのあかねとショートヘアのあかねのショットなんてめったにないから、とうきうきした口調である。
 ショートのあかねは白のブラウスに花柄のスカートをはいている。ロングのあかねは茶色いワンピースを着ている。白系と黒系で、間違いにくくっていいや、と乱馬は思った。
「ったく、おめーは商売にすることばっかだな」
「あら、ちゃんと心配してるわよ」
 となびき。「このままあかねがふたりのままだったら、写真は2倍でぼろもうけとか、乱馬くんとの喧嘩も2倍で騒がしいとか、いろいろね」
「何の心配してんだ」
 なびきは構わずシャッターをきる。早雲と玄馬は黙ってそれを見ている。かすみはふたりのあかねの分のお茶をいれていた。
 ショートヘアのあかねは、
「悩んでても仕方ないし、元に戻る方法、おじいさんが帰ってきたら聞きましょうよ」
 と言いながら、なびきに調子をあわせて乱馬に寄った。写真をとるためだ。ショートのあかねがピースを構えて乱馬の腕をつかむと、乱馬とカメラの前に、ロングヘアのあかねが立ちはだかった。レンズをふさいだ。
「やめてよ、お姉ちゃん」
「あら、嫌なの? まぁいいわ」
 なびきは撮るのをやめた。
 ロングのあかねは乱馬を振り返って、強くにらんだ。長い髪が揺れた。
「なっ、なんだよ…」
 乱馬は言ったが、ロングのあかねは立って行ってしまった。
 乱馬はロングの去ったほうを指差しながら、ショートのあかねにたずねた。
「あいつ、怒ってんの?」
「さー?」
 ショートのあかねは茶を飲んでいる。
 とりあえず乱馬はロングヘアのあかねを追った。双生児溺泉を間接的にかけてしまったのは自分だし、ふたりのときに謝ろうと思っていたのだ。ロングに謝ったら、ショートにも謝らないといけない。でもよく考えたら、これからは謝る手間も2倍、なびきの言うとおり喧嘩も2倍だ。あかねの相手は一人でも手に余るのに、面倒くさいことになった。
 あかねは道場にいた。道着を着て、これから稽古でもするつもりらしい。長い髪はリボンでひとつに束ねられていた。髪型が変わっただけで、別の女の子みたいに見えた。なんだかいつもより緊張するのを感じた。
「あかね」
 あかねは振り返らない。「何怒ってんだ」
「ほっといてよ」
 乱馬は近づいた。
 あかねの眼はらんらんと燃えて、眉は不機嫌そうにつりあがっている。
「双子にしちまったこと、怒ってんのか」
「別に」
「なんだよ。ひとりでぴりぴりしやがって」
 機嫌の悪いのはつっけんどんな口調でわかる。
 あんまりとりつくしまがないので、乱馬も気分が悪くなってきた。
「用がないならどっか行ってよ」
 と言われたのを潮に、謝らないまま道場をあとにした。
「ったく、人が下手に出りゃあ」
 とつぶやいていると、もうひとりのあかねが、2階の物干し台のところにいるのが見えた。乱馬は、こっちのあかねとも喧嘩するのかと、謝る前から疲れてしまった。
 物干し台に出ると、夜気が感じられた。あかねが振り返った。
「乱馬?」
 なんだか笑ったような口調だった。怒っていないようだ。機嫌がいいうちに謝るに限る。ロングヘアのあかねとのことがあったので、乱馬はやっつけ仕事のように言った。
「そのよー、悪かったな」
「何が?」
「双生児溺泉、かけちまって」
「ああ、そんなの」
 あかねは乱馬に向き直った。「乱馬のせいじゃないわよ。気にしてない」
 拍子抜けした。
「そおか。よかった。てっきり怒ってると思ったから」
「怒る? なんで」
 あかねはにこっと笑顔を見せた。あかねが真正面から微笑みかけることはめったにないので、乱馬はどきりとした。
「あたし乱馬にお礼言おうと思ってたのよ。おじいさんから守ってくれたもん」
「う、うん」
「ありがと…」
 あかねはそういい残すと、照れたように顔を伏せて、乱馬の横をすりぬけ、家の中へ入って行った。あかねの足音が遠ざかった。
 かわいいかも…。
 残された乱馬はぼんやりそう思った。
 


 乱馬は布団をしいて、寝る準備をしていた。横ではパンダが電気を切った。乱馬は床についた。布団の中で考えるのは、今日あったこと、あかねがふたりになったことである。
 もしも、と乱馬は思った。もしもあかねが双子のままだったら、おれは嫁さんをふたりもらうのかな。白無垢のあかねとウェディングドレスのあかねが同時に乱馬の腕をとる。その想像はどこか倒錯的で、よくない感じがした。それ以上想像するのはあかねに申し訳なくて、乱馬は布団に顔をうずめた。
 ふたりのあかねは性格が違うようだ。髪の長いあかねはよく怒鳴る。髪の短いあかねは素直で寂しがりで、乱馬のそばにいたがる。
 どっちもあかねの一面だが、分かれるときにかたよったらしい。どっちかというと、乱馬は素直なあかねの方がいい。
 さっき歯を磨いて寝るまで、拳法の型の本でも眺めようと思っていたら、ショートヘアのあかねがやってきて、
「いっしょにいていい?」
 と言いながらおずおずと乱馬の服の袖をひいてきた。ひかえめで、ひどくかわいくって、胸がぎゅーっと詰まってしまった。本を読むどころじゃなかった。
 きっと、乱馬に対する好悪も、双子になるときに分かれてしまったのだろう。乱馬に対する態度が違いすぎる。ショートヘアのあかねが乱馬を好きなぶん、ロングヘアのあかねは乱馬が嫌いだということだ。
 そう気づくとますますロングヘアのあかねを扱いづらく感じた。
 どがん、と音がして、考えがふっとんだ。
「なんだ?」
 乱馬ははねおきた。パンダもおきた。
 あかねの部屋のほうだ。乱馬はなると柄のパジャマのままかけだした。あかねの部屋のあたりにはすでに、早雲たちが騒ぎを聞きつけてやってきていた。
「乱馬くん」
「おじさん、どーしたんスか」
「どうも中で喧嘩してるらしい」
 あかねの部屋のドアが乱暴に開いて、ふたりのあかねが飛び出してきた。ふたりともパジャマ姿だ。ロングヘアのあかねが竹刀を頭上に振りかざし、ショートヘアのほうを追いかけている。
「きゃーっ」
 ショートのあかねは乱馬の後ろに隠れた。
 ロングのあかねは竹刀の切っ先を乱馬につきつけた。
「隠れてないで堂々と勝負なさい! 卑怯よ!」
 乱馬の後ろでショートのあかねが言った。「いやよ、喧嘩なんて!」
 乱馬は目の前の竹刀をつかんでねじ伏せた。
「やめろよ。こんな夜中に」
「あんたには関係ないでしょっ」
「おまえ、凶暴すぎだぞ。落ち着けよ」
 肩をつかもうとすると、ロングのあかねはその手を払いのけ、逆に乱馬の頬をはたいた。強くはなかったが、ぱんっと音がした。
「放っといて! あんたなんか嫌いよっ」
 あかねは竹刀をひろうと、逃げるように一階へ降りて行った。嵐が去ったみたいになった。なびきは「さー寝よ寝よ」とあくびしながら部屋へ帰っていく。
 ショートのあかねが乱馬の前へまわりこんだ。
「ごめん。乱馬、痛かった?」
「このくらいどーってことねー」
 本当にどうってことないからそう言ったのだが、その場の雰囲気ではどうもあかねを思いやって言ったみたいになってしまった。
 早雲とパンダも寝に行った。あとは乱馬にまかせるということか。
「ごめんね…」
 あかねはそっと手をのばして、乱馬の頬に触れようとした。驚いて、乱馬は思わずその手をつかんでしまった。
「お前が殴ったわけじゃねえだろ」
 乱馬はあかねの手をおろした。頬の痛みも消えてきていた。
「おれ、もうひとりのほう見てくる。お前、もう寝てろ」
 そういい残し、乱馬は一階へ降りていった。本当にもうひとりのほうが気になったのだ。
 どこにいるのかと思ったら、茶の間だった。電気もつけずに座っている。
「よお」
 と乱馬は声をかけた。と同時に一種の覚悟を決めた。こっちのあかねはあっちのあかねと違って、凶暴で素直じゃなくっておれが嫌いなんだ。
 あかねがこちらを向いた。泣いてはいない。威圧感があった。
「なんで自分と喧嘩したんだ?」
 あかねの返事はない。
「自分同士でも喧嘩することあるんだな」
 乱馬はあかねの隣に座った。あかねは体を揺すって遠ざかった。
 少しして、あかねが言った。
「あんな子、あたしじゃないわ」
「そうか?」
「あたしたち双子だけど、同じじゃないもの」
 お前の方が凶暴だもんな。乱馬は声に出さずに思った。
「でも暴力はやめとけよ。あっちのあかねはおとなしいみたいだし…」
「うるさいな!」
 いきなりあかねが声を荒げた。「なによ、デレデレしちゃってっ。あたしたちがひとりだったときはちっとも優しくなかったくせに!」
「はぁ? 何言ってんでい。おれはただ」
「出てって! あたしはここで寝るんだからっ」
 あかねが乱馬を突き飛ばした。乱馬は立ち上がった。
「わかったよ。ったく、かわいくねーな」
「さっさと出てけっ」
 座布団が飛んできた。乱馬はよけた。
 仕方なく茶の間をあとにしたが、乱馬は部屋に戻ってパンダを踏み越え、客用の布団を抱えて茶の間へ行った。のどかが来たときなどに使ったものだ。布団をおろしてあかねに声をかけた。
「これ、使えよ」
 あかねの返事はない。本当に可愛げがない。あかねが双子でなくひとりのあかねだったら、礼くらい言ったはずだ。こっちのあかねは本当にひねくれ者らしい。乱馬は茶の間を出て行きかけた。
「乱馬」
 小さくあかねが呼び止めた。
「なんでい」
 自分もちょっと不機嫌そうな声になってしまった。
「…なんでもない」
 とあかねは言った。
 乱馬はそのまま茶の間をあとにして、遅めの眠りについた。


つづく

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