>>TOP

07 恋の落下傘

 良牙が公園についたのは、デートの4日前だった。一週間ほど余裕をみていたので、残りの数日はその場で野宿した。そして3日後の昼。
「良牙さま!」
 白いワンピースと麦藁帽で清楚に装い、手を振りながら駆けてくるのは、雲竜あかりである。
「あかりちゃんっ」
 良牙も嬉々として手を振った。
「先に着いてらしたんですね」
「うんっ。おれだってやるときはやるのさ。今日はカツ錦は?」
「豚相撲の稽古があるので、おいてきました」
 良牙は気が軽くなった。あの大きな豚に見つめられてデートするのは、あまり好きではなかった。
 あかりとは3月ぶりのデートである。もう幾度目かのデートだが、良牙は緊張していた。あかりの丁寧な性格と、良牙の真面目な部分が、いつでもふたりを新鮮な雰囲気にしていた。
「そうか、久しぶりにふたりっきりだな。どこに行こうか? 海? 北海道?」
「良牙さまったら…」
 あかりは口元に柔らかな笑みを浮かべた。「ここは山ですよ。お誘いした手紙に書いたじゃないですか」
「そうだったっ」
 道理で木や崖が多いと思った。あかりはまぶしそうに帽子のつばを傾けながら、言った。
「この近くに有名な縁結び神社があって、しばらく縁日が開かれるんです。一度来たいなと思ってたので」
「縁日か。いいね」
「お祭りまでしばらく時間がありますから、散歩でもしませんか」
「よし、いこう」
 公園の茂みに旅の大荷物を隠し、良牙とあかりは歩きはじめた。
 歩きながら、良牙は旅の土産話をした。いつもどおり、北海道でハブに襲われそうになったこと、仙台で明太子を食べたこと。大相撲の行われる両国国技館への道のりが、ずいぶん遠かったという話になったとき、あかりが言った。
「国技館は東京ですよ」
「えっ、そうなの?」
「ブタ相撲の試合も国技館で行われるんです。あっ、そうだ」
 いいことをひらめいた人の仕草で、あかりは胸の前で手を合わせた。「良牙さま、今度ブタ相撲の試合に出ませんか」
「ええ!?」
「雲竜部屋の選手が一頭けがしてしまって。良牙さまはお強いから、きっと勝てます。嬉しいわ。良牙さまが豚のような方で」
 はたから聞くと笑顔でけなしているように聞こえてびっくりするだろう。雲竜あかりは大真面目だ。
「でも、おれはブタじゃないし」
「元は人間でも、ブタのように強くって、ブタのように優しくって、ブタのようにかっこよくて。ブタになれるんですもの。良牙さまは、ブタそのものです」
 あかりは顔をふせ、頬を赤らめた。良牙は複雑な気持ちだ。
「あかりちゃんは…、おれが豚だから好きなのかい」
「え?」
 あかりは首をかしげた。
「いつもブタブタブタって、ブタのことばかり」
「良牙さま、だってそれは。良牙さまは人間のときだって、十分ブタらしいから」
 気づくと駆け出していた。
「おれはブタじゃないんだーっ!」
「良牙さま!」
 あかりが呼び止めたが、良牙の本気の走りについていけるわけがない。良牙はぐんぐんあかりを引き離し、獣のように雑木林へ飛び込んで行った。




「ねえ乱馬。この近所の神社で縁日やるんだって。いっしょに行かない?」
 そう訊いたのはあかねだ。
 アイスをくわえたまま、寝そべっていた乱馬はぴょこんとおさげを振り、答えた。
「んー? いーけど」
 天道家とその居候たちは、山の温泉地に避暑にきていた。五泊六日の滞在予定だが、それもなかばになると若い乱馬たちは飽きてくる。
 早雲は旅館の浴衣姿で、タオルを肩にかけて部屋に戻ってきた。いいかげんその姿も見慣れた。
「乱馬くん、あかね。行ってきなさい。ふたりで楽しんできなさい」
 早雲はビールの蓋を開けた。
「みんなは行かないのか?」
 なびきはホットパンツ姿でスイカを食べている。
「だってその神社、有名な縁結び神社よ。男の子つれずに行ってもむなしいだけじゃん」
 あかねが、乱馬にそれを言ってはならない、というように「おねーちゃん!」と大きな声を出した。
 縁結び神社に一緒に行きたいなんて、可愛いところがあるな、と乱馬は思ったが、口からは普段どおりの言葉が出た。
「縁結びぃ? あかねと行ってもなぁ〜」
「じゃーいいっ」
 あかねはぷいと顔をそむけた。「あたしはお祭りに行きたかっただけよっ」
 立って、行ってしまった。乱馬はしまった、と思ったが、呼び止める言葉を思いつく前にあかねは部屋から出て行った。呼び止めようと手を差し出した姿勢の乱馬のまわりを、八宝斎が飛び回りはじめた。
「やーい。ふられた、フラれた〜」
「うるせえ」
 八つ当たり気味に繰り出したパンチを、八宝斎がよけて挑発した。そこから追いかけっこが始まった。
 跳ね回る八宝斎を追い、旅館の窓から飛び出した。二階だったが、八宝斎も乱馬も屋根の上に駆け上がった。まだ日が高く瓦は目玉焼きが焼けるくらい熱い。
「まてっ、くそじじい!」
「こーこまーでおーいでー」
 八宝斎は屋根から植え込みへ、植え込みから木へととどこまでも逃げていく。乱馬も負けてはいないが、追いつくことはできない。
 旅館の名物である、展望台の広場まできた。乱馬は「でやっ」と叫んで、飛び蹴りを繰り出した。







 良牙は商品についていた説明書をひろげて、読んだ。

「"落下"傘で恋に"落ちる"だと…くだらん」
 ふう、とため息をついた。手の中の落下傘はさっき偶然通りかかった神社の土産屋で購入したものだ。くだらねえ、と店の主人の前で言い切りつつ、財布に手をかけていた。
 良牙は恋のつりざおのときのように、誰かを自分にほれさせたいわけではない。ただ、あかりと喧嘩わかれしたことを思うと、いてもたってもいられなくてこれを買ったのだ。本当は、仲直りのダシに使えるような土産を探していたのだが。
―――投げた人の心は拾った人のもの。
 あかりにこれを投げさせて、拾えば、少しはあかりの気持ちがわかるかもしれない。
 ずっと前から疑問に思っていた。あかりは響良牙が好きなのではなく、自分がブタになれるから好きなのではないかということ。
 落下傘のことは冗談にしても、あかりにそれを確かめなければならない。
「でももしブタのほうが好き、なんていわれたら」
 良牙は芝居がかった仕草で、落下傘を握ったほうの手を高く差し上げた。「繊細なおれの心はうち砕かれてしまうぜっ」
 そのとき、「でやーっ」という声がした。
 乱馬の蹴りが良牙の手にあたり、小さくたたまれた落下傘が手から離れた。
「くそじじーっ」
 乱馬は良牙の目の前で八宝斎を追いまわし、落下傘をつかむと、八宝斎のほうへ投げた。
 思いがけない展開に、良牙は ああーっ!? と叫んだ。
「乱馬きさま! 何をする!」
 落下傘は展望台の手すりを越え、崖から落ちていく。八宝斎と乱馬は突風のようにかけぬけ、林へ入って行った。
 良牙はあわてて落下傘をおい、崖下の車道へまわった。見上げると、丸くて白い影がゆっくり降りてくる。乱馬が投げた落下傘は空気をはらんで帆をふくらませ、左右に揺れながら落ちてくるのだった。
 やがて、落下傘は車道にふぁさっと落ちた。
「乱馬の野郎、なんの恨みがあって…」
 拾いかけて、良牙は手をとめた。
 これを拾った者は、乱馬に惚れられてしまうのじゃないだろうか。
 あぶないところだった。背筋が凍る思いで、まるまったハンカチみたいなソレから離れた。良牙は背を向けた。
「犬やカラスが拾ったって、おれは知らねえ。乱馬が勝手に投げやがったんだからな」
 良牙はそのまま去ろうとしたが、立ち止まった。現在地がわからない。
 ……。
「まあ、誰が拾うかくらい見届けてやろう」
 車道の脇のガードレールに身を隠した。




 乱馬は出来るだけ日陰を踏みながら、旅館への道をたどっていた。旅館から靴を履かずに飛び出したままだったので、足の裏が痛い。
「ちっくしょー、いつか殴ってやる!」
 そういえば、途中で良牙を見かけた気がする。良牙は九能と同じくらい神出鬼没なので気にすることはないが、あとでまた会ったら、土産くらいもらってやってもいい。
 道の途中で、浴衣を着た人たちが歩いているのを見た。八宝斎と追いかけっこをするうち、もう日差しはゆるんで夕方だ。あかねの言っていた祭りに行く人たちだろうか。アベックが多い。あとは地元の子供だろうか。
 旅館に帰って、あかねの機嫌が直っていたら一緒に行ってやってもいい。夏の夜に浮かぶ縁日の赤いちょうちんや綿あめのことを思うとわくわくした。
 下駄をカラカラと鳴らしながら、4、5歳の子供がふたり、乱馬の横を駆け抜けた。
 乱馬はその下駄の音を聞いてむしょうに祭りに行きたくなった。やっぱり、旅館に帰ってあかねと行こう!
 赤い金魚柄の浴衣の女の子が、青い風鈴柄の浴衣の男の子を追っている。
「お兄ちゃん待ってよー!」
「待たないよー」
 母親らしい女性が後ろで注意した。
「そんなに走ると転ぶわよ」
 女の子は兄から興味がそれて、止まった。
「あっ、なんだろこれ」
 女の子はそれを拾った。乱馬は旅館に向かって走りだそうとしていて、視界のすみでそれをとらえた。
 何か重大なことがおれの知らないところで起こっている。乱馬はふと、雷に打たれたようにそう感じた。あかねとか祭りとか夏休みとか、小さなことがぐんぐん遠ざかって行った。胸の真ん中がしびれるような感覚に突き動かされて、乱馬は金魚柄の浴衣の幼女を見た。
「わーきれい。なんかついてる」
 幼女は拾った布の中にあった桃色のガラス玉をのぞきこんでいる。
 乱馬は断固とした足取りで女の子の側へ寄り、しゃがんだ。
「おじょうちゃん。お兄さんと遊ばない?」
「え?」
 知らない男の登場に、女の子は眼をぱちくりさせている。
 乱馬は女の子のあどけない表情と、きれいな額を確かめた。栗色の眼を見つめた。この子だ。間違いない。
「お兄さんといいことしよう。何して遊ぶ?」
 女の子を立たせて手をつないだ。そこへ、母親が割り込んだ。
「あなたいきなり何です! 娘をどうする気!?」
 乱馬は視線をあげ、母親の方へ向き直った。
「お義母さん、娘さんをください」
「おっ!?」
 お義母さん、と呼ばれた母親は口をぱくぱくさせている。どちらかというと、乱馬の年齢は娘より、若い母親のほうに近そうだから驚くのも無理はないだろう。
 乱馬は幼女のもみじみたいな手をしっかりと握り、確かめながら、身をのりだした。
「お願いします! 娘さんをください!」


(そろそろ夏も近くなってきたしさ)
つづく

>>TOP