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08 迷走・恋の行方

 紺の地に紫の桔梗の柄が鮮やかだ。あかねは帯をかすみにしめてもらって、鏡で自分の姿を見た。髪をピンで軽くまとめて、薄化粧もしている。
「やっぱり私には大人っぽすぎたかな? この柄」
「そんなことないわよ」
 かすみが襟の部分を直しながら、やさしく言った。「とってもよく似合ってるわ。乱馬くんもきっともうじき帰ってくるわよ」
「うん…」
「そしたらお祭り行ってらっしゃい」
 あかねは、曲がっていない自分の気持ちをかすみに代弁してもらっている気がした。
「あたし、乱馬を探してくる」
 少し素直になってみようと、あかねは勇気を出して言った。
「行ってらっしゃい」
 かすみに軽く背中を押されて、あかねは旅館を出た。八宝斎が帰ってきているのだから、乱馬もこの近くにいるはずだ。
 何をしているんだろう? 「もういい」と言ったこと、本気にしてるのだろうか。皆の前で誘ったのが恥ずかしくてああ言っただけだということ、察してくれていると思ったのに。
 祭りに向かう人たちとすれちがった。カップルが多い。皆、腕をとったり、さざめくようにおしゃべりしながら、ゆっくり下駄でリズムをきざんでいく。西の空は薄紅色で、東の空は紺色だ。
 乱馬はどこだろう? 祭りがはじまってしまう。あかねはきょろきょろ辺りをみまわした。
 手をふりながら、こちらへかけてくる人がいた。
「あかねさーん!」
「良牙くんじゃない」
 良牙はあかねの前で止まった。
「どうしたの、こんなとこで」
「今それどころじゃないんです。大変なんです! 乱馬が女の子を口説いてて! というか半分強引に誘拐しようとしてて! 止めようと思ったんだが、方向を見失なっちゃって」
「なにそれ!? どこ!」
 あかねは腕まくりした。
「あっちです」
 良牙はあらぬ方を指差したが、あかねは無視して別の方向へ走った。人垣ができていて、何か騒いでいるのが目に入ったからだ。下駄なんか履いているから走りにくい。
「どいてくださいっ」
 人の輪をかきわけて進むと、乱馬がいた。乱馬は幼稚園児くらいの女の子の手をひいて、女の人ともめている。どうやら女性は女の子の母親のようだ。女性が言った。
「娘をはなして下さいっ」
「いえっ、はなしません!」
 乱馬は小さな女の子をかばうようにかがんだ。
「絶対おじょうさんを悲しませたりしません。一目見ておれはっ」
 女の子は乱馬の腕の中で、「おかあさぁん」とべそをかいている。
 あかねは自分の下駄を脱いで手にもつと、思い切りふりかぶって乱馬の後頭部を殴った。カーンといい音がした。
「何してんのよ! あんたはっ」
 乱馬ががくんと体勢をくずし、女の子は乱馬の腕の中からすり抜けると、母親に飛びついた。
「うわーん、おかあさん!」
「怖かったわね。行きましょう! ほらそんなの捨てて」
 母親は娘の手中の布を道に捨て、子供を連れて足早に去った。騒ぎが終わったと思ったのか、人垣は散りはじめている。
「けだもの」
 あかねは乱馬のシャツの胸ぐらをつかみ、引き起こした。「このっ、ロリコン! 無節操!」
 乱馬への悪口に、ロリコンという単語は新しかった。
 乱馬は数秒眼をまわしていたがすぐ気がついた。
「あれ? おれ、今なにを」
「こっちが聞いてんのよっ」
 野次馬はすっかり散っていった。あかねは乱馬の胸ぐらを放した。
「あんな小さな子をどうするつもりだったの!?」
 乱馬は頭を掻いた。
「いや、なんか急に変な感じがして、気付いたらおじょうさんをくださいってなことに…」
 乱馬はまた変な冗談ではぐらかそうとしているのだ。あかねは腹がたって、乱馬の言葉を半分しか聞いていなかった。
「あたし帰るっ」
 あかねは下駄をはいてカラカラ鳴らしながら、早足で歩き出した。
「ちょっと待てよ」
 といいながら、乱馬があとから追ってくる。
「もういいわよ! 勝手にどこでもほっつき歩いてればいいでしょ」
「きけって、おれはっ」
 あかねは転びそうになった。乱馬が後ろから帯を引いて、地面に手をつくのはまぬがれた。あかねは体重が後ろにひっぱられて、あわてたが、乱馬の手を払うと、すぐに歩き出そうとした。が、足になにか絡まっている。早く乱馬のいないところへ行きたいのに。
「こんのドジ。鼻息荒くして周りみてねーだろ」
 乱馬が言った。あかねは左足に絡まった布をひっぱった。布には紐がついていて、それをブチブチとちぎった。パラシュートみたいな形だ。
「あんたなんかに助けてもらわなくたってねえっ。平気よ! おせっかい!」
「んだとぉ。もー勝手にコケてろ! バーカ」
 あかねは、「バーカ」とまるく開く乱馬の口の形を見ていた。ひどい。仲直りして縁日へ行く希望は、少しもなくなってしまった。あかねは浴衣の袖をひるがえして駆け出した。言い返すと思っていたのか、乱馬は「オイ」と呼び止めた。
 あかねは振り返らなかった。




「はあ、はあ」
 あかねはゆるやかな階段をのぼりきり、ひざに手をついた。ここは旅館の展望台だ。展望台といってもただの崖っぷちの広場だ。潅木が多く、人はいない。
 手首に通している巾着から、ハンカチを取り出した。あかねはハンカチを目の下にあて、折りたたんで少しとがらせた面を眼のふちにあてた。ハンカチの先がじわっと濡れた。化粧をしているから泣くこともできない。
 息がつまったみたいになっている。胸から顔にかけて熱い。泣くもんか。
 目の前をたよりなげに、蛍が横切った。少し落ち着いてきた。
 あかねはゆっくり歩いていて、左足の違和感に気付いた。重い。下駄の歯に石でもはさまっているようだ。あかねは指をつっこんでそれをとった。おもちゃの、桃色をしたハート型のガラス玉だった。どこか道で踏んだらしい。あかねはそれを握ったままぼんやりと歩く。
 展望台の、崖のほうへ寄った。ぬるい風が崖の下からふきあげてきて、草の匂いがした。もう辺りはすっかり暗い。人里のあかりが見える。手前の、左下の方に神社の祭りの灯りが見えた。
 祭りの灯りは遠く、ここからだと親指大だ。鳥居の形がかすかにわかる。地面の底から湧きあがってくるような、祭りの紅い火を見ていた。祭りの笛の音でも聞こえてきそうだ。
 乱馬がどうしたいのかわからない。あたしは一緒に縁日に行きたかった。
 たまに仲良くしたいと思って、勇気を出して誘っても、乱馬は平気で無視したりする。それに喧嘩をふっかけてきて、あたしをいじめて喜んでいるようなところがある。あいつは結構冷たいのだ。
 目が赤いのがなおったら、旅館へ帰ろう。あかねは蛍の光がともったり、消えたりするのを目で追っていた。
「…かねっ」
 声がした。あかねは顔をあげた。
「あかね」
 階段のところに乱馬がいた。周りを見回している。追ってくるとは思わなかった。あかねは感情がふたたび波立つのを感じた。嬉しかったが、怖かった。乱馬に何を言われても気になんかしない、と自分に言い聞かせた。
 ガラス玉を手にもったままなのに気付いて巾着へ入れた。乱馬はあかねを見つけると駆けてきた。
 あかねはとっさに怒ったような表情をつくった。
「なあ、あの…」
 乱馬は控えめにあかねをのぞきこんでいる。
「なに?」
「悪かったよ。おれ、ほんとは、お前と祭りに行きたかったんだ」
 拍子ぬけした。
「本当?」
「うん。今からでも祭り、間に合うぜ」
 乱馬は手を差し出した。あかねはつられて手をさしのべた。大きくて骨っぽい乱馬の手に触れた。乱馬はあかねの手を引いて歩き出した。
 少し汗ばんでいる乱馬の手が、しっかりあかねをつかんでいる。乱馬の一歩後ろを歩きながら、あかねの胸にはあたたかいものが満ちてきた。
 嬉しい。あたしと同じ気持ちでいてくれたんだ。
 ふたりは階段を降りきって、祭りへと急ぐ人たちに混じった。乱馬はまだ手をひいていた。神社の鳥居のところについたころ、あかねは少し驚いていた。人の目のあるところで乱馬が手をつないできたことは、これまで一度もなかった。
 恥ずかしくて、あかねは、
「ねえ乱馬。あの焼きそば屋」
 と言いながら手を離した。つないでいた手はすっかり汗をかいていて、離すと触れていた部分だけが涼しかった。
 乱馬はわたあめやトウモロコシをふたつずつ買って、ひとつをあかねにくれた。安いものだが、あかねは乱馬がこんなに気前がいいのをみたことがない。
「雨でも降るんじゃない?」
 とからかうと、
「あかねとデート中に女になるのは困る」
 と真顔で答えた。どういう意味だろう?
 あかねは乱馬に射的でとってもらったぬいぐるみやオモチャをかかえなおした。思ったより大規模な縁日で、全部まわりきるのは難しそうだ。祭りも終盤になって、片付けはじめる屋台もあった。
「ねえ乱馬。ちょっと髪の毛なおしたいの。これ持っててくれない」
「ああ。…あそこいこうぜ」
 人の流れの邪魔になると思ったのか、乱馬は神社の社殿の縁をさした。そこは少し奥まっていて、屋台の灯りも少ししかとどかない。あかねは縁に荷物を置いて腰掛けた。髪に手をやってピンをなおした。
 乱馬は買ったお面に手をかけて、じっとこっちを見ている。
「あたしも髪が長かったら、かんざしさしたり色々できるのになぁ」
「短いほうが似合ってるぜ」
「そう?」
 あかねは照れ笑いした。
「おれはショートの似合う子がいい」
―――まさかとは思うけど、あたしを口説いてるのかしら?
 乱馬をうかがった。乱馬はきりりと眉をひきしめて、あかねを見つめている。
「今日はどうしたの。なにか後ろめたいことでもあるの?」
 あかねは、乱馬が10年前お好みソースを駄目にしてしまった負い目から、やたら右京にやさしかった事件を思い出していた。
「なんで」
「やさしいし…。いつもは縁日にきても、あたしなんかほっといてはしゃいでるのに」
「そんなことねえよ」
 乱馬はあかねの腕をとり、引き寄せて縁から立たせた。乱馬の真面目な表情。乱馬はゆっくり、包むように抱きしめた。
 あかねはびっくりして棒立ちになった。
 乱馬の肩越しに、おさげが視界に入った。
 あたしを抱きしめてる。
 乱馬の声がぐんと近くで聞こえた。
「ずっとこうしたいと思ってた」
 こわれものでも守るみたいに、乱馬がそっと身を寄せているのがわかった。手首から巾着がすりぬけて、地面に落ちた。




 …この状況はいったい? ここはどこだ?
 乱馬は、自分が女の子を抱いているのがわかった。あかねだった。背中まで手をまわしていて、左手は帯の上、右手はうなじのあたりだ。あかねの体が密着している。
 どっと変な汗が出た。
 それから序々に記憶が戻ってきた。急にいてもたってもいられなくなってあかねを追いかけたこと。祭りにさそったこと。あかねと縁日の屋台を巡りながら、遠まわしに何度も求愛した。あかねはニブくて気付かないようなので、こんな風に抱きしめたんだった。まるで他人がやったことのようだ。
 どうしよう。なんで? こんなことに? 殴られる!
 乱馬はあかねを抱いた姿勢のまま、緊張と驚きから、腕の筋肉がガチガチに固くなってしまった。覚悟を決めて頭をフル回転させ、言い訳を考えた。もっともあかねが殴る前に話を聞くとは思えないが。
 辺りの草むらでは、ふたりを覆ってしまうかのように、夏虫が鈴の声で夜気を震わせている。
 あかねは殴ってこない。
 紺色の浴衣ごしに、あかねの小さな肩の弾力が伝わってきた。あかねを強く抱いていると、一体感があった。気持ちいいかもしれない。
―――嫌がってない?
 こまかいことまでは思い出せない。俺は何て言ったんだろう。あかねは本気にしたかな?
 気付いたら女を抱きしめていたという、かなり無責任な状況ではあるが、あかねが抵抗しないので少し許された気がした。





(自分で書いといてアレだがつくづくいいかげんな男だ…)
つづく

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