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09 影に恋して

 そのとき、地鳴りがした。数メートル横の地面が円形に盛り上がり、ふきとんだ。乱馬はそれをきっかけにとびずさってあかねから離れた。
 土煙の中から良牙があらわれた。
「あかねさん!」
 良牙はさけんだ。「大丈夫ですか!? 乱馬と歩いてるのを見かけて、追ってきたんだ!」
 あかねは良牙の勢いにおされて、「え、なに?」と数歩さがった。
「何かされませんでしたか?」
「あっあたしは別に」
 あかねは両手を振って否定した。
「今の乱馬は危ないんです。落下傘を拾いませんでしたか」
「ラッカサン?」
 乱馬はそこまで聞いていて割りこんだ。
「おい、良牙てめー。何か知ってるらしいな」
 良牙はカッと牙を見せた。
「うるさい! もとはといえば貴様のせいだ!」
「おれが何したってんだ」
「おれの落下傘投げたろ!」
 あかねが、足元の巾着を拾った。
「おもちゃのパラシュートなら拾ったけど、足に絡んだからやぶいちゃった。あれ、良牙くんのだったの? ごめんね」
「やぶいた? あ、いや、いいんです別に」
 良牙はフォローするようにちょっと笑った。

 乱馬は胸のまん中がしびれる感覚に襲われた。首筋を羽根でなであげられるときのような、快感に似たものが体を駆け抜けた。
 また変になるのは嫌だ!
 精神的抵抗は、あかねが目に入った瞬間に終わった。あかねから目を離せない。いつもより綺麗に見える。特別な磁気でもあるみたいだ…。視界がちらちらして、色々な表情のあかねの顔が何度もひらめいた。
 乱馬は良牙の肩をどんっと突いた。
「いきなり出てきて、わけわかんねーイチャモンつけやがって!」
 乱馬はそれから2度、立て続けに良牙をこづいた。すごい力で、良牙はそのたびに突き飛ばされた方へよろけた。
「あかねはおれとデート中だっ」
 あかねは、乱馬が手加減しないのをみかねて言った。
「ちょっと。そんな乱暴な」
 乱馬は有無を言わさずあかねを自分の後ろに隠すようにして、良牙をなぐりはじめた。拳の当たるにぶい音がした。良牙はなんとか受け流しながら、叫んだ。
「あかねさん、拾ったものをすてるんだ!」
「拾ったもの?」
 あかねは巾着に手をやった。口紐を開こうともたついている。
 良牙は乱馬の攻撃をすり抜けると、あかねの巾着を奪い、投げた。巾着は弧を描き神社の裏手の林へ消えた。暗いのでそれ以上はわからない。
 
 乱馬は正気に帰った。良牙が何か投げたのがわかった。
 次にあかねを見た。なんともない。いつものあかねだ。
 良牙が言った。
「乱馬、ついてこい。事情を説明してやる」
 乱馬は良牙に続いた。
「ねえ。あたしにも教えてよ!」
 あかねはふたりを呼び止めた。
「おまえ先帰ってろ」
「巾着すいませんでした!」
 あかねを残して、良牙と乱馬は足元の笹を踏み分け、神社の裏手の林へと入って行った。





 次の日の朝。いつもならこの時刻、乱馬は大の字になって最後まで寝ているのだが、今日はちがった。
 布団の上でまるまって、手足をこわばらせている。
 ぴくりと眉を寄せると、飛び起きた。汗を拭った。
「夢か…」
 嫌な夢だった。あの、落下傘のおもりだったというガラス玉が、色んな人の手にわたる内容だった。乱馬は恋の奴隷となりはて、ムースや九能にへつらい、最終的には小太刀の思うままとなって九能邸でペットのような扱いを受けるのだった。
 首をさすってみた。嫌な汗をかいていた。小太刀特製の首輪の感触がまだ残っているみたいだ。
 改めて怒りが沸いてきた。全部良牙のせいだ。昨日、”恋の落下傘”とやらの説明を聞いたとき、殴っておけばよかった。良牙は「おれの責任もあるから、解決法を探しておいてやる」といい、乱馬の心が宿ったガラス玉は乱馬自身が持つことになった。
 女しか信じないような、くだらないまじないだと思ったが、その恐ろしさは十分体験済みである。幼女に求婚してロリコン扱いされたり、あかねに貢いで(縁日の安物ばかりだったが)口説こうとしたり…。幼女の件に関しては、旅先だったのがせめてもの救いだ。
 もう2度と誰にもガラス玉を渡すものか。おれの心はおれのものだ。
 乱馬はポケットに手をやった。
「…ん?」
 立って、ぱんぱんとズボンをたたく。ポケットを裏返す。
「ないっ!」
 早速、落とした! 乱馬が蒼くなっているところへ、ふすまが開いて、隣室からあかねが入ってきた。
「乱馬。起きたの?」
 乱馬はシーツを布団から剥いで、ガラス玉を探していた。
「ねえ、今日もね、昨日と同じお祭りあるんだ。今夜はすっごい大きな花火やるんだって」
 やっぱりない。寝る前は確かにポケットにあったのに。乱馬はシャツとズボンを脱ぎ、トランクス一丁になって服をたたいた。あかねは乱馬のパンツ一丁なんて見慣れているから、ひるまない。
 乱馬はあきらめて新しいシャツとズボンをはいた。
「はぁ〜、うそだろ? どこ行ったんだ…」
「人の話聞いてる?」
「あー、うん…。なんだっけ」
 乱馬は力なく聞いた。
「だからっ。乱馬と一緒に花火が見れたらって」
 あかねは自分の言葉に恥じらって、乱馬を見ない。
 昨日とちがってやけに素直に誘っているみたいだ。たった一日でこの違い。何かあったんだろうか。
 乱馬は、昨夜一緒に縁日に行ったことに思い当たった。
「あかねっ。勘違いすんなよ」
 あかねが「?」という風に乱馬を見る。
「昨日のことだけど、その…」
 あかねの頬が見る間に上気していく。あかねの照れが伝染ってしまって、乱馬はうまく言葉が出ない。
「本気じゃなかっ…じゃなくてっ。正気じゃなかったっつーか…。おれ、暑さでボケてたんだ。忘れてくれっ」
「…何言ってんの?」
 あかねはふっと真顔になった。乱馬は立ち上がった。
「悪かったな。ええっと、今、探しもんしてるから」
「ちょっと待ってよ。冗談であんなことしたっての!?」
 あんなことってどのことだろう。色々やった気がする。混雑から守るふりをして肩を抱いたこと? 浴衣がとっても色っぽいと褒めたこと? 思い出すのも恥ずかしい。わーっと叫びたくなった。
「あーっ くそ! 知らねえよ!」
「あたしをからかってたの!?」
「あやまってんじゃねえか」
 乱馬はあかねを真正面から見れなくて、隣の部屋へ逃げた。隣室には誰もいなかった。昼時だから食べに出ているんだろうか。止める人間がいないと、派手な喧嘩になりそうだ。乱馬はうんざりした。
 ”わしのたから”と書かれた、小汚いダンボールが部屋に置いてあった。乱馬はしゃがんでそれを開けた。
 あかねは乱馬のあとをついてまわって、怒鳴っている。
「忘れてくれって何よ! よくもそんな!」
「うるせーなあ」
 乱馬は手つきも荒くがらくたをかきまわした。風呂に浮かべるオモチャに、ビー玉、片方だけの靴、熊の置物。
「あっ、あった!」
 靴を逆さにすると、ハート型のガラス玉が出てきた。
 ちょうどそのとき、窓から小さな人間が入って来た。八宝斎だ。
「こりゃっ。乱馬、人の宝に何すんじゃい!」
 八宝斎は乱馬の背に飛びついた。
「ドロボーッ、ドロボー! わしの宝をっ。乱馬のポケットから拾ったのに!」
「泥棒はてめえだ!」
 乱馬は八宝斎の禿げ頭をつかむと、畳に叩きつけた。
「おのれ乱馬!」
 八宝斎は懐から丸い爆弾を出すと、すばやく火をつけた。
「八宝大華輪ッ!」
 爆発した。火花と煙が部屋の半分を焦がし、乱馬は窓から外へ吹き飛ばされた。空を飛びながら、乱馬は、自分の指からガラス玉がこぼれるのがわかった。「あっ」と手を伸ばしたが間に合わなかった。
 ガラス玉はきらりと輝き、地面へ落ちて行く。




 あかねは2本目のアイスバーを食べ終えた。冷え切った口の中をふーっと空気に当てた。
 なびきが言った。
「あっ、乱馬くんの分のアイス食べてんの」
「いいのよっ」
「太るよ」
 太ったっていいのだ。トドみたいに太ったら、乱馬にのっかってつぶしてやる。その想像は少しだけあかねの気を晴らした。
 どうせ、浴衣を着ておしとやかにしていても、乱馬はあたしなんかどうでもいいのだ。あたしなんか二の次で、何か別のものを追いかけている。もう知らない。二度とデートなんか誘ってやらない。
 乱馬のことを考えるのは、これで終わりだ。きっと自分が乱馬を目で追って腹をたてたり、文句を百ほど考えている間、乱馬はその10分の1もあたしのことを思わないだろう。
 これまでに何度か、乱馬があかねに好意を見せる瞬間は、確かにあった。乱馬は照れてすぐにごまかしてしまうが、あかねは嬉しかった。
 でもよく考えたら、乱馬はどの女の子に対してもそういう態度なのかもしれない。でなかったら追いかけてくる女の子があんなにたくさんいるわけがない。「笑うとかわいいよ」なんて、言われたら誰でも気になる。右京にだって「可愛いから、女の人生あきらめるな」って何度も言っていた…。
 乱馬は、要領のいい猫みたいに(本人は猫嫌いだが)どこへでも愛想をふりまいて、自分が甘えたいときだけ甘えて、こちらが会いたい時にはどこかへ行ったあとなのだ。そういう部分が確かにある。女の子受けする、子供っぽい仕草というか、人なつこい表情を身につけている。
 くやしい。他の女の子にも、昨日あたしにしたみたいに抱きしめたりするのかしら?
 こちらの出方をうかがうみたいにそっと引き寄せて、優しく抱きすくめて…。乱馬は「ずっとこうしたいと思ってた」って言ったのだ。真剣な声で。乱馬の声や、動作で、大事にされていると実感できた。気持ちの一部を共有しているように思った。良牙が出てこなければ、あかねも乱馬の気持ちに答えていただろう。
 あんなに胸に迫る告白を、冗談だったと乱馬は言うのだ。冗談なら、他の子にもやっているだろう。乱馬が他の女の子を抱きしめて、何か優しくささやいているところを思うと、苦しかった。やっぱり他の子が好きだなんていわれたらどうしよう。乱馬は本当に、冗談で女の子と手をつないだり、デートをしたりできるんだろうか。わからない。
 男の子と付き合うのは、なんて難しいんだろう。
「あかね。聞いてる?」
 かすみが言った。
「あっうん」
 あかねは知らない間にぼんやり考え事をしていたようだ。
「今日は浴衣、着ないの?」
「うん。今日はいいや。お祭り行かないし」
「そう。雨が降るからそのほうがいいかもしれないわね」
 かすみは、切ったスイカを早雲と玄馬に渡した。あかねもスイカをすすめられたが、2本のアイスでおなかが冷え切っているので、断った。
 あかねは窓辺に座って、外を眺めた。よく晴れている。かすみは雨になるといったが、このまま晴れていたらここからでも花火はよくみえるだろう。
 あかねはふと窓の下に目をやった。何かが動いた。ここは2階だが、いきなり人がジャンプして、窓のへりに手をかけた。乱馬だ。
「ただーいまーっ」
 乱馬はあかねを飛び越え部屋へ入った。
 早雲も玄馬をスイカを食べながら乱馬を一瞥しただけだ。かすみが「おかえりなさい」と言った。
 乱馬は自分の旅行鞄へ一直線に行くと、中身をあさりはじめた。こちらを一目もみないのは、喧嘩中だからだろう。あかねは鞄からタオルや服を引っ張り出す乱馬の後ろ姿を見ていた。
 と、乱馬がこちらを向いた。
「あかねっ、どっちがいいと思う?」
 乱馬が掲げてみせたのは、夏服の青いノースリーブのチャイナ服と、黄色い半そでのチャイナ服だ。
「えっ…と、青いほう」
「そーか」
 乱馬は黄色い服を投げ捨てると、青いノースリーブにそでを通した。なんなんだろう。
「乱馬。どっかいくの?」
「おう」
「雨降るわよ」
「んじゃ傘持ってくかな」
 乱馬は今度は玄関から出ていくつもりらしい。旅館の廊下から出て行った。
 あかねは気になった。乱馬は、あたしと喧嘩していることを忘れたみたいに、何に夢中になっているんだろう。あかねは旅館のつっかけを履いて、乱馬の後を追った。乱馬は旅館の展望台のところへ小走りに来ると、止まった。立って、手すりにもたれて、右手で持っている傘をグルグルまわしている。
 あかねはすぐ側の茂みに隠れた。今、昼の3時だ。日差しがきつい。日焼け止めを塗ってこなかった。この暑いのに乱馬は何を待っているんだろう。蝉の鳴き声ばかり聞こえる。
 あかねは、青いノースリーブ姿の乱馬と、地面に落ちる乱馬の濃い影を見つめていた。





(赤川次郎の小説に「影に恋して」ってのがあったような)
つづく

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