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11 ブロークン・ハート

 良牙は乱馬の背中を見送った。乱馬は神社の境内のほうへ走って行った。自分もあかねを追おうと思ったが、乱馬が来るなと目で合図した。良牙はあかりを放っておいて、あかねを追いかけていい立場ではない。踏みとどまった。
 良牙は心の中で謝った。
 あかねさん、すいません。今だけ乱馬にまかせます。乱馬とあかねがその場からいなくなると、やたら広くなった気がした。雨音がなくなって静かになったせいもあるだろう。
 良牙は背中に、視線を感じた。後ろにあかりがいる。
―――そういえば、あかりちゃんと喧嘩中だった。
 いつまでも背を向けているわけにも行かない。
 こういうとき、どうすればいいのかわからない。良牙は女の子と喧嘩をしたことがなかった。今回、あかりとは喧嘩らしい喧嘩をしたわけではない。少し意見が違っただけだが、それでも仲直りの言葉をまだ考えていなかった。
 他の男友達―――良牙の場合、乱馬やムースだが―――そいつらはこういうとき、どうするのかと思った。ムースとシャンプーは女王と下僕の関係なので、仲直り以前の問題であてはまらない。乱馬なら…「不器用ずん胴まぬけっ」とさらに喧嘩をふっかけるかもしれない。
「良牙さま」
 良牙が参考にならないことばかり一生懸命考えていると、あかりが声をかけた。良牙は慌てて振り返った。
「ずっとついてきてらしたんですか」
「うん…途中から」
「そうですか」
 あかりは少し押し黙った。良牙は何か言わなきゃ、と思っただけで、何も言えない。
「今日、良牙さまにお伝えしたいことがあって探していたんです」
「な、なに?」
 まさか、別れの言葉!?
「良牙さまのお気持ちも考えずに、ブタブタ言ってごめんなさい。良牙さまがブタじゃなくても…ブタになれない良牙さまでも、きっと、私、お付き合いしていたと思います」
「あかりちゃん」
「すいませんでした。良牙さまがブタをお嫌いだって、うすうすわかっていたのに」
「いや、いや」
 良牙は手を振って否定した。
「別に嫌いじゃない。おれのほうこそ、ブタに歩み寄る姿勢が足りなかった」
「良牙さま…」
 良牙とあかりは見つめ合った。
 仲直りできてよかった。ブタになれない俺でも、好きでいてくれると言ってくれた。良牙はぎゅっとあかりの手を握った。
「そういえば、さっき、早乙女乱馬さまのご様子が変でしたね」
 いい雰囲気なのに、あかりはふとそう言った。
「え。あ、あー」
 乱馬と呪いの落下傘のことなんて、すっかり忘れていた。
 良牙はかいつまんで事情を話した。
「まあ大変」
 あかりは乱馬の去ったほうに目をやりながら、「きっと困ってらっしゃるでしょうね」
 良牙はもう一度いい雰囲気になることをあきらめた。
「仕方ない。様子を見に行ってやるか。乱馬のやつも人騒がせな」
 あかりの受けを狙ったわけではないが、あかりは「お友達思いですね」とうなずいている。
 良牙とあかりは乱馬の消えたほうへ歩きだした。乱馬のことで逆上していたあかねのことも気になる。あかりとあかねのことを交互に、同時に考えることができる良牙は、本人も気付かない器用さを持っていた。良牙とあかりは、乱馬たちの姿を探した。




 あかねが乱馬の様子をみていて、ふと顔をあげると、向こうから良牙とあかりがやって来た。
「良牙くん」
 あかねは不安だった。良牙が来て、少し不安が和らいだ。
「どうしました」
 あかねの焦った声を聞いて、良牙は乱馬のそばに寄った。乱馬はしゃがんだまま、うつむいている。
「乱馬が動かないの」
 乱馬の足元には細かいものが光っている。良牙は片ひざをついて、ガラスの破片を拾った。
「あのガラス玉、割れたんですか!?」
「う、うん」
 良牙は懐から紙を取り出し、ひろげた。
「割れたときのことは書いてないみたいだ…」
 あかねも横からすばやくそれに目を通した。何かの説明書みたいだ。頭の中で、さっき乱馬の言っていたことと説明書の内容が合わさった。
「乱馬」
 乱馬は固くしゃがみこんで、胸のあたりの服を強くつかんでいる。苦しいのだろうか。痛いなら痛いと言ってほしい。
「乱馬! 乱馬!」
 ゆすっても返事はない。
 うそだ。乱馬は丈夫なんだから、このくらいのことで参ったりしない。目を開けて。
 あかねは不安と焦燥で、毛が逆立つように感じた。瞬間、真っ黒な未来が、目の前に横たわっていた。乱馬のいない、真空の世界だ。
「う」と乱馬がうなった。
「…っは〜。びっくりした」
 乱馬は立ち上がって、ぱっぱっと胸の辺りをはたいた。乱馬はたまたま目が合ったみたいに、あかねを見た。
「なにしてんだ」
 あかねは地面に両膝をついて、半泣きだった。宙に手を伸ばした格好のまま乱馬を見上げた。
「…だましたわねっ」
 あかねは立ち上がった。膝の土を払いながら涙をぬぐった。
「まぎらわしいのよ! ばかっ。嘘つき!」
「なんでおれが嘘つきよばわり…。…うん」
 乱馬は、涙で汚れたあかねの顔をみて、語尾をにごした。
 良牙が横から乱馬の肩をたたいた。
「お前、あんまり動かないから死んだかと思ったぜ」
「これっくらいで参るかよ。大げさな。ちょっと立ちくらみしただけだ」
 乱馬は何かの照れ隠しみたいにガシガシと良牙をひじでこづいた。足元のガラス玉の破片に気付いて、乱馬は、
「おれは呪いから開放されたのか!」
 と心底ほっとした表情だ。
「じゃ、あかねさん。おれたちはこれで」
 良牙はあかりをうながしながら、背を向けた。
「これからデートの約束してるんで」
 あかりは乱馬とあかねに向かって軽く頭を下げ、良牙と並んで、境内から人通りの多いほうへ歩いて行った。




「もう言いたいことはわかったから」
 乱馬の言い訳が2周目のなかばに突入して、あかねはさえぎった。
「迷惑したのはおれの方なんだからな」
 どうしてそういう結論にたどり着くのかはわからないが、乱馬は乱馬なりに苦労したみたいなので、あかねは納得した。
「でも、次々女の子とっかえてデートに誘うんだもん」
「だから〜、それは呪いのせいで…」
「わかったって」
 乱馬は「ほんとにわかってんのかよ」とつぶやいて、唇をとがらせ、顔を向こうへ向けた。元気そうでよかった。もっと動いているところがみたい。
 あかねは、「あたしが死んだら、泣く?」と聞こうとしたが、やめた。あんまり感傷的すぎるし、乱馬は「誰が泣くか」と言うだろう。
 けれど、乱馬に伝えなくてはいけない何かがあった。乱馬が死んだと思ったとき襲われた、恐ろしい黒い喪失感。悪夢が切り取られてきて現実に現れたみたいな、あの冷たい感覚がまだ背中に残っていて、追い払いたかった。
「乱馬」
「はん?」
 乱馬がこちらを向く。おさげは反対にはねる。いつもの、少し低い、のんきそうな声。
「あんたが生きててよかった。あのまま死なれたら、寝覚め悪いしね」
「なんだそりゃ」
 乱馬はぶつぶつ言っている。
 あかねは少し考えた。
 乱馬が神社の縁で、あかりを好きだと言ったときのことを考えた。それから、ガラス玉が割れた一瞬、乱馬を失ったと思った瞬間を比べた。どちらも二度と考えたくなかった。でも無理に考えた。
 あたしは、乱馬に振り回されても乱馬のそばにいたい。それが無理なら、乱馬にはどこかでいつもどおりやっていてほしかった。たとえ隣にいる人があたしじゃなくても…。
「ねえ。あんたが他の人を好きで、あたしなんかどうでもよくなっても、…元気でいてくれたら…あたし…」
「うるせー」
 乱馬は軽くあかねの頭を押した。あかねが少しのめる程度に。
「ばーか。くだらねえ」
「な、なによー」
 乱馬は先に少し歩きはじめて、来ないのか、という風に少し振り返った。
「花火見に行くんじゃなかったのか」
「あ…うん」
 あかねは乱馬に駆け寄った。
 もうひとつめの花火に点火されたようだ。雨で中止にはならなかったらしい。ヒュルヒュルと細く、強弱のある打ち上げの音がした。
 あかねは次の瞬間に拡がる、大輪の花火を期待して、夜空を見上げた。




 拝啓
     あかねさん

 おれは今、国技館に来ています。
 あかりちゃんのブタ相撲部屋が参加する、夏場所があるからです。
 相撲が終わったら、また天道家にお邪魔すると思う。そのときはよろしく。
 国技館のお土産に、豚相撲力士のブロマイドを同封します。
 お体に気をつけて。
                            響 良牙より


乱馬は手紙を読むあかねの隣で、
「ブタ相撲の夏場所…」
 とつぶやきながら、見事な体格の白豚が描かれたブロマイドを手にとった。何枚かあるブロマイドを順に繰った。
「良牙のやつ、今度は相撲の技でも仕入れる気かな」
「良牙くんが出るわけじゃないでしょ」
「さー、どうかな」
「あれっ。うそ、Pちゃん!?」
 あかねが乱馬から渡されたブロマイドに描かれていたのは、バンダナを首に巻いた、小さな黒豚であった。



(呪いに振り回される乱馬のはずが、乱馬に振り回されるあかねの話にすりかわってた)
おわり

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