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14 早乙女乱馬になろう

 砂嵐のあと、画面が真っ暗になった。人の声のざわめきが流れていた。
「このスイッチでいいか? とれてる?」
「撮れてる撮れてる。あ。レンズのキャップ!」
「ほんとだ」
 パッと明るくなった。外だ。
 カメラは「1年F組 やきそば」と書かれた手作りの看板を映し、次に焼きそば屋の中を映した。
 1年F組の皆はそろいの簡素なエプロンを着ている。
「カメラまわしてんの?」
 さゆりと、知らない女子がピースをした。
 脇のダンボール箱にはマジックで「キャベツ」「肉」「ソバ」と書いてある。ダンボールに手が伸びてきて、キャベツをさらって行った。手が引っ込んだ方向を映す。
 まな板に向かう、おさげの少年の後ろ姿。僕だ。早乙女乱馬だ。
 早乙女乱馬はカメラに気付くと、目で合図して「見てな」と言った。手中の包丁を柄の部分で回転させ、キャベツを投げた。キャベツは空中でざんばらりんときざまれ、まとまってまな板に落ちた。
「へへっ」
 早乙女乱馬は、少年らしい笑顔をこちらに向けた。
 あかねが画面に入って来た。
「遊んでないでちゃんとやってよ」
「あそんでねえよ。うるせーなぁ」
「さんざん店番さぼったくせに」
「んだよー。あんまり客いねえんだしいいだろ」
「だから、もっとがんばってよ! そうだ。乱馬、女になって客引きして。その間あたしが焼きそば焼くから」
「げっ」
 早乙女乱馬はおさげを逆立たせた。
「やめとけ。よけい客が来ねえ」
「どういう意味よ」
 あかねは調理器具のヘラをぶすりと乱馬の頭に刺した。
「このままじゃ向かいのうどん屋に負けちゃうわよ!」
「…おーし、いっちょ本気で売ってやらあ」
 早乙女乱馬は腕まくりして、準備体操みたいに肩をまわした。
「ちょっとおれ、女になってくる。あかね、くれぐれも調理はするなよ。作りおきの分売るだけでいいからな!」
「なによー」
 エプロンを外し、早乙女乱馬は店から出て行った。
 カメラは走った。画面が歩調に合わせてブレる。葉陰を映した。茂みの中には、半分服を脱ぎかけたおさげの女の子がいた。
「こらっ。見せもんじゃねえ!」
 女の子の手が伸びてきて、カメラを払った。一瞬白い太ももが見えた。
「こっから先は金とるぞっ」
 地面にはバニーガールの衣装が転がっている。
 ノイズが走り、テープは終わった。
 暗転。

 早乙女乱馬の仕草や声が一番色濃く映っているのはこのテープだった。他のテープは、あかねと口げんかしている声だけだったり、高い電信柱に昇って行ってしまうものだった。
 僕は巻き戻した。再生。
「…そんでねえよ。うるせーなぁ」
 早乙女乱馬はけむったそうに目を細めて、すねたみたいな声で言う。
「さんざん店番さぼったくせに」
「んだよー。あんまり客いねえんだしいいだろ」
 んだよー。の部分では口をとがらせる。僕は口の中で「うるせーな」「んだよ」とつぶやいた。
「げっ」と嫌がるときの早乙女乱馬のオーバーリアクション。肩をすくめてこわばらせ、足は片方だけ後ろに引いて、引いた足に体重を移動させる。
「おーし、いっちょ本気で売ってやらあ」
 右手で左の肩口を腕まくりし、左のひじをぐるぐるまわす。このとき、ひじをできるだけ張って、勢い込んでみせる。表情はいきいきしていて、血が騒ぐといった感じだ。
 話し方はべらんめえ口調で、動作はできるだけ元気そうにすればいい。走るときは身軽に、コンパスみたいに大またで。歩くときはポケットに手を入れるが、姿勢は悪くない。かかとから地面に足をつける。
 僕はそれらのことを頭にたたきこんだ。
 茶の間でビデオを観ていると、なびきがやって来た。僕はビデオを取り出した。
「乱馬くん、テレビ観てもいい?」
「うん。―――いいぜ」
 なびき相手に練習してみよう。
「そういえば、病院いったんでしょ。頭、どうだった?」
「まだ治ってねえ。時間がかかるんだと」
 いちいち文を考えないといけない。ちょっとした外国語だ。語尾が裏返らないようにする。
「そういえば、…そういや、今朝会ったんだけどさ。九能ってどういう奴だ?」
「九能ちゃん? あたしのクラスメート。いいお得意さまよ」
 なびきはテーブルのせんべえをとった。「あかねとおさげの女の写真をたくさん買ってくれるの」
「おさげの女って、おれ?」
「そう。九能ちゃんはあかねとおさげの女と、ダブル交際するのが夢なんだって」
「気色わるっ」
 僕は男と付き合う趣味はない。ゾクゾクして、二の腕をさすった。
「そんなことより乱馬くん。あたしが貸してた1万円のことも忘れちゃったの?」
「え?」
「ひどいわ。どうしてもっていうから貸したのに。そうやって踏み倒す気ね」
 なびきは悲しげに僕をにらんだ。
「ち、ちがうよ」
 僕はポケットの財布に手をやった。開けてみるが、あいにく1350円しかなかった。
「ごめん。今日のところはこれで勘弁」
 僕は千円を差し出した。なびきは人差し指と中指でピッとはさんでそれを取った。




「乱馬っ、稽古しよ。稽古!」
 そこへ、胴着姿のあかねが顔を出した。あかねの家は道場を持っていて、あかねも格闘技をたしなんでいる。僕とあかねは、道場裏のスペースに瓦を並べた。
 準備の間、僕は早乙女乱馬の言葉づかいを頭の中で反芻していた。きっとうまくやれる。
「まず、ちゃんと体をほぐして」
 あかねは軽く足踏みし、手首をぶらぶらさせた。僕も真似をした。
「深呼吸をして」
 あかねは瓦の前に立ち、足を肩幅に開いた。すぅーっと息を吸って、はいた。
「だーーーっ」
  ガシャーン
 あかねの拳は、積まれた10枚の瓦を全て打ち砕いた。
「す、すごいな」
 僕はつぶやいた。
 ほめられたと思ったのか、あかねは「えへへ」と笑っている。その無邪気な笑顔は、とてもさっきのような猛々しさを秘めているとは思えない。僕はあかねの周りに放射状に砕け散った瓦の破片を眺めた。
「さ、乱馬も割って」
「ぅえ!?」
「簡単よ。乱馬、いつもやってたわ」
 僕は瓦の一枚を手にとり、固さを確認した。あかねみたいな女の子にも割れるんだし、早乙女乱馬にできるなら、僕にも可能なはずだ。たぶん…。
 あかねの真似をして、同じように瓦の前に立った。心を落ち着ける。
「脇、しめたほうがいいわよ」
 とアドバイスされた。
「おう」
 僕は脇を少ししめて、地面を踏みしめた。
 拳を後ろに引きしぼり、一気に降ろす。
「でやーっ」
  ドガシャ
 嫌な手ごたえ。僕は拳を押さえて飛び跳ねた。
「あだーっ、いてっ、いてっ」
 拳のでっぱった骨のところが、赤くなっていた。折れたかと思った!
「なにやってんの」
 あかねが僕の手をとって診た。あかねの手は温かかった。
「こんなとこで殴ったら痛いに決まってんじゃない。こう、もっと、拳の面積を大きくしないと」
 先に言っといてよ、と言いそうになって、僕は翻訳した。
「そういうことは先に言え!」
 僕の瓦は、4枚しか割れていなかった。破片もまちまちで、あかねに比べてヘタクソなのが自分でもわかった。
 あかねは、「乱馬、手痛いだろうし、別のことやろっか」と言った。まだやるのか、と僕は思ったが、早乙女乱馬は簡単にこなした、と言われると断りきれなかった。
 今日のメニューはこうだった。瓦割り、筋トレ、空手の型の稽古、軽い手合わせ、ジョギング。全て終えると夜の7時だった。
 ジョギングを終え汗を拭く僕に、あかねはなぐさめるみたいに言った。
「筋トレとかジョギングとか、基礎体力はしっかり出来てるから、大丈夫。すぐ勘が戻るわ」
 要するに、キックやパンチといった実戦的な動きは、僕には出来ないのだった。全然駄目なのはやってるときに気付いた。どう動いていいのかわからなかった。きっと、格闘のコツも一緒に忘れてしまったんだ。
 情けなくて、僕は、タオルに顔をうめた。




 翌日と翌々日の日曜日は、乱馬の親父が僕に稽古をつけた。稽古と称していじめられているだけの気がしたが、とりあえずしこたま殴られた。頭を殴られると思ったら腹を蹴られ、前から来ると思ったら背中を殴られた。
「今日はこれで終わりじゃ」
 にやにやしながら、おやじは言った。
 僕は救急箱を探した。顔は擦り傷が出来ているし、背中は打ち身になっているだろう。洗面所で顔を見た。傷でひどい。疲れた目をしている。僕は洗面所の鏡を見ながら、バンソウコウを貼った。背中の打ち身は、かすみさんにでも手当てしてもらおう。冷シップを持って、僕はうろうろした。
「かすみさん」
 僕は洗濯機のところへ行ったが、かすみさんの姿はない。台所にもいなかった。
 台所になびきがいたので、聞くと、かすみさんは買い物に行ったのだと言う。
「なぁ、この湿布、背中に貼ってくれないか」
「別にいいけど」
 なびきは飲み物をテーブルに置いた。
 僕は背中の服をたくしあげ、首の辺りで握った。
「うわぁ。いったそー」
 肩甲骨のところに、ヒヤッと目が覚めるような冷シップが貼られた。
「ありがとう」
 僕は服を元に戻した。
「乱馬くん、あんま無理するのよくないわよ。また頭打って記憶喪失になったりして」
 飲み物をとり、なびきは出て行った。
 僕は自室に戻った。さいわい、おやじはいなかった。鞄から数学の宿題を取り出した。
 格闘技をすることが早乙女乱馬に近づくことなら、僕はやる。だが、全然うまくならないのだけはどうしようもない。学校の勉強も遅れている。僕は本当に早乙女乱馬になれるんだろうか。僕にできるのは口マネだけだ。
 数学も早速わからない。早乙女乱馬は参考書のたぐいを持っていただろうか。多分、ないだろうが、一応探した。
 押入れを開け、下の段を調べる。早乙女乱馬の荷物はときどきそこに入っていた。
「ん?」
 薄暗い中で、ダンボールから白い何かがはみ出していた。僕はダンボールを明るいところに引き出した。ダンボールの、甘いようなほこりっぽいような匂いがした。箱を開く。
 僕は息を飲んだ。白いそれをつまみあげた。ぶらりと目の前にぶらさがる。
「これは…」
 丸い膨らみをふたつつなげた、独特の形。ふちには控えめにレースがあしらってある。ブラジャーだ。ただ、肩ひもの部分がちぎれて壊れている。
 なんだ。なんでこんなものがあるんだ。隠してあったのか?
 僕は両手でそれを掲げたまま、呆然とその曲線を見つめた。



つづく

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