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16 僕と早乙女乱馬

 百年早いぜ、という言葉が、自分の口から出るのを聞いた。
 視界は薄暗くて、黒いカーテンがかかったようだ。誰かが背中に触れた。
「今ほどくからね」
 あかねだ。
 目の前がサッと明るくなり、体の自由が返ってきた。
 あかねは僕にからまった鎖を解いた。鎖は床に落ちて音を立てた。
 僕は何をしたんだ?
 足元に九能が倒れている。
「乱馬、強いじゃない! 格闘のコツ思い出した?」
 あかねは身を乗り出して、僕に訊いた。
 早乙女乱馬だ。今ので早乙女乱馬が起きはじめたんだ。
 助けを求めてあかねを見たが、あかねは嬉しそうに僕を見ていた。
 僕の真後ろに早乙女乱馬が立ち、僕のすることを見つめていた。もうほとんど、会話をするみたいに、彼の思ったことが聞こえた。彼も僕の頭の中を見た。僕があかねにしたこと―――手をとって告白しようとしたことを知ると、早乙女乱馬は激しく威嚇してきた。
 僕を焦がし、押しのけるような敵意の炎をみせて、早乙女乱馬が言った。
―――人が寝てる間に好き勝手しやがって。出てけ!
 かまわず僕は言った。
「あかねっ、時間がないんだ。聞いて」
「え。え?」
 ムースのたもとから鎖鎌が飛んで来た。
「こりゃっ。まだ勝負はついとらんぞ!」
 僕はあかねごとよけた。ブーメランみたいに返って来た鎌が腕をかすめた。
 あかねがそれを見てこわばった。
「乱馬っ」
 わかってる。早乙女乱馬に替われば簡単によけられたはずだ。
 だが、僕にはまだやらなくてはいけないことがあった。
 腕に触れると服がやぶれ血が出ていた。指をなめると鉄の味がした。
 あかねから離れ、間合いをとりながら、ムースに対峙した。
 僕は格闘に向いていない。
 でも何かあるはずだ。何か方法が!
「うぐぐ」
 とうなりながら木刀を杖のように使い、九能が立ち上がった。
「僕を足蹴にするとは、許さん!」
 木剣を正眼に構えた。
 あかねが声をはりあげた。
「2対1なんて卑怯よっ」
 勝負の最中に、あかねの声質は甲高く聞こえた。
 あかねの様子を見て、「ふふん。やはり」とムースは笑い、「乱馬は飛竜昇天破も忘れとる! 叩くなら今ということじゃ!」
 九能が木刀を上げたのを合図に、飛び掛ってきた。
 ムースの服から鎖やおもりがまっすぐ飛び出した。
 前からはムースの攻撃、後ろからは九能の突き―――とっさに僕はかがんだ。
  ぐしゃ
 鈍い音がして、顔をあげると、九能とムースが差し違えで互いの攻撃を受けていた。
「何をするんじゃ!」
 眼鏡を落としたムースが、拾いながら言った。
「お前こそ何をする! 痛いじゃないか!」
 ぷんぷんと、九能は頭に刺さった鎖鎌を抜く。
「ああっ、わしの命の次に大切な眼鏡が割れとるっ。 …おのれ!」
 眼鏡のないムースが九能に向かって短剣の嵐をあびせた。九能は木刀で器用にそれを受ける。
「こらっ、僕は早乙女乱馬ではないっ」
「そんなことはわかっとる! 眼鏡のかたきじゃ」




 天井裏は暗く、ほこりっぽく、空気が悪かった。少し動くと足元がきしむ。足の裏が埃にまみれた。僕は九能とムースを尻目に、合図をしてあかねを引き寄せ、天井裏に隠れていた。下からは怒鳴りあう声と、武器がぶつかる音が遠く聞こえた。
 お化け屋敷を出たあとみたいに、背筋がすーすーして、興奮していた。僕はこんな風に喧嘩をするのははじめてだった。
「あかね」
 僕はできるだけ小声で名を呼んだ。気分が高ぶっているため、声のトーンを落とすのが難しかった。
「なに?」
 僕と同じく、かがんだ状態のあかねが答える。あかねは下の板から漏れてくる光で照らされ、ほのかなまだらだった。息苦しいし、告白の場所としては最低だろう。でも僕には場所を選んでいる余裕がない。
 下で、九能たちが戦うのをやめ、「乱馬がいないぞ」と言い出した。
 ひどい偏頭痛がした。頭痛の強弱に合わせて早乙女乱馬の声が、大きく、小さく響いた。
―――やめろ。やめろ!やめろっ。コラ!
 僕はあかねの手首をつかみ、ひきよせた。と言っても苦しい体制だから、あかねと僕は膝で立ち、すぐ近くで向かい合っていた。
「あかねっ、好きだ」
 言ってしまった。「はじめて会ったときから。僕の許婚になってくれ」
 あかねがひゅっと息をのむのが聞こえた。僕にはひとつの迷いもなかった。
 頭の中で早乙女乱馬が暴れ、転がりだした。
―――てめえ! ああっ、ちがうっ。おれじゃねえ! ちがうちがうちがうっ。
 脳みそがひっかきまわされるような激しい痛み。耐えられない。頭蓋が割れる。交代の時間だ。
 いきなり、九能の声がした。
「そこかぁっ」
 九能の投げた木刀は天井を突き破り、僕をかすめた。下から光が差し入った。僕とあかねの乗っている板が、メキメキとあやしい音を立てた。膝が沈む。
 天井が抜け、頭から落ちて行く一瞬、僕は思った。
 あかね。僕の言葉に、少しでも君の心は動いたろうか。わからない。
 衝撃があって視界が暗転した。
 僕と早乙女乱馬の位置が180度回転し、早乙女乱馬が表へ出ていく。
 僕は抵抗するが、もう遠い。なにもわからない。最期にもう一度顔がみたい。あかね。




 腹の上に重いものが落ちてきて、内臓がつぶれたかと思った。
「ぐぇっ」
 おれはうなり、目を開けた。まぶしいすぎて目が痛い。
「だ、大丈夫?」 
 あかねはおれの腹に手をついて、体を起こした。あかねの膝がみぞおちに入っている。早くのいてくれ。頭がぐらぐらしたが、あかねがおれから降りて数秒すると、視界が本調子に戻ってきた。そこは道場だった。見上げると天井に穴が開いていて、木の破片が落ちてくる。
 辺りを見回していてふいにあかねと目があうと、あかねは、いきなり、沸騰するみたいに頬を赤らめた。おれは慌てて言う。
「おいっ、ちがうぞ! おれが言ったんじゃねえからなっ」
「え? なに?」
「だからっ…」
 そこへ、かぎ縄が飛んできた。おれはそれをひっつかまえると、立ち上がり、ぐいぐいムースを引き寄せた。九能が後ろから襲ってきたので、かかとで蹴倒した。
 ムースはおれの動きを見て、
「うぬうっ、元に戻りおったか!」とうなった。
 眼鏡のないムースなんて話にならない。火中天津甘栗拳でノシてやったが、ほとんど見えてなかったろう。
「記憶がない間、よくもいたぶってくれたな」
 おれはのびているムースと九能を足で転がした。
 ふと背中の視線に視線を感じた。あかねはおれを凝視していた。一番厄介なこと、あかねのことがまだだった。
―――なんでこんな奴に惚れてんだよっ。馬鹿野郎。
 自分の中に向かって話しかけるが、返事はなかった。
「乱馬」
 あかねが駆け寄る。あかねのスカートは屋根裏に登ったせいで黒く汚れていた。
「記憶喪失治ったの?」
「え、ああ」
「よかった! ネギが効いたのかしら…ん?」
 あかねはおれを頭からつま先まで見回し、胸の辺りに視線をとめた。
「なにこれ」
 おれは身を引いたが、あかねの手はおれの上着をつかまえた。上着のあわせの部分から白い布がのぞいている。あかねの指がずるりとそれを引き出した。止めようとしたが遅かった。
「あたしのブラジャー!」
 もう駄目だ。
「やっぱりあんたが盗ったんじゃない! しかも持ち歩いてっ…信じらんない!」
「ちがう、それは、じじいが盗ろうとしてたのを。不幸な事故で壊れて…」
「ほんとだ! 破れてる!」
 あかねが拳を握った。
「馬鹿っ。粗忽っ」
 おれは数発殴られながら、九能とムースを踏み越え、道場から逃げ出した。屋根に登ってしまえばあかねは追って来れない。見下ろすと、庭を見回しながら「乱馬っ、出てらっしゃい!」と怒鳴っているのが見えた。




 あかねから見えない側の屋根へ避難し、一息ついた。
 はぁ。ごまかせてよかった…。本当に。
 まだ心臓がどきどきしていたが、それが自分のものなのか、記憶喪失の間でばっていた”奴”の気持ちなのか、おれには判断がつかなかった。おれは屋根のへりから頭だけ出して、あかねがまだいるかどうか確認した。庭にはもういない。あきらめたのか、母屋へでも探しに行ったらしい。
 他を探しに行ったのなら気の毒だし、あきらめたのなら、それはそれで物足りない気がした。おれは、あかねがおれの記憶喪失を治すために、ネギを首に巻き梅干を額に貼ってくれたのを知っていた。あかねが親切にしてくれたとき、”奴”がひどく嬉しかったのも知っている。
 どうせその礼を言わなくてはいけない。ブラジャーの誤解も解く必要がある。おれは雨どいを伝って屋根から降りた。
 見回したが、やはりいなかった。
 別に―――そう、別に、あかねの顔が見たいわけじゃない。
 この、物足りないような、気になる感じをそう呼ぶなら、それは”奴”の気持ちなんだろう。おれは別にどうでもいいけど。でも、まぁ…アレだ。どうせ礼言わなくちゃなんねえしなっ。
 おれはあかねを探しに、渡り廊下から、母屋へ入って行った。

(…)
おわり

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